この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

わたしたちはわたしたちが食べたものでできているというが

2022-02-17 13:35:00 | 死ぬまでは健康でいたい
「いなむるち考」で引用した福岡慎一つながりでひと話題を。
やはり「新版動的平衝」からの引用である。

「コラーゲンは、細胞と細胞の間隙を満たすクッションの役割を果たす重要なタンパク質である。肌の張りはコラーゲンが支えていると言ってもよい。
ならば、コラーゲンを食べ物として外部からたくさん摂取すれば、衰えがちな肌の張りを取り戻すことができるだろうか。答えは端的に否である。

食品として摂取されたコラーゲンは消化管内で消化酵素の働きにより、ばらばらのアミノ酸に消化され吸収される。コラーゲンはあまり効率よく消化されないタンパク質である。消化されなかった部分は排泄されてしまう。
一方、吸収されたアミノ酸は血液に乗って全身に散らばっていく。そこで新しいタンパク質の合成材料になる。しかし、コラーゲン由来のアミノ酸は、必ずしも体内のコラーゲンの原料とはならない。むしろほとんどコラーゲンにならないと言ってよい。

なぜなら、コラーゲンを構成するアミノ酸はグリシン、プロリン、アラニンといった、どこにでもある、ありきたりなアミノ酸であり、あらゆる食品タンパク質から補給される。また、他のアミノ酸を作り替えることによって体内でも合成できる。つまり非・必須アミノ酸である。
もし、皮膚がコラーゲンを作り出したいときは、皮膚の細胞が血液中のアミノ酸を取り込んで必要量を合成するだけ。コラーゲン、あるいはそれを低分子かしたものをいくら摂っても、それは体内のコラーゲンを補給することにはなりえないのである」

最近、よく宣伝されているコラーゲンを含んだ化粧品やサプリメントに物申す話である。
さらに「関節が痛いからといって、軟骨の構成材であるコンドロイチン硫酸やヒアルロン酸を摂っても、口から入ったものがそのままダイレクトに身体の一部に取って代わることはありえない。構成単位まで分解されるか、へたをすれば消化されることもなく排泄されてしまうのである」
と言っている。
これは、「高血圧は個性」のブログで主張したわたしの高血圧に対する塩分の見解と一緒で、生物(生命)を機械論的に捉えてしまっている弊害ではないかと思っている。

コラーゲンが不足したり、関節が悪くなったりするのはその成分が足りないからではなく、身体機能がそうなっているからなのだ。身体がそうあるべくようにそうあった結果なのだ。
では、足の痛みをなくしたり、肌を良くしたいと思ったらどうしたらいいのだろうか?
答えを今のわたしが持っているわけではないが、坐して栄養を摂ればいいということではないのだろう。
身体を動かすなり、生活習慣を変えるなり、なんらかの体質改善が必要なのではないかと思う。
もし何か気づきがあれば紹介したい。

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