興南高校が優勝した。夏の甲子園の優勝も初めてだが、春夏連覇という快挙まで一気に達成してしまった。まったく吃驚する。全国版のニュースでも流れたからご存知だろうが、沖縄中が大喜びし、各地でカチャーシー(お祝いの踊り)が舞った。
かつて甲子園で沖縄のチームはお客さんだった。遠路はるばる海を渡って来た弱少チームだった。舞い上がってエラーはするわ、隙をつかれて盗塁されるわ、大量得点を奪われても、グランドを這いつくばって、土でユニフォームや真っ黒な顔がさらに真っ黒になっても、この甲子園のグランドに立てるのが嬉しいのだと演技するだけだった。ただ白い歯が哀しく光っていた。
応援のブラスバンドも自前では来られず、県出身の先生がいた※私立尼崎中学吹奏楽部の生徒たちがいつも友情応援をかってくれていた。スタンドも同情的で、解説者もアナウンサーもやさしかった。(※確か私立尼崎中学校のみなさんだったと記憶していますが、確認していません)
そんな沖縄のチームが優勝を勝ち得るなんて、しかも春夏連覇の快挙を挙げるなんて、19歳の息子はただ単純に大差の優勝に驚いていたが、わたしには隔世の感があった。
決勝戦は4回の裏に一挙に7点を上げてからワンサイドの大味な試合になってしまった。むしろ準決勝の対報徳学園戦の方がおもしろかったね、というのが大方の意見である。もちろんそれは勝ったからこそ言える話だが、ただ、決勝戦のようにすんなり勝ってしまっては感動が薄くなるようだ。
人生も同じように、何事も思ったとおりすんなりといく人生なんて味気ないもので、苦労してハラハラさせられながら最後に報いられるというのが喜びなのかもしれない。
しかし、たとえ報いられなかったとしても、フランクルは言っている。
「成果がなかったということは意味がなかったということを意味しない」
「成功とか成果とかに全く無関係になされる深い体験がある。外的な失敗にもかかわらず内的に充たされることがある」
と。
かつて甲子園で沖縄のチームはお客さんだった。遠路はるばる海を渡って来た弱少チームだった。舞い上がってエラーはするわ、隙をつかれて盗塁されるわ、大量得点を奪われても、グランドを這いつくばって、土でユニフォームや真っ黒な顔がさらに真っ黒になっても、この甲子園のグランドに立てるのが嬉しいのだと演技するだけだった。ただ白い歯が哀しく光っていた。
応援のブラスバンドも自前では来られず、県出身の先生がいた※私立尼崎中学吹奏楽部の生徒たちがいつも友情応援をかってくれていた。スタンドも同情的で、解説者もアナウンサーもやさしかった。(※確か私立尼崎中学校のみなさんだったと記憶していますが、確認していません)
そんな沖縄のチームが優勝を勝ち得るなんて、しかも春夏連覇の快挙を挙げるなんて、19歳の息子はただ単純に大差の優勝に驚いていたが、わたしには隔世の感があった。
決勝戦は4回の裏に一挙に7点を上げてからワンサイドの大味な試合になってしまった。むしろ準決勝の対報徳学園戦の方がおもしろかったね、というのが大方の意見である。もちろんそれは勝ったからこそ言える話だが、ただ、決勝戦のようにすんなり勝ってしまっては感動が薄くなるようだ。
人生も同じように、何事も思ったとおりすんなりといく人生なんて味気ないもので、苦労してハラハラさせられながら最後に報いられるというのが喜びなのかもしれない。
しかし、たとえ報いられなかったとしても、フランクルは言っている。
「成果がなかったということは意味がなかったということを意味しない」
「成功とか成果とかに全く無関係になされる深い体験がある。外的な失敗にもかかわらず内的に充たされることがある」
と。
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