今回は、街の中で、遺構のようなものがあった際に気まぐれに撮影し、
後に出版された文献などに照らし合わせて推定した館跡の写真を紹介いたします。
吉見町の息障院には源範頼の館跡があります。
この息障院のある区画の北側、八丁湖に入る小道の入り口付近の畑の中に
深く掘り込まれた堀がありました。
館跡か?ととっさに判断し撮影しました。
売店も無いような農村の夕暮れの道で撮影した記憶が強く残っています。
おなかが空いていたからです。
カギ形に掘られた堀は方形の堀の一部と思われます。
これは後に出版された『埼玉の中世城館跡』によって、御所陣屋跡と推定しました。
この堀跡とみられる遺構はすでに失われているようです。
御所陣屋跡は江戸初期のものだそうです。
同書では、横見神社一帯を陣屋跡としており、場所的にはギリギリの場所だと思います。
御所陣屋跡は、①伝源範頼館跡(息障院とは別)、②代官中川八郎左衛門の屋敷跡。これを「陣屋跡」
と呼ぶそうです。②については参考文献『吉見町史 下巻』p.75。
いずれも、御所地内。
以上2件の情報が、『埼玉の中世城館跡』で混同されているのかもしれません。
後に出版された文献などに照らし合わせて推定した館跡の写真を紹介いたします。
吉見町の息障院には源範頼の館跡があります。
この息障院のある区画の北側、八丁湖に入る小道の入り口付近の畑の中に
深く掘り込まれた堀がありました。
館跡か?ととっさに判断し撮影しました。
売店も無いような農村の夕暮れの道で撮影した記憶が強く残っています。
おなかが空いていたからです。
カギ形に掘られた堀は方形の堀の一部と思われます。
これは後に出版された『埼玉の中世城館跡』によって、御所陣屋跡と推定しました。
この堀跡とみられる遺構はすでに失われているようです。
御所陣屋跡は江戸初期のものだそうです。
同書では、横見神社一帯を陣屋跡としており、場所的にはギリギリの場所だと思います。
御所陣屋跡は、①伝源範頼館跡(息障院とは別)、②代官中川八郎左衛門の屋敷跡。これを「陣屋跡」
と呼ぶそうです。②については参考文献『吉見町史 下巻』p.75。
いずれも、御所地内。
以上2件の情報が、『埼玉の中世城館跡』で混同されているのかもしれません。
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