京都の不動産に関心を持ち始めたのはいつ頃からだろうか。
東京にタワーマンションというものが建ち始めたのを見て、これから不動産価格はどうなっていくのだろう、と考え始めた頃だったと思う。
要するに、世の中の価格というものが需要と供給によって決まるならば、今後タワーマンションの建設によってもたらされるマンション供給戸数の大幅な増加によって、マンションの価格が影響を受けないわけはない、という素朴な疑問だ。
特に、東京や大阪、横浜といった大都会は上へ上へ伸びることにより、無限に(といっては大げさだが)供給が増えるのではないか。
とすれば(土地そのものはともかく)これら大都会のマンションというのは、銀座や表参道といった一部地域(ブランド力があり高さ制限等から供給が限られている)を除き、消耗品化せざるを得ない。
従来の不動産神話というのは、①供給は限られているのに、②人口(需要)は増える、という理屈でなりたっていたはずだ。
ところが、少子化により、②の前提は、とうに崩壊している(ただし、都市中心部については郊外からの都心回帰という新規需要の方が、今のところは少子化云々による需要減少よりも上回っているようだが)。
①の前提もタワーマンション建設ラッシュ(大量供給)により崩れるならば、「不動産はもっていればいずれ上がる」という神話は、少なくとも、マンハッタン化する大都会ではありえない、のではないかと思われた。
それでは、日本で大量供給の怖れがなく(町並保護等から高さ制限等が厳しく)、人を呼び込む魅力のある(根強い需要のある)街はどこだろう。
そのような思考経路を経て、自然と、京都の不動産事情に興味をもつようになったのは6年近く前だったように記憶している。(続く)