あまりにも好きで
その気持ちを
持ちこたえるのがつらかった
あまりにも好きだと
何も望めないんだね
あまりにも好きで
いっそ嫌いになりたかった
知らないままでいたかった
知らない頃には
もどれないけど
ずっと好きで
今も好きで
この好きは
何も望まないから
たぶん強く
守られる
あまりにも好きで
その気持ちを
持ちこたえるのがつらかった
あまりにも好きだと
何も望めないんだね
あまりにも好きで
いっそ嫌いになりたかった
知らないままでいたかった
知らない頃には
もどれないけど
ずっと好きで
今も好きで
この好きは
何も望まないから
たぶん強く
守られる
「ぼく」は主語です
「つよい」は述語です
ぼくは つよい
ぼくは すばらしい
そうじゃないからつらい
「ぼく」は述語です
「好き」は述語です
「だれそれ」は補語です
ぼくは だれそれが 好き
ぼくは だれそれを 好き
どの言い方でもかまいません
でもそのひとの名は
言えない
『オードリー・ヘップバーンの
生き方』
彼女の人生を貫いたもののひとつ
に「家庭」へのこだわりがある。
アンネ・フランクリンと同じ国、
同じ年に生まれ、幼いときの両
親の離婚が彼女に植えつけた
「家庭への憧れ」、これがあまり
に強すぎたために、もしかした
ら二度の離婚を経験したのかも
しれなかった。「守りたい」と
いう思いが強すぎて、それを
強く抱きしめすぎて、腕のなか
で壊してしまったのかもしれな
かった。
そんなオードリーが、最高のパー
トナーに出逢えたとき、選んだス
タイルが「結婚をしない」という
選択だったことを思うと、考え
深い。
歳を重ね経験を積んでおそらく
オードリーは、内面がゆたかに
養われ、物事の本質を知る力を
身につけたのだと思う。
服装などにも象徴される「表面
的なこと」を重視しないとうこ
とだ。財産のことなど、愛以外
のややこしい事柄を避けること
ももちろんあっただろうけ
けれど、「結婚」という社会
的な約束事を「表面的なこと」
に分類したのだろう。
オードリーが男性に求めた愛
は、性愛ではなく抱擁だった
気がする。そんなオードリー
を物足りなく思った恋人、夫
はいたかもしれない。
わからない。すべては組み合
わせの問題なのだ。
けれど、思うに女にはただ、
抱きしめて欲しい夜があるよ
うだ。
オードリーはことさらそんな
夜を多くもった気がする。
晩年、オードリーは息子の
ショーンに言った。
“愛は行動なのよ。言葉だけで
はだめなの。言葉だけですんだ
ことなど一度だってなかったわ“
子どものころは、時間って無限に
あるものだと思っていました。
早く大人になりたい、なんて望ん
だりもしていましたが、それは自
分が、ずっと子どもでいるような
気がしたから、なんですよね。
人生が有限であることを、頭では
なく体で感じられるようになった
ら、そこからいよいよ生きること
が美しくなるのではないか、
生意気なようですが、私はそんな
ふうに思っています。
自分はいま、まだ中途半端で、や
や頭で理解している部類に入るの
ですが、そろそろ体でも感じはじ
めてもいます。
何百回、何千回、何万回と、あな
たと花火を見られるとしたら・・・。
それは嬉しいことでしょが、
やはり美しいことでは、ない
ような、そんな気がしま