日記を40年以上つけている。
中学3年の秋頃入試突破計画と名付けた受験勉強の進捗状況をチェックするノートがきっかけで日記を始めた。そのころ、日記を一万ページ書いているという人が話題になっていた。一万ページというと一日一ページ毎日欠かさず書いたとしても27年あまりの年月がかかる。27年というのは途方もなく長い時間に感じられたが、同じ頃日記を始めた兄と誰が一万ページを達成できるか勝負しようということになって、せっせと日記を書いてはページ数を争っていた。その習慣が功を奏したのだろう。以来40年余、10年ほど前に40数冊までは数えたことがあったが、今ではもう何冊になっているかわからない。間違いなく一万ページ以上ははるかに超えているだろう。
そのほかにも競馬記録を96年からつけ始めて現在9冊目に入っているし、読書ノートや夢日記、発想ノートとさまざまな記録をマニアチックに書いている。
また、興味のある番組をビデオやDVD録画して残しているが、だんだんそれらの量も生活空間を侵しつつある。
じつは、それらのほとんどすべて自分だけにしか価値がない。
わたしの日記なんて歴史的な事実が入っているというわけではなく、高校時代の甘い恋を恥ずかしげもなく詩にしてあったり、赤裸々な性の悩みをぐだぐだ書いていたり、事務長時代のつらい金策に明け暮れる愚痴だったり、自分史としての価値はあるだろうが子どもたちがそれを読んで参考になるというものではない。
また、わたしにとっても、日記をはじめこの膨大な記録の数々はある意味排出物のようなもので、日々点検して健康管理に役立って来はしたが、それがこんもりと山になってしまっては公害以外の何物でもない。
書いている最中こそ意味があったので、ときどき読み返して「そうか、そう考えていたのか、甘いなぁ」とか「うん、頑張っていたんだな、よし」と励みや自信になっていたのである。しかし、わたしが死んだ後はもう価値はない。子どもたちにしてみたらやっかいな存在である。処分もならず、かといって置いておくにも場所をとるだけ。
18(木)のブラタモリで鉄道マニアが出ていたが、汽車の写真を綺麗にファイルしたのを見せながら、「このように夕日が当たるのは季節と時間と場所が決まっているのです」と語っていた。その時期に行って雪の中を時間になるまでじっと待つのだろう。天気が悪ければ一両日は大丈夫だろうけど一週間ぐらいずれるとまた来年ということになるのかもしれない。この執念は凄いが、理解できるのは同好の士だけである。四十過ぎのようだったが、彼が結婚しているのかまた子どもいるのか知らないが、きっと家の中には数々の写真や本が山のようになっていることだろう。
彼が死んだ後のことを考えるといったいそれらはどのように処分されていくだろうと想像すると心穏やかではない。芸術作品とまでは言えないだろうし、彼もそれを望んでいるわけじゃない。ひとりであれこれ企画したり、また、仲間と集まって情報交換するのが愉しいのだろう。休みをつくって現地に行って苦労しながら撮影する。苦労すればするほどその達成感は大きく喜びは増す。しかし、過ぎてしまえばそれらの写真は屑と化してしまうのではないだろうか。わたしの日記たちのように。
生きていくということはごみの山を造るということなのか。それはニヒリズムに過ぎるだろうが、生きるということは、きっとその瞬間に意味があるのだと思う。
過ぎてしまった過去というのは、フランクルに言わせると「可能性が過去に閉じ込められた」というもので、可能性があるのは唯一今この瞬間だけ、この瞬間を逃して可能性を開くことはできないのだと。
だから後悔しないように懸命な生き方を求めなさいということでもないだろう。賢明に生きたから後悔しないということはないし、賢明に生きようが、愚かに生きようが、心の底からの生き方であれば誰も後悔しないはずだ。
横道にそれてしまったが、無視できない量となってしまった遺物、まだわたしは死んでいないから遺物にはあたらないが、生きてきた残骸をどうしたらいいのか。蔵書などはいくらでも処分できるだろうが、日記などをゴミに出してしまうのは子どもたちにとっても心苦しいだろう。やはりわたし自身が決着をつけなければならない。
いま考えているのは棺桶ぐらいの大きさにまとめておいて火葬するときに二段重ねで焼いてしまうというのはどうだろう。近年火葬場では貴金属は取り除くように言われているが、紙屑なら構わないだろう。良く燃えるに違いない。
なにか、自分の昇天とともに生きた証しも煙となって天に昇っていくと考えればちょっと素敵じゃないだろうか。
中学3年の秋頃入試突破計画と名付けた受験勉強の進捗状況をチェックするノートがきっかけで日記を始めた。そのころ、日記を一万ページ書いているという人が話題になっていた。一万ページというと一日一ページ毎日欠かさず書いたとしても27年あまりの年月がかかる。27年というのは途方もなく長い時間に感じられたが、同じ頃日記を始めた兄と誰が一万ページを達成できるか勝負しようということになって、せっせと日記を書いてはページ数を争っていた。その習慣が功を奏したのだろう。以来40年余、10年ほど前に40数冊までは数えたことがあったが、今ではもう何冊になっているかわからない。間違いなく一万ページ以上ははるかに超えているだろう。
そのほかにも競馬記録を96年からつけ始めて現在9冊目に入っているし、読書ノートや夢日記、発想ノートとさまざまな記録をマニアチックに書いている。
また、興味のある番組をビデオやDVD録画して残しているが、だんだんそれらの量も生活空間を侵しつつある。
じつは、それらのほとんどすべて自分だけにしか価値がない。
わたしの日記なんて歴史的な事実が入っているというわけではなく、高校時代の甘い恋を恥ずかしげもなく詩にしてあったり、赤裸々な性の悩みをぐだぐだ書いていたり、事務長時代のつらい金策に明け暮れる愚痴だったり、自分史としての価値はあるだろうが子どもたちがそれを読んで参考になるというものではない。
また、わたしにとっても、日記をはじめこの膨大な記録の数々はある意味排出物のようなもので、日々点検して健康管理に役立って来はしたが、それがこんもりと山になってしまっては公害以外の何物でもない。
書いている最中こそ意味があったので、ときどき読み返して「そうか、そう考えていたのか、甘いなぁ」とか「うん、頑張っていたんだな、よし」と励みや自信になっていたのである。しかし、わたしが死んだ後はもう価値はない。子どもたちにしてみたらやっかいな存在である。処分もならず、かといって置いておくにも場所をとるだけ。
18(木)のブラタモリで鉄道マニアが出ていたが、汽車の写真を綺麗にファイルしたのを見せながら、「このように夕日が当たるのは季節と時間と場所が決まっているのです」と語っていた。その時期に行って雪の中を時間になるまでじっと待つのだろう。天気が悪ければ一両日は大丈夫だろうけど一週間ぐらいずれるとまた来年ということになるのかもしれない。この執念は凄いが、理解できるのは同好の士だけである。四十過ぎのようだったが、彼が結婚しているのかまた子どもいるのか知らないが、きっと家の中には数々の写真や本が山のようになっていることだろう。
彼が死んだ後のことを考えるといったいそれらはどのように処分されていくだろうと想像すると心穏やかではない。芸術作品とまでは言えないだろうし、彼もそれを望んでいるわけじゃない。ひとりであれこれ企画したり、また、仲間と集まって情報交換するのが愉しいのだろう。休みをつくって現地に行って苦労しながら撮影する。苦労すればするほどその達成感は大きく喜びは増す。しかし、過ぎてしまえばそれらの写真は屑と化してしまうのではないだろうか。わたしの日記たちのように。
生きていくということはごみの山を造るということなのか。それはニヒリズムに過ぎるだろうが、生きるということは、きっとその瞬間に意味があるのだと思う。
過ぎてしまった過去というのは、フランクルに言わせると「可能性が過去に閉じ込められた」というもので、可能性があるのは唯一今この瞬間だけ、この瞬間を逃して可能性を開くことはできないのだと。
だから後悔しないように懸命な生き方を求めなさいということでもないだろう。賢明に生きたから後悔しないということはないし、賢明に生きようが、愚かに生きようが、心の底からの生き方であれば誰も後悔しないはずだ。
横道にそれてしまったが、無視できない量となってしまった遺物、まだわたしは死んでいないから遺物にはあたらないが、生きてきた残骸をどうしたらいいのか。蔵書などはいくらでも処分できるだろうが、日記などをゴミに出してしまうのは子どもたちにとっても心苦しいだろう。やはりわたし自身が決着をつけなければならない。
いま考えているのは棺桶ぐらいの大きさにまとめておいて火葬するときに二段重ねで焼いてしまうというのはどうだろう。近年火葬場では貴金属は取り除くように言われているが、紙屑なら構わないだろう。良く燃えるに違いない。
なにか、自分の昇天とともに生きた証しも煙となって天に昇っていくと考えればちょっと素敵じゃないだろうか。
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