昨日に引き続き、用土氏(藤田氏)の城館跡についてご紹介いたします。
本日は、堀ノ内(用土新左エ門館跡)です。
堀ノ内は、用土城跡のある丘から少し離れた、前耕地集落にあります。
用土氏館跡と伝えられていますが、不明の部分も多いようです。
「用土新三郎小野業国」の名を刻んだ鰐口(お寺などにあるどら焼き形の鐘)や、
板碑の出土から用土氏の館跡と推定されているということです。
写真は、昭和60年頃(1985年)のものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/c2/0f035a886c6785e8409f39c2a2f7ab6c.jpg)
堀ノ内には小さな社があります。
傾いた夕陽の中の社は「哀愁」を感じさせます。
地元の方の話では、この社も用土氏に関係があるそうです。
鰐口もこの社の関連遺物なのでしょうか?
この社と民家の間に水堀が残っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/15/338066e1cde8df4b302c101dffcd46f1.jpg)
非常にうす暗い写真なのですが、堀底にU字溝が嵌め込まれ、わずかですが水が流れているようです。
資料によれば、かつて、この水堀の幅は3mもあったと言われています。
当時、すでにU字溝が施工されていたので、堀幅をU字溝の幅で見てしまいがちですが、
堀の縁に合わせて見ると、非常に幅広く深い水堀であったことが偲ばれます。
毎度言い訳じみて申し訳ないですが、もう少し写真点数が欲しかったと思います。
こうして振り返ってみると、再訪したいと考えてしまいますね。
本日は、堀ノ内(用土新左エ門館跡)です。
堀ノ内は、用土城跡のある丘から少し離れた、前耕地集落にあります。
用土氏館跡と伝えられていますが、不明の部分も多いようです。
「用土新三郎小野業国」の名を刻んだ鰐口(お寺などにあるどら焼き形の鐘)や、
板碑の出土から用土氏の館跡と推定されているということです。
写真は、昭和60年頃(1985年)のものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/c2/0f035a886c6785e8409f39c2a2f7ab6c.jpg)
堀ノ内には小さな社があります。
傾いた夕陽の中の社は「哀愁」を感じさせます。
地元の方の話では、この社も用土氏に関係があるそうです。
鰐口もこの社の関連遺物なのでしょうか?
この社と民家の間に水堀が残っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/15/338066e1cde8df4b302c101dffcd46f1.jpg)
非常にうす暗い写真なのですが、堀底にU字溝が嵌め込まれ、わずかですが水が流れているようです。
資料によれば、かつて、この水堀の幅は3mもあったと言われています。
当時、すでにU字溝が施工されていたので、堀幅をU字溝の幅で見てしまいがちですが、
堀の縁に合わせて見ると、非常に幅広く深い水堀であったことが偲ばれます。
毎度言い訳じみて申し訳ないですが、もう少し写真点数が欲しかったと思います。
こうして振り返ってみると、再訪したいと考えてしまいますね。
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