先日の11月24日、NHK杯で真央が優勝した。しかし、フリーの演技の後、やはり笑顔はなかった。2位の鈴木明子とのポイント差がわずか0.05ポイントだったということもあったのだろうが、今回のフリーでトリプルサルコウがシングルになってしまったように、なんでもない回転にミスが出たことにあるだろう。
トリプルアクセルを封印してもなんとか優勝(ソチ五輪)できるはずだという今の戦術がほころび始めたのだ。
守りに入った時、足元からほころび始める。
なんとトリプルアクセルどころか他のジャンプにも不安が生じてきたのである。
やはりトリプルアクセルに挑戦しなくてはいけないだろう。そうでなければ真央にソチはない。
先のブログで「失敗してもいいと受容できた時、失敗の呪縛から解き放たれるのだ」と言ったのは、V・E・フランクルの「逆説志向」というロゴセラピーの手法に拠っている。<「意味による癒し」(V・E・フランクル/春秋社)>
これは様々な神経症の治療法であるが、例えば広場恐怖症や赤面恐怖症、発汗恐怖や吃音などの症状に対して施される。
と言っても、真央が神経症に罹っているというのではない。それに近い症状かもしれないが。
真央のトリプルアクセルは技術的なレベルはクリアしていると思う。後はメンタルな部分だ。「失敗してはいけない」、「転んではいけない」と思うこと(「予期不安」)が、逆に転倒などの失敗を起こさせるのである。
この「『予期不安』というのは、ある出来事が再び起こるのではないかと不安をもって待ち構えている状態のことです。どうか起こらないようにと恐れているまさにその当のこと呼び起こすところに不安の本質があります。これと同じく『予期不安』も、まさに恐れている症状そのものを引き起こします。そしてその症状が恐怖症を生み出し、この恐怖症がまたさらに症状を悪化させます。こうしてこのような形で強化された症状は患者をますます恐怖症のとりこにしていきます」<「意味による癒し」(V・E・フランクル/春秋社)>
それに対する「逆説志向」というのは、恐怖症の患者に対し、彼が怖れているその当のことが起こるように願うように促されるのである。
例えば、発汗恐怖症に悩んでいるある若い医師に対して、「今度発汗が起こりそうになったら、思い切って、自分はどれだけの汗がかけるかをひとつみんなに見せてやろうと心に決めてください」と助言し、たった一回の面接と一週間の訓練によって四年間も続いた恐怖症の苦しみから永久に解放されたという。
「広場恐怖症」は広い場所に出たら自分の心臓が止まって死んでしまうのではないかという恐怖に襲われるのだが、「広場の真ん中で派手に倒れてしまおう」と決心した途端消えてしまう。
「赤面恐怖症」もしかり、吃語症もどもらないようにしようと強く思うことで起こってしまうが、逆にどもってみようとしたらまったく吃音が出ず、正常に話せてしまうのである。
これらは症状に限らず日常の場面でも起こりうる。
断然優勝は間違いないと思われる選手が思わぬ敗北を喫したり、なんでもない距離のパターを外してしまうというのは、よくある話だ。
フランクルはこの「逆説志向」を行うとき、ユーモラスに表現することが大切だといっている。ユーモアは本質的に人間的な現象で、ユーモアによってありとあらゆるものから距離を取り、したがって自分自身からさえも距離を取って、自分をすっかり意のままにすることができると。
真央もトリプルアクセルに挑戦する際、「よぉうし、思い切り派手にスッテンコロリンと転んでみんなを吃驚させてやろう」とでも思いながら演技するといいのである。
そしてオリンピックの優勝などは目標にしないで、今度は4回転ジャンプを跳んでみようと思うことだ。
そのことが結果的にソチオリンピックでいい結果を出せるのではないだろうか。
トリプルアクセルを封印してもなんとか優勝(ソチ五輪)できるはずだという今の戦術がほころび始めたのだ。
守りに入った時、足元からほころび始める。
なんとトリプルアクセルどころか他のジャンプにも不安が生じてきたのである。
やはりトリプルアクセルに挑戦しなくてはいけないだろう。そうでなければ真央にソチはない。
先のブログで「失敗してもいいと受容できた時、失敗の呪縛から解き放たれるのだ」と言ったのは、V・E・フランクルの「逆説志向」というロゴセラピーの手法に拠っている。<「意味による癒し」(V・E・フランクル/春秋社)>
これは様々な神経症の治療法であるが、例えば広場恐怖症や赤面恐怖症、発汗恐怖や吃音などの症状に対して施される。
と言っても、真央が神経症に罹っているというのではない。それに近い症状かもしれないが。
真央のトリプルアクセルは技術的なレベルはクリアしていると思う。後はメンタルな部分だ。「失敗してはいけない」、「転んではいけない」と思うこと(「予期不安」)が、逆に転倒などの失敗を起こさせるのである。
この「『予期不安』というのは、ある出来事が再び起こるのではないかと不安をもって待ち構えている状態のことです。どうか起こらないようにと恐れているまさにその当のこと呼び起こすところに不安の本質があります。これと同じく『予期不安』も、まさに恐れている症状そのものを引き起こします。そしてその症状が恐怖症を生み出し、この恐怖症がまたさらに症状を悪化させます。こうしてこのような形で強化された症状は患者をますます恐怖症のとりこにしていきます」<「意味による癒し」(V・E・フランクル/春秋社)>
それに対する「逆説志向」というのは、恐怖症の患者に対し、彼が怖れているその当のことが起こるように願うように促されるのである。
例えば、発汗恐怖症に悩んでいるある若い医師に対して、「今度発汗が起こりそうになったら、思い切って、自分はどれだけの汗がかけるかをひとつみんなに見せてやろうと心に決めてください」と助言し、たった一回の面接と一週間の訓練によって四年間も続いた恐怖症の苦しみから永久に解放されたという。
「広場恐怖症」は広い場所に出たら自分の心臓が止まって死んでしまうのではないかという恐怖に襲われるのだが、「広場の真ん中で派手に倒れてしまおう」と決心した途端消えてしまう。
「赤面恐怖症」もしかり、吃語症もどもらないようにしようと強く思うことで起こってしまうが、逆にどもってみようとしたらまったく吃音が出ず、正常に話せてしまうのである。
これらは症状に限らず日常の場面でも起こりうる。
断然優勝は間違いないと思われる選手が思わぬ敗北を喫したり、なんでもない距離のパターを外してしまうというのは、よくある話だ。
フランクルはこの「逆説志向」を行うとき、ユーモラスに表現することが大切だといっている。ユーモアは本質的に人間的な現象で、ユーモアによってありとあらゆるものから距離を取り、したがって自分自身からさえも距離を取って、自分をすっかり意のままにすることができると。
真央もトリプルアクセルに挑戦する際、「よぉうし、思い切り派手にスッテンコロリンと転んでみんなを吃驚させてやろう」とでも思いながら演技するといいのである。
そしてオリンピックの優勝などは目標にしないで、今度は4回転ジャンプを跳んでみようと思うことだ。
そのことが結果的にソチオリンピックでいい結果を出せるのではないだろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます