平成7(1995)年の秋、わたしはラップタイム(LT)分析なるものを見つけた。
アンドリュー・ベイヤー(「ウイニングホースプレイヤー」山本尊訳/自由国民社)の「トリップ・ハンディキャッピング」を参考にしたものである。
ベイヤーの「トリップ・ハンディキャッピング」はコーナーでのロスを数値化してハンディキャップをつけて穴馬を探すものだが、わたしのLT分析は前哨戦のレースなどのラップタイムを分析してどの馬が一番強いレースをしたかを調べるものだった。
評価が高いのはハイペースの中を先行して勝ったのか、それとも粘ったのか?スローペースを後方から強烈な脚で追い込み差し切ったのか、僅差に食い込んだのか?勝ち負けに関わらず光った馬を見つけ出すものだ。
さっそく菊花賞を調べたらマヤノトップガン(3番人気)が一番だった。ダービー馬のタヤスツヨシは5番人気、1番人気はなんと牝馬のダンスパートナーだった。オークスの勝ちタイムが2.26.7秒でダービーのタイム2.27.3秒を0.6秒上回っていたことによるようだった。しかし日記では「ヒシアマゾン級とは思えない。お客さんだ」と切り捨てていた。
2番手はヘイアンショウグンだったが出走していない。つづいてホッカイルソー、トウカイパレス、腐ってもダービー馬としてタヤスツヨシを抑えた。
レース前は半信半疑だったが、マヤノトップガンがレコードで快勝した。2着には9番人気のトウカイパレス、3着はホッカイルソーとパーフェクトの予想だった。ダンスパートナー5着、タヤスツヨシは6着だった。
単勝650円、馬連6,330円。5万円賭けて38万余の快勝である。
返す刀で有馬記念も6番人気のマヤノトップガンを本命にした。
マヤノトップガンは2馬身の圧勝。対抗に選んだサクラチトセオーは2着のタイキブリザートに1/2馬身及ばず馬連は逃してしまった。
それでも単勝1300円、複勝400円を2万円ずつ買っていたので30万余の快勝だった。
春の天皇賞はサクラローレルが勝ち2着にナリタブライアンの2強で決まり、マヤノトップガンは5着。わたしも惨敗だった。
宝塚記念はマヤノトップガンが勝つも1番人気2.0倍に単勝を買わなかったようで連勝を外し負けている。
その後、平成8(1996)年秋の天皇賞マヤノトップガンは2着(優勝バブルガムフェロー)。続く有馬記念は7着(優勝サクラローレル)。そして最後のレースとなった平成9(1997)年の春の天皇賞でマヤノトップガンは後塵を浴び続けたサクラローレルを破ってレコードで快勝している。
しかし、その頃わたしは転職し多忙を極めていた。日記も休みがちで、残念ながらそれらGⅠ3戦の記録がない。
その後ラップタイム分析は条件戦では通用しなかったり、主観に陥りがちになったり、またそのレースで必ずベストパフォーマンスを発揮できるとは限らないことなどで、万能ではないことを知らしめられた。
マンハッタンカフェのように時折微笑んでくれることもあったが、テイエムオペラオーやシンボリクリスエスのようにうまくはまらない馬が出てきて次第に忘れ去られてしまったようだ。
まったく今後必要ないのかというとちょっと惜しい気がする。もう一度検証してみようかな。
アンドリュー・ベイヤー(「ウイニングホースプレイヤー」山本尊訳/自由国民社)の「トリップ・ハンディキャッピング」を参考にしたものである。
ベイヤーの「トリップ・ハンディキャッピング」はコーナーでのロスを数値化してハンディキャップをつけて穴馬を探すものだが、わたしのLT分析は前哨戦のレースなどのラップタイムを分析してどの馬が一番強いレースをしたかを調べるものだった。
評価が高いのはハイペースの中を先行して勝ったのか、それとも粘ったのか?スローペースを後方から強烈な脚で追い込み差し切ったのか、僅差に食い込んだのか?勝ち負けに関わらず光った馬を見つけ出すものだ。
さっそく菊花賞を調べたらマヤノトップガン(3番人気)が一番だった。ダービー馬のタヤスツヨシは5番人気、1番人気はなんと牝馬のダンスパートナーだった。オークスの勝ちタイムが2.26.7秒でダービーのタイム2.27.3秒を0.6秒上回っていたことによるようだった。しかし日記では「ヒシアマゾン級とは思えない。お客さんだ」と切り捨てていた。
2番手はヘイアンショウグンだったが出走していない。つづいてホッカイルソー、トウカイパレス、腐ってもダービー馬としてタヤスツヨシを抑えた。
レース前は半信半疑だったが、マヤノトップガンがレコードで快勝した。2着には9番人気のトウカイパレス、3着はホッカイルソーとパーフェクトの予想だった。ダンスパートナー5着、タヤスツヨシは6着だった。
単勝650円、馬連6,330円。5万円賭けて38万余の快勝である。
返す刀で有馬記念も6番人気のマヤノトップガンを本命にした。
マヤノトップガンは2馬身の圧勝。対抗に選んだサクラチトセオーは2着のタイキブリザートに1/2馬身及ばず馬連は逃してしまった。
それでも単勝1300円、複勝400円を2万円ずつ買っていたので30万余の快勝だった。
春の天皇賞はサクラローレルが勝ち2着にナリタブライアンの2強で決まり、マヤノトップガンは5着。わたしも惨敗だった。
宝塚記念はマヤノトップガンが勝つも1番人気2.0倍に単勝を買わなかったようで連勝を外し負けている。
その後、平成8(1996)年秋の天皇賞マヤノトップガンは2着(優勝バブルガムフェロー)。続く有馬記念は7着(優勝サクラローレル)。そして最後のレースとなった平成9(1997)年の春の天皇賞でマヤノトップガンは後塵を浴び続けたサクラローレルを破ってレコードで快勝している。
しかし、その頃わたしは転職し多忙を極めていた。日記も休みがちで、残念ながらそれらGⅠ3戦の記録がない。
その後ラップタイム分析は条件戦では通用しなかったり、主観に陥りがちになったり、またそのレースで必ずベストパフォーマンスを発揮できるとは限らないことなどで、万能ではないことを知らしめられた。
マンハッタンカフェのように時折微笑んでくれることもあったが、テイエムオペラオーやシンボリクリスエスのようにうまくはまらない馬が出てきて次第に忘れ去られてしまったようだ。
まったく今後必要ないのかというとちょっと惜しい気がする。もう一度検証してみようかな。
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