【矢坪橋】
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談合坂SAでの昼食を終え、矢坪橋まで戻って街道歩きに復帰します。ここで中央道を横断します。
【大乗妙典日本廻国供養塔】
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矢坪橋を渡ってすぐのポイント。ガイドブックによると、1813(文化10)年の建立で、六部と呼ばれる行者が法華経を納めながら全国66ヶ国を巡礼した達成記念碑とのことです。
【矢坪坂古戦場跡1】
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「大乗妙国日本廻国供養塔」のすぐ先、矢坪坂の古戦場跡の解説板の前で、道は県道30号線と分かれて山道へと入ります。事前調査によると何となく歩きにくそうな、そんな雰囲気を漂わせていましたが果たして…?
【矢坪坂古戦場跡2】
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この辺り一帯で武田方の小山田信有(おやまだ・のぶあり)と北条軍が戦ったのは、1530(享禄3)年のことでした。
ちなみに小山田信有という武将、子も孫も同じく信有と名乗ったとか。よほど縁起の良い名前だったのか、一族の内の「頭領は信有と名乗るべし!」という決め事でもあったのか?ま、ややこしいですな。
【矢坪付近の甲州街道1】
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道順を示す標識に従い、細い道を進みます。この辺りはまだ歩きにくいということはありません。しかし、道は県道30号線を見下ろしながら、確実に山間に向かっている感じなのです。
【西ノ原古墳】
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道は徐々に高さを増して、集落を見下ろすように進みます。
矢印の位置は西ノ原古墳。平成11年、畑を耕していた人が偶然に石積みを発見。調査したところ、墳丘部や天井部、側壁部は失われているものの、横穴式石室と確認されました。石室の全長は3.3メートル、横幅は最大1.7メートル、7世紀のこの地の有力者一族のものと思われるそうです(「上野原市公式観光情報」より)。
現在は埋め戻されて、解説板が出ています。県道30号線から行ける?ちなみに副葬品は発掘されなかったとのこと。ま、長い間耕され続けてきたのでしょうから、畑の土に還ってしまったのかな。
【武甕槌(たけみかづち)神社】
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立派な鳥居が出現。ここが武甕槌神社。武甕槌命は雷、剣の神。鹿島神宮の主神でもあるそうです。
『甲斐国志』には軍勢権現として「箭壷(やつぼ=矢坪)にあり、産神」と見えます。先程通過した矢坪坂の古戦場の解説板に、一説には矢坪坂の戦いの際に祀られた、との記述がありました。剣の神様なら、確かにその説もありかな、と。
鳥居をくぐってから本殿はかなり先のようです。これはきついだろうということで、やはり本殿への参拝はパス。鳥居前で手を合わせました。
【矢坪付近の甲州街道2】
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武甕槌神社を過ぎると、いよいよ雰囲気が出てきました。道幅も狭くなり足を滑らせたら谷底へ真っ逆さま…。竹のガードがあるのでめったなことはないと思いますが、昔の旅人はそれこそ命がけだったのでしょう。歩きスマホ(江戸時代だったら歩き道中記?)なんてもってのほかですな。
【庚申塔】
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山道の途中に庚申塔。苔むした感じが古道にお似合いです。
【県道30号線】
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旧街道の下を付かず離れずといった感じで、県道30号線が通っています。この県道、明治天皇がこの地を巡幸された際、馬車で通れるように開かれた道で、地元では新道と呼ばれているとか。確かに旧街道に馬車は無理。
【座頭転がし】
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盲人が声のするほうへ歩いたところ、深い沢の底へ落ちてしまったという「座頭転がし」のポイントに到着。
この辺り、道は山に沿って大きく湾曲し、江戸時代は道幅3尺(=約90センチ)以下の細道だったそうです。現在は多少広くなっています。
歌川広重は道中記に「…座頭ころがしという道あり…」と記し、『甲州道中記』にも「山道難所あり、座頭ころばしという坂あり」との記述があります。諸書に載るほど有名な難所だったということでしょう。
わざわざフェンスが開いているのは、どういうことなんだろう…まさか、実際に体験してみろと?
ちなみに反対側の崖上には「天王様」が小さな祠に祀られています。
【座頭転がし付近の甲州街道】
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座頭転がしを過ぎた後も、もうしばらく山道が続きます。
🌙2018.10.8追記
『甲斐国志』によると
「犬目・野田尻間の坂上に蛇木新田、坂下に箭壷(=矢坪)という集落があり、この間は甚だ険路である。中でも道が屈曲して谷深いところを座頭転ばしという。昔、盲人が過って深い谷に転落して死んだことによって名付けられた。今は道端に垣根を作り転落に備えている」
とのこと。
【蛇木新田付近の甲州街道】
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ようやく山道を抜けて人里にたどり着きました。江戸時代には蛇木新田(蛇木村)と呼ばれ、慶長年間(=江戸時代初期)に甲州街道が開通したときに形成された集落だそうです。地図で確認すると、現在は単純に新田という地名のようです。
【尾張徳川家定宿跡】
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ここ米山家は尾張徳川家の参勤交代の際の定宿。あれ?尾張徳川家って、参勤交代には東海道を使ったのでは?現地の説明文によると、行列が他の大名と重ならないよう、調整のため甲州街道を使うこともあったのだとか。すぐそばの犬目宿の本陣に宿泊せず、米山家が定宿になった理由は、ここからの富士山の眺めの素晴らしさをお殿様が気に入ったから…とのこと。要はお殿様の気分次第。いつの時代も権力者やお金持ちはいろいろと我儘が言えるんだね、ということで。
道幅も付近は6尺(約1.8メートル)だったのが、宿の前は9尺(約2.7メートル)と広かったそうです。
【彼岸花と石塔】
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庚申供養塔と念仏石経塔。彼岸花が秋らしさを添えます。
【庚申塔と馬頭観音】
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街道脇の少し高くなった側壁上に並ぶ、1789(寛政元)年の庚申塔と馬頭観音。細道から行くことができますが、ここで蛇に遭遇。注意しましょう。
【県道30号線に合流】
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安達野バス停付近で県道30号線に合流します。
【犬目宿入口】
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ここから先、いよいよ犬目宿に入ります。