ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

こころの財産

2023年07月28日 12時53分37秒 | owarai

 

 

芹沢光治朗の自伝的大作
『人間の運命』の中で、
主人公の次郎はこう語って
いる。
「子ども心に、財産とは何
であろうか、
その財産を神に捧げたいと
いうことは どういうことか、
貧乏になって不幸だと大人の
言うのはどういう意味か、

必死に考えた。自分は貧乏で
あると知っているが、そのた
めに裸足で学校に行き、一片
のさつまいもを弁当にしても、
教室で学んだり、
運動場で騒いだり、下校の途
上喧嘩をしたりして、幸せである。

貧乏のために、学校から帰っても、
海辺へ打ち上げられる木片を拾いに
行き、林や山へ落ち葉をかきに行か
なければならないが、
未開人のように自然の中に、自由に
生きていて、幸せである。
それなのに、大人はなぜ不幸であろう
かと、真剣に考えた・・・・」

今私たちは、確かに物質的には豊に
なりました。食べ物は、世界中のもの
が季節に関係なく食べられます。

寒さ暑さも、エアコンのお蔭で快適
にしのげるようになりました。
移動も、車や電車、飛行機で世界中
を簡単にできます。
でも、豊かな自然は消え、人間関係は
ギスギスしています。それが本当の
幸せなのでしょうか?

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回想 「砂丘のたもとにて」

2023年07月28日 12時50分41秒 | owarai

 

あなたが書いていた通り、あ
なたの行為は、間違っていま
した。あなたの大切な人を奪
ったその彼女が、どんなに卑
劣な人であったとしても。

けれど、音羽さん、あなたと
いう人は、汚れてなどいない。
今も昔も素晴らしい人なのだ
し、許されるべき人なのです。

ずっと前に、学生ボランティ
アの人が来て、外国の小説を
朗読してくれたことがあった
のですが、その物語のなかに、
こんな台詞があったのを思い
出します。

戦争で、自分の子どもを、自
分の見ている前で惨殺された
女の人がいて、彼女は毎日、
嘆き悲しみ、憎しみに胸を引
き裂かれそうな思いで、暮らし
ていました。

いつか復讐してやる。それだ
けが彼女の生きる因(よすが)
みたいなものだったのです。
ある時、砂漠で出会った修行
者は、そんな彼女にこう言う
のです。

「あなたは、ああたの子ども
を殺した人の子どもを引き取
って、育てなさい。そうする
ことによって、あなたの魂は
救われる」って、
これが荒唐無稽な考え方だと、
わたしには思えないのです。

わたしの大好きな、音羽さん。
順ちゃんの忘れ形見「オトハ
ちゃん」

この世に、生きるに値しない
人間など、ひとりもいません。
だから、忘れないでいて。

絶望にとらわれて、身動きで
きなくなった時には、思い出し
て欲しいの。わたしがここに
いる、ということを。

この世にたったひとりしかい
ない音羽さんのことを、一生
懸命想っているわたしが、こ
こにいます。
世界中の人があなたを見離し
ても、わたしはあなたの味方
です。

音羽の魂よ、安らかであれ。
あなたが毎日、小さな真四角
な窓から見上げている青空に、
祈りよ届け、言葉よ届け、想い
よ届けと祈りながら。

 とき子より


樹は揺れるあなたが誰を愛そうとあなたが誰から愛されようと

2023年07月28日 11時51分44秒 | owarai
 
結婚するには
向いていないタイプと
言われたら・・・・・・。
結婚するなら良妻賢母
タイプで
恋人するには、少々遊び
人でも見映えのするタイプ、
などと区別しているようなの 
は、 マザコン男。

結局、打算でしかつきあっ
ていないわけです。
自分の母親のようなタイプを
求めているマザコン。
「大人の男」とは、妻と恋人の
ようにつきあえる男性のことです。

脳と体の「若さを保つ特効薬」

2023年07月28日 11時50分31秒 | owarai

 

 

若いとき、興味から学ぶ
意欲を持たない人は、
老いるのも早いです。
実年齢よりも十歳も二十歳
も若く見える人は、趣味を
持ちよく学ぶ人。

「学ぶ意欲」が、若々しさを保
つ秘訣なのです。
学ぶことを楽しんでいる人の
瞳は、子どものようにキラキラ
と輝き、肌もツヤツヤと健康
的で、
表情はいつも好奇心に満ち
溢れています。

時間は与えられるものでは
なく、みずから「つくりだすも
の」、
すてきな自分磨きをしようっと!


「オレだよ」と言って電話をかけてくる試されている私のなにか

2023年07月28日 11時47分04秒 | owarai

 

 

あれから、十二年という歳月が
流れた。

あの日、あの夜、闇の底を生き
物のように流れる河のほかには
何もない、

閉散とした駅のプラットホーム
に、おそらく永遠に取り戻すこ
とのできない何かを置き忘れた
まま、わたしはもうすぐ、三十
五歳になろうとしている。

こうして、スピードを上げながら
西へ西へ向かう新幹線の中でひと
り、遠ざかってゆく景色を眺めて
ると、記憶の虚空(こくう)から、

はらはらとこぼれ落ちてくるのは
あの年の記憶だけだ。あの年その
ものが、わたしにとって八番目の
曜日であり、十三番目の月だった
のかもしれない。

今はもう、痛みは感じない。そこ
にはひと粒の涙も、ひとかけらの
悲しみ宿っていない。あのひとの
記憶は愛よりも優しく、水よりも
透明な結晶となって、わたしの心
の海に沈んでいる。

この十二年のあいだに、わたしは
いくつかの恋をした。

出会いがあって、相手を求め、求
められ、愛しいと感じ、結ばれた。
二十七の時には、結婚もした。
不幸にも、夫に好きな人ができ
てしまったため、その結婚はた
った二年で壊れてしまったけれ
ど、それでも二年間、わたしは
とても幸せだった。

ただ、どんなに深い幸せを感じ、
それに酔い痴れている時でも、
わたしの躰の中に一ヶ所だけ、
ぴたりと扉の閉じられた、小
部屋のような領域があった。

扉を無理矢理こじあけると、
そこには光も酸素もなく、
植物も動物も死に絶えた、
凍てついた土地がだけが
広がっている。

だからうっかりドアをあけた
人たちは、酸素と息苦しさに
身を縮め、わたしから去って
いく。離婚の本当の原因は、
もしかしたらわたしの方に
あったのかもしれない。

こんな言い方が許されるな
らば、わたしは誰かに躰を
赦(ゆる)しても、心を救
したことはなかった。