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京都異界紀行 (講談社現代新書) | |
西川 照子 | |
講談社 |
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梅原猛さんと京都の町を歩き回った
という方だけのことはある
えらく本格的な京都魔界本、、、
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以下は、その内容紹介。
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「 地霊に導かれ、
怨霊の声を頼りに京都の町中を歩く。
そこから見えてくる、本物の京都の姿とは ?
「中世」をキーワードに、
神と仏、聖と穢が繰り広げる
怪しい京都の奥深く、
地下水脈に潜入する。
これまでにない、
まったくユニークな京都案内。
京都では「生と死」は背中合わせ。
と言っても、
オドロオドロしい京都の風景は昔むかしのこと、
今はきれいに清掃され、
ちょっと見には「負」の部分はみえない。
ただ、私たちが本物の京都を知りたい、
観たい、と思えば、1つ方法がある。
地霊である。
何もない所であっても、
その地に立ってただ風景を見る、
そして、そこに住む「怨霊」の声に耳を傾ける――
すると、昔むかしの風景・出来事が甦る。
怨霊たちは案内人となって、
私たちを本物の京都へ誘ってくれる。
この『京都異界紀行』の案内人の第1に選んだのは
崇徳天皇(1119~1164)の怨霊である。
なぜ崇徳か。
崇徳は保元の乱(1156)に敗れ讃岐国に配流、
帰京の願いならず、配所で憤死した。
崇徳の怨霊はしばしば都に現われて、
タタリをなした。
しかし明治元年、天皇の命により、
讃岐の白峯宮より
御所の西の地の白峯神宮に迎えられて、
ひとまず鎮まった――
と、いうことになっていた。
いや、崇徳の怨霊は京の町を徘徊していたのだ。
それでその後を付いて歩いてゆくと、
「見えてきたもの」がある。
京の怨霊ネットワークである。
崇徳の怨霊が化した魔王・天狗とともに、
イナリ・エビス・セイメイ(安倍晴明)等の裏の顔。
松尾大明神に空也上人――神と仏が作り出す奇なる世界。
この京都の異界が一番よく見える「時代」がある。
中世である。
歴史も伝承も包みこんで、
京の中世は、京都の真の姿を語る。
雅と死、花と葬地、怨霊と御霊、
惨殺と鎮魂、天皇と乞食(こつじき)――
「正」と「負」の京の仕組み。
パズルのように「事」と「物」をきれいに合わせて、
美しい表面を作り出した京都。
しかしまるで死んだはずの木の根が動き始め、
大いなる力でコンクリートを割って地表に顔を出すように、
京の「負」の影は
現代の日常の中にも不意に顔を出す。
ここにも、そしてあそこにも……。
本書は、怨霊を案内人として京を歩く。
(「はじめに」より)
キレイなものには裏がある…恐ろしい、
ほんものの京都へようこそ。
「怨霊」に誘われて…
京都人も知らない京都の裏のウラの貌。
著者について
西川 照子(にしかわ てるこ)
出版・編集企画制作集団エディシオン・アルシーヴ主宰。
専門は民俗学。
主な著書に、『神々の赤い花』(平凡社)、
『昔話のむかし』(エディシオン・アルシーヴ)、
『幻の、京都』 (光村推古書院)、
『金太郎の母を訪ねて』(講談社選書メチエ)が、
主な編著に、『日本の伝統工芸7 京都』(ぎょうせい)、
『人間の美術7 バサラと幽玄』(学習研究社)、
『花』、『京老舗』(以上、淡交ムック)、
『白川静の世界』、『陰陽の世界』、『カタリの世界』、
『梅原猛の世界』(以上『別冊太陽』)がある 」
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下は、同じ西川照子さんの
「幻の、京都 ~ 隠れた歴史の深淵を訪ねる」。
とその内容紹介。
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幻の、京都: 隠れた歴史の深淵を訪ねる | |
西川 照子 | |
光村推古書院 |
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「 20数年前、哲学者の 梅原猛氏とともに、
京都中をフィールドワークした 著者がおくる
「京都の歴史の深淵」に迫る京都案内。
ガイドブックに取りあげられることの少ない内容で、
ディープな京都の実像に迫る読みもの。
一つの“もの”から「ものがたり」は次々に生まれ、
「物語」は増殖してゆく。
“もの”とは物怪、つまり怨霊。
怨霊を追って京の街をフィールドワークした著者がおくる、
正史では読むことのできない京都の淵 」
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