歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと
日日の幻燈




【野田尻宿・西郊】


野田尻宿を出発して、次の宿場・犬目を目指します。ガイドブックによると、犬目までは3.5キロほど。ただ、途中昼食のため談合坂SAを経由する予定です。では、いざ往かん!

【お玉ヶ井の碑】


野田尻宿を出てすぐ、中央道の防音壁が見えてきます。そして中央道をバックにまず現れるのが「お玉ヶ井」の碑。

昔、旅籠の美しすぎる女中・お玉が長峰の池の龍神と結ばれ、奉公を辞することになりました。去り際、お玉が地面に置いた手桶から水が湧き出てきました。水不足に悩んでいた人々は大いに喜んだとのこと。めでたしめでたし(お玉自身が龍神の化身だったとも言われています)。

そんな伝説が残っているそうです。龍神が棲んでいた長峰の池って、先程通ってきた長峰砦の「濁り池」のこと?だとすると、池の水がけして涸れることがなかったのは、間違いなく龍神様のご加護ですな。その「濁り池」、中央道の建設とともに姿を消したとか。龍神様も現代の重機には敵わなかったということかな?国の事業と地元の伝説。どちらに重きを置くのかとなれば…。宮●駿監督のアニメの題材になりそうなお話でした。

【西光寺】


西光寺の創建は824(天長元)年、平安時代までさかのぼります。当初は真言宗でしたが、鎌倉時代に臨済宗に改め現在に至るそうです。
『甲斐国志』に「西光寺門前に東野田尻と云う地あり村名是に起これり」とあります。ただし、寺は中央道の建設により移転し、江戸時代とは場所が変わっているようです。

【西光寺付近の甲州街道】


由緒あるお寺ですが、ここも参拝せずに先を急ぎます。道は門前で左右に分かれていますが、右側が旧街道です。

【西光寺裏手付近の甲州街道】


西光寺を過ぎると上り坂になります。自然の中を進むような風景ですが、すぐ近くの中央道の車の音が響いてきます。

【石仏・石塔群】


右手に石仏と石塔の一群。ガイドブックによると、お地蔵様、庚申塔、馬頭観音など。どれがどれかは確認することなく通過しました。付近にあったものをここに集めたのでしょうか。

【北久保橋】


ここでまたまた中央道を横断します。石畳風につくられた橋がちょっとお洒落です。

【北久保橋付近の甲州街道】


北久保橋で中央道を渡ると、僅かな距離ですが未舗装の道となります。旧街道ぽくて良きかな。

【嶽大先達白倉宝行碑】


未舗装道から舗装された道へ合流してすぐの場所にある碑。ガイドブックによると「富士講の修験者を統率する行者を讃えたもの」とあります。富士講とは富士山を崇拝する人々で作られた講で、とくに関東で流行したそうです。甲州街道と富士講、まさに富士山のお膝元にふさわしい組み合わせです。碑には明治28年とありました。嶽の文字の上に富士山の形が刻まれているのがわかりますか?

【荻野一里塚跡1】


「嶽大先達白倉宝行碑」からすぐ、街道を見下ろすように荻野一里塚の標柱。この辺りに一里塚があったといわれています。そしてこの先のカーブをまわると、案内板が出ています。

【荻野一里塚跡2】


日本橋から20番目の一里塚。塚は街道の両脇(南北)にあり、北側の塚の上には「ヒラマツ」と呼ばれた松が植えられていた…とあります。今は残念ながら当時の面影は皆無です。

【荻野近辺の甲州街道1】


この辺り、江戸時代には荻野という集落があった場所。『甲斐国志』の野田尻村の項には、「西支村荻野」との記述があります。道端の花々に秋の風情を感じながら進みます。

【荻野付近の甲州街道2】


かつての地名をたどれるので、バス停名を確認するのはけっこう楽しみだったりします。とくに下調べしていた地名に出会えた時はうれしいものです。おお、まだ生きていたのか!ってね。

【矢坪橋】


矢坪橋でまたまた中央道を横断するのがルートなのですが、すぐには渡らずに左手へ進み談合坂SAへ向かいます。そう、昼食です。この辺り、ここを逃すとお昼を食べられ場所はなさそうです。

【談合坂SA1】


談合坂サービスエリアは、上り車線用と下り車線用が別々の場所にあります。今回向かったの上り車線用。一般道からも利用可能なので、サービスエリア内には地元の買い物客と思われる人たちも多く見受けられました。

【談合坂SA2】


談合坂って面白い地名だよなぁ…って、以前からその名を聞くたびに思っていたのですが、地名の由来をネットで調べてみると、以下の4つの説があるようです。

■1.付近の村々の寄り合いの場所だったから
■2.武田氏と北条氏の争いの調停が行われたから
■3.武田信玄の娘が北条家へ嫁ぐ際の合議が行われたから
■4.桃太郎が犬、猿、雉に団子を配ったから

桃太郎まで出てくるのか?確かに付近に犬目、ちょっと先には猿橋と、それっぽい地名はありますが…。ん、雉はどこだ?
『甲斐国志』では団子坂という地名を挙げているようですが、その記述は見つけられませんでした。

🌙2018.10.14追記
実はこの辺りから大月にかけては、知る人ぞ知る、桃太郎伝説の地なのだそうです。
犬目、鳥沢、猿橋、周囲には百蔵山(ももくらさん)。鬼が棲んでいたのは岩殿山(戦国時代、武田勝頼を裏切った小山田信茂の城跡で有名ですね)などなど。
桃太郎を描いた昔の絵には富士山が描かれていたり…なんてのもあるようです。

【ランチタイム】


12時45分、お待ちかねのランチタイム。
W氏の「山梨と言えば、ほうとうだろ!」という、かねてからの強い要望のもと、暑さにもめげずにいただきました。
我々4人、この後の道のりの談合をしつつ、腹ごしらえをして後半戦に備えるのでした。


にほんブログ村 歴史ブログ 江戸時代へ    






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )