日曜の朝やっている「カラダのきもち」で、女性は「共感脳」、男性は「解決脳」と言っていた。
共感脳は情緒的で自分の思うことに共感や仲間であることを求め、解決脳は論理的で、結論や理由を求めるものであるという。
そして女性の場合は、まず「好き」「嫌い」の感情で結論を出し、その結論に合う理屈をあとから組み立てる傾向があり、男性の場合は、筋道立ててものを考え、たとえ意に添わない結論が出ても従うというものらしい。
なるほどと納得が行った。
カミさんがときどき職場の話をするが、だらだらと続いて終わりがなくどう聞いていいかわからないことがある。ついつい、職場にいる変な社員にどうしたらいいかとか、万引きが多いという話にカメラを付けるように進言したらどうかと返すわたしに、むしろカミさんの方が「?」だったに違いない。
そもそもこのブログも解決脳的なものである。「人生如何に生くべきか」なんてまさにそれで、人生の舞台に否応なくつれてこられて自分なりにこの舞台を分析し、どう演ずるかを模索している様を綴っているのだ。
共感脳なら、舞台がどうであるかを考えず、今ここにいることをどう味わいつくすかに興味の焦点があるのだろう。現世の時点でこの世界を分析することは無理だ。フランクルも、「生きる」意味は、この次元を超えたところでしかわからない「超意味」だと言っている。だから女性の方が賢明で正しい生き方かもしれない。
とすると、半分ぐらいの人には理解しづらいブログを書いていたということになるのだろう。「こうでなければならない」とか、「正しいことはこうではないか」とか、何を眉根を寄せて生きてるの?と思われているだろう。説明してもそんなの死んだ後に考えなさいと言われるのがオチだ。
しかし、この思考回路は変えられないから解決脳的ブログで行くしかないが、これからはもう少し共感脳を意識して書いていかなければならないね。
共感脳は情緒的で自分の思うことに共感や仲間であることを求め、解決脳は論理的で、結論や理由を求めるものであるという。
そして女性の場合は、まず「好き」「嫌い」の感情で結論を出し、その結論に合う理屈をあとから組み立てる傾向があり、男性の場合は、筋道立ててものを考え、たとえ意に添わない結論が出ても従うというものらしい。
なるほどと納得が行った。
カミさんがときどき職場の話をするが、だらだらと続いて終わりがなくどう聞いていいかわからないことがある。ついつい、職場にいる変な社員にどうしたらいいかとか、万引きが多いという話にカメラを付けるように進言したらどうかと返すわたしに、むしろカミさんの方が「?」だったに違いない。
そもそもこのブログも解決脳的なものである。「人生如何に生くべきか」なんてまさにそれで、人生の舞台に否応なくつれてこられて自分なりにこの舞台を分析し、どう演ずるかを模索している様を綴っているのだ。
共感脳なら、舞台がどうであるかを考えず、今ここにいることをどう味わいつくすかに興味の焦点があるのだろう。現世の時点でこの世界を分析することは無理だ。フランクルも、「生きる」意味は、この次元を超えたところでしかわからない「超意味」だと言っている。だから女性の方が賢明で正しい生き方かもしれない。
とすると、半分ぐらいの人には理解しづらいブログを書いていたということになるのだろう。「こうでなければならない」とか、「正しいことはこうではないか」とか、何を眉根を寄せて生きてるの?と思われているだろう。説明してもそんなの死んだ後に考えなさいと言われるのがオチだ。
しかし、この思考回路は変えられないから解決脳的ブログで行くしかないが、これからはもう少し共感脳を意識して書いていかなければならないね。
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