今まで書いてきたことをみると、僕が一方的に中国を批判しているように見えるけど、実はそうでもない。
問題は靖国神社についての小泉首相はじめ政治家の弁明。どうもおかしい。
役儀により言葉を改める。摩邪風で。
これ見よがしに靖国神社に参拝するチャラチャラした政治家ども、よく聞け。
ひとーつ!
「A級戦犯を祭っているというが、日本では悪いことした人も死んでしまえばもう追及されなく、みんな一緒に祭られる。靖国神社はそういう神社です。」ハア!?
靖国神社の前身は、長州出身の大村益次郎が創設した維新前の尊王攘夷活動の途中で死んだ志士たちを祭った招魂社だ。だが、孝明天皇からは忠臣と頼りにされた会津藩士は祭られていない。維新の功労者西郷隆盛も祭られていない。つまり、国のために亡くなった人はいい人も悪い人もといいながら、はっきりとした選択がされている。したがってA級戦犯が祭られていることはある価値観による選択の結果なのだ。もしも言葉どおり国を思ってそれぞれの立場で死んだ人を祭るのなら、会津藩士も、西南の役の反逆者も、浅沼稲次郎も山口一矢も、山本宣治も二二六の反乱将校も、幸徳秋水も三島由紀夫も祭るのが正しい。
「やすくに」は漢字では「安国」とも書ける。実は南北朝時代に、「やすくに神社」ならぬ「やすくに寺」が全国に建立された。それが安国寺。足利尊氏・直義兄弟によって南朝北朝双方の戦死者の祈祷場として立てられた。これを見習うがよい。
ひとーつ!
「靖国神社への参拝はもう二度と戦争をしてはいけないということを祈るためです。」ハア!?
東京自体通過ぐらいしか行ったこと無いけど、聞くところによると、靖国神社では兵器が飾ってある博物館があるそうではないか。それも戦争の悲惨を伝えるためではなく、きれいに飾られた兵器の大日本帝国戦争博物館みたいではないか。これは左翼雑誌からの受け売りではなく、「正論」等に載っている靖国神社の広告からだ。この博物館の展示意図と、小泉首相の言葉と整合するはずないじゃないの。
問題は靖国神社についての小泉首相はじめ政治家の弁明。どうもおかしい。
役儀により言葉を改める。摩邪風で。
これ見よがしに靖国神社に参拝するチャラチャラした政治家ども、よく聞け。
ひとーつ!
「A級戦犯を祭っているというが、日本では悪いことした人も死んでしまえばもう追及されなく、みんな一緒に祭られる。靖国神社はそういう神社です。」ハア!?
靖国神社の前身は、長州出身の大村益次郎が創設した維新前の尊王攘夷活動の途中で死んだ志士たちを祭った招魂社だ。だが、孝明天皇からは忠臣と頼りにされた会津藩士は祭られていない。維新の功労者西郷隆盛も祭られていない。つまり、国のために亡くなった人はいい人も悪い人もといいながら、はっきりとした選択がされている。したがってA級戦犯が祭られていることはある価値観による選択の結果なのだ。もしも言葉どおり国を思ってそれぞれの立場で死んだ人を祭るのなら、会津藩士も、西南の役の反逆者も、浅沼稲次郎も山口一矢も、山本宣治も二二六の反乱将校も、幸徳秋水も三島由紀夫も祭るのが正しい。
「やすくに」は漢字では「安国」とも書ける。実は南北朝時代に、「やすくに神社」ならぬ「やすくに寺」が全国に建立された。それが安国寺。足利尊氏・直義兄弟によって南朝北朝双方の戦死者の祈祷場として立てられた。これを見習うがよい。
ひとーつ!
「靖国神社への参拝はもう二度と戦争をしてはいけないということを祈るためです。」ハア!?
東京自体通過ぐらいしか行ったこと無いけど、聞くところによると、靖国神社では兵器が飾ってある博物館があるそうではないか。それも戦争の悲惨を伝えるためではなく、きれいに飾られた兵器の大日本帝国戦争博物館みたいではないか。これは左翼雑誌からの受け売りではなく、「正論」等に載っている靖国神社の広告からだ。この博物館の展示意図と、小泉首相の言葉と整合するはずないじゃないの。