カミさんはカラオケが好きだ。東京で仕事をしている娘が帰ってくるのを待ち侘びている。なぜなら、娘が帰ってくれば必ずカラオケに行くからだ。わたしと二人だけではふたり麻雀のようにつまらないから。
カミさんのストレス解消はカラオケである。歌もうまいが、繰り返しの毎日から抜け出る非日常が嬉しいのだろう。
ところが、そのカラオケでマイクを離さず歌いまくっているのは、じつはわたしの方である。顰蹙を買っているわたしだが、なぜかいつも不完全燃焼感が残る。スカッとした気分になれないのだ。なぜだろう?
高校を卒業してまだ浪人時代の頃、最初の帰郷の後東京に戻る船(東京晴海への二泊三日の船旅だった)で、友人らと一緒になり、歌でも歌おうとフロントのようなところへ行ってギターを借りようとした。すると、近くにいたコンパニオンのお姉さんが、「君たちギターが弾けるの?」と聞くのである。何かと問えば、なんでも船上コンサートを開きたいが演奏をする人がいないと言うのである。
その一年前のこと、高三の卒業間近の1月、自習時間が多くなって、三々五々勉強している者もいれば、七、八人集まって歌声喫茶もどきを繰り広げていた。
その輪の中でギターを弾ける友人がいて、傍で見ていて本当に羨ましかった。
吹奏楽部の将順がうまいのは当然だったが、クラスで目立たなかった美智男や進までがギターを弾けるのを見て、なんの楽器もできない自分にショック受けた。
一浪の間一生懸命頑張ったのはギターではなかっただろうか。一緒の下宿にいた先輩の秋田出身の岩井さんにギターの初歩から教わって、昼夜、指に豆をつくりながら練習したものである。
まだ、コードを覚え立てのどシロウトだったが、「やります!」と手を上げた。
トオルとマモルとヨシタカ(だったかな?)の、にわかバンドが結成された。
船内マイクで呼びかけたら30畳ぐらいの広場に30人ほどの若者たちが集まった。
中には、われわれよりギターのうまい者がきっといたと思うが、コンサートは盛況裏に終わった。アンコール曲だったかその前の曲だったかすっかり忘れてしまったが、赤い風船の「遠い世界に」は記憶に残っている。ぶっつけ本番で演じた前奏の「ジャジャーン、ジャジャーン」が自分でも決まっていて、うまくハモレたように感じた。
観衆の中にいたマキシーのような長い髪の少女から熱い視線を受けていた、と感じていた。
友人がやっている「Tender」という店があるが、そこには歌のうまい常連がやってくる。ほんとうに上手で、しみじみ聞かせてくれるが、ただそれだけなのだ。拍手は飛び交うが、それだけ。連帯感がない。みんなでこの時間を共有したという満足感がない。
かつて「歌声喫茶」というものがあった。わたしのちょっと上の、団塊の世代たちが中心に流行っていたが、生ギターを囲んでロシア民謡をみんなで歌った。
「黒い瞳」や「カチューシャ」、「山の娘ロザリア」、「郵便馬車の御者だった」等等。懐かしい。
われわれの世代は、「小さな日記」をしみじみと歌い、「友よ」を絶叫し、「今日の日はさよなら」に涙した。
それから何年か経って、カラオケが流行った一時期、フロアの真ん中に進み出て歌うのは歌の下手な人間にはストレスを感じさせた。また、拍手を強制されているようで鬱陶しかった。
それからカラオケは個室化して、やがて「ひとりカラオケ」に至った。
やはりそれは虚しくはないか。
べつに人に賞賛してもらいたいと思っているわけではないが、聞いてはもらいたい。ともに合唱ができたらさらにいい。声帯を震わせて高揚したいのである。
今、「歌声喫茶」があったら絶叫するのに。
若者たちは孤立を嫌っているのではないだろうか。
われわれの世代は、対立する規制に抗い、前提(先代)を打ち破らなければわれわれの自立はあり得ないように感じていたが、むしろ今の若者たちは新しく何かを創れと言われても戸惑うばかりで、むしろ、よき先代を受け継ぎたい。よき文化を継承したいと考えているように思う。
今の若者たちは孤立したいのではなく、共感できる場を求めてはいるのではないだろうか。
「歌声喫茶」があったら、きっと若者たちにも受け入れられそうな気がするのだが・・・。
カミさんのストレス解消はカラオケである。歌もうまいが、繰り返しの毎日から抜け出る非日常が嬉しいのだろう。
ところが、そのカラオケでマイクを離さず歌いまくっているのは、じつはわたしの方である。顰蹙を買っているわたしだが、なぜかいつも不完全燃焼感が残る。スカッとした気分になれないのだ。なぜだろう?
高校を卒業してまだ浪人時代の頃、最初の帰郷の後東京に戻る船(東京晴海への二泊三日の船旅だった)で、友人らと一緒になり、歌でも歌おうとフロントのようなところへ行ってギターを借りようとした。すると、近くにいたコンパニオンのお姉さんが、「君たちギターが弾けるの?」と聞くのである。何かと問えば、なんでも船上コンサートを開きたいが演奏をする人がいないと言うのである。
その一年前のこと、高三の卒業間近の1月、自習時間が多くなって、三々五々勉強している者もいれば、七、八人集まって歌声喫茶もどきを繰り広げていた。
その輪の中でギターを弾ける友人がいて、傍で見ていて本当に羨ましかった。
吹奏楽部の将順がうまいのは当然だったが、クラスで目立たなかった美智男や進までがギターを弾けるのを見て、なんの楽器もできない自分にショック受けた。
一浪の間一生懸命頑張ったのはギターではなかっただろうか。一緒の下宿にいた先輩の秋田出身の岩井さんにギターの初歩から教わって、昼夜、指に豆をつくりながら練習したものである。
まだ、コードを覚え立てのどシロウトだったが、「やります!」と手を上げた。
トオルとマモルとヨシタカ(だったかな?)の、にわかバンドが結成された。
船内マイクで呼びかけたら30畳ぐらいの広場に30人ほどの若者たちが集まった。
中には、われわれよりギターのうまい者がきっといたと思うが、コンサートは盛況裏に終わった。アンコール曲だったかその前の曲だったかすっかり忘れてしまったが、赤い風船の「遠い世界に」は記憶に残っている。ぶっつけ本番で演じた前奏の「ジャジャーン、ジャジャーン」が自分でも決まっていて、うまくハモレたように感じた。
観衆の中にいたマキシーのような長い髪の少女から熱い視線を受けていた、と感じていた。
友人がやっている「Tender」という店があるが、そこには歌のうまい常連がやってくる。ほんとうに上手で、しみじみ聞かせてくれるが、ただそれだけなのだ。拍手は飛び交うが、それだけ。連帯感がない。みんなでこの時間を共有したという満足感がない。
かつて「歌声喫茶」というものがあった。わたしのちょっと上の、団塊の世代たちが中心に流行っていたが、生ギターを囲んでロシア民謡をみんなで歌った。
「黒い瞳」や「カチューシャ」、「山の娘ロザリア」、「郵便馬車の御者だった」等等。懐かしい。
われわれの世代は、「小さな日記」をしみじみと歌い、「友よ」を絶叫し、「今日の日はさよなら」に涙した。
それから何年か経って、カラオケが流行った一時期、フロアの真ん中に進み出て歌うのは歌の下手な人間にはストレスを感じさせた。また、拍手を強制されているようで鬱陶しかった。
それからカラオケは個室化して、やがて「ひとりカラオケ」に至った。
やはりそれは虚しくはないか。
べつに人に賞賛してもらいたいと思っているわけではないが、聞いてはもらいたい。ともに合唱ができたらさらにいい。声帯を震わせて高揚したいのである。
今、「歌声喫茶」があったら絶叫するのに。
若者たちは孤立を嫌っているのではないだろうか。
われわれの世代は、対立する規制に抗い、前提(先代)を打ち破らなければわれわれの自立はあり得ないように感じていたが、むしろ今の若者たちは新しく何かを創れと言われても戸惑うばかりで、むしろ、よき先代を受け継ぎたい。よき文化を継承したいと考えているように思う。
今の若者たちは孤立したいのではなく、共感できる場を求めてはいるのではないだろうか。
「歌声喫茶」があったら、きっと若者たちにも受け入れられそうな気がするのだが・・・。
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