彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

行政職員と議員

2018年08月07日 | Weblog

 多田稔さんという伊勢崎市議会議員(3期目?)のブログを読みました。

40代で県職員を早期退職した議員のようですが、感心いたしました。

議員と行政職員についてこんな表現とか文章は中々書けません。

そのとおりだなあと妙に納得しました。優秀な人は違います。

大変参考になり、以下引用させていただきます。


『公共の課題に取り組むにあたり、
行政職員と議員、両方の立場を経験して、
その違いを感じています。

議員は、とにかく住民の声を聞かなければなりません。
住民の意見は十人十色。
時には、それぞれまったく逆の要望を受けることもあります。
物事に対して、賛成、反対の意見があります。

行政職員のときは、住民の声を良く聞いて、
対応していたつもりでした。
しかし、いざ議員となってみると、
その厳しさは、公務員の比ではありません。

例え、私の意見と逆の主張をされても、
とにかくよく聴いて受け止める必要があります。
行政職員も同じだろうと思われますが、
今にして思えば違います。

何が違うのだろうと考えて、
思い当たることがありました。
それは、、、、、

公務員の世界は、国から県、市町村にいたるまで
徹底的に縦割りです。
福祉、農業、商業、土木などの分野が、
それぞれの県の担当課や、国の省庁と直結しています。
その反面、ひとつの自治体(役所)内での、横の連携が悪いのです。

公務員はこのような組織文化の下で行政課題を評価し、
市民の声も、今自分がいる部署の立場で
評価・判断します。


つまり、社会で何か出来事が起こった場合、
行政職員は、今、自分が所属している行政分野の立場で
無意識のうちに評価・判断し、対応しているのです。

行政職員からすれば、
農政部に所属しているのに、土木部の発想で判断しないことは当然です。
しかし、住民にとっての市役所や県庁は、
「土木部」や「農政部」ではありません。
「市」や「県」としての対応を期待しているのです。

その点、議員に対する住民の要求と評価はシビアです。
自分としてぶれない考え方や信念を持ちつつも、
目の前の住民や、少数意見、自治体全体の
住民のことを考えなくてはなりません。

たとえ自分の考えと異なる意見を主張されても、
安易に否定はできません。じっくり聴いて、
多様な考え方、意見、望みがあることを把握し、
その中から最適解をつむぎ上げていくことが
議員の調整能力であり、求められている役割なのだと感じます。

行政も同じだという意見もあると思います。
しかし振り返ってみますと、
行政職員は、今所属している分野の立場で
最適解を求めていると思うのです。

するとどうなるか。
農林水産省や、文部科学省の代理人のような立場で
判断しがちではないでしょうか。
県庁生活を振り返った場合、こんな風に感じました。

町や村などの小さな自治体では、
一人の職員がいくつもの分野の仕事を兼任するため、
県庁ほど縦割りの弊害がないかもしれません。
省庁の縦割りの発想に縛られず、
より住民に密着した判断・対応がなされていることも
予想されます。

すべてがそうだとは言えませんが、
行政職員が無意識のうちに、省庁の縦割り発想で
問題に対処した場合、わりとすっきりと答えが出ます。
国の省庁の方針に従えば良いからです。

全国統一の方針が示されるのは良い反面、
それぞれの地域や、目の前の現実にそぐわない場合もありえます。
それが、住民感覚とお役所の判断に「ズレ」が生じる
原因の一つではないでしょうか。

もう一つ、公務員と議員が異なるのは、
住民に対するポジションです。
行政は許認可権を持ち、強制力もあります

住民や利害関係者の意見がまとまらなくても、
行政が最終判断を下せば、他の方はだまって従います。
公務員のポジションは、住民に対して優位にあるのです

議員の場合は逆です。
住民から選ばれるという立場上、
住民の意見・希望は尊重します。
全てかなえることは不可能ですが、
住民と議員の基本的な関係は、住民優位なのです。』

前後の一部削除しましたが以上です。


 村の住民と現場との感覚のズレは、

下線部分でほぼ言い表されているような気がします。

行政・職員はこんな状況に気づくことはない、というか、

私見ですが、住民とのズレが問題ではなく、

「行政を理解できない住民に問題がある」とすら思っているフシもあります。

なんとなく納得してしまいました。 


『行政職員は、今所属している分野の立場で最適解を求めている』

しかし、住民にとっての最適解とは違う。

だから住民対応にもズレが出てくる。どこまで行っても平行線です。

最近特に、一般質問で言っていることが伝わらず、

中々理解してもらえないことが少なくありません。

原因はそんなところにあるのか、自分がバカ言ってるのか。どちらかです。

立場の違いは、思考の違いも作り、意思疎通の壁となるものなんですねぇ。

(職員でもめちゃくちゃ民間感覚の持ち主いますが。)

よく「住民が主役」と言いますが、だれもそう思っていません。

職員も議員も(個人的見解です)

『住民や利害関係者の意見がまとまらなくても、
行政が最終判断を下せば、他の方は黙って従います。
公務員のポジションは、住民に対して優位にある。』のですから。

しかし、その主役の気持ちを汲めないというのは、実は大変な問題です。

(思っていないからしょうがないです。それが問題の原因ですが。)

住んでいるのは圧倒的に「主役」が多く、それで地域が成り立っていますから。

・・打つ手が見えません。

議員として究極は、行政が理解しなくていいから、

村民にとっての最適を実行するように通す努力しかないのでしょうか。

すると・・住民への情というものがない気もします。

理解・理解・理解 これは無視できないこと。

おっきなカベです。

 

 昨日、総務常任委員会として職員へ例の確認をしたのですが、

何かすっきりとしないものがあり、きのうはそのあと暗い気分で過ごしていました。

考えながらネットでいろいろ検索し、上記のブログに行き当たり読んだ次第です。


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