河合隼雄はおもしろい。さっと読めて、しかも読み終わった後にしみじみ考えさせられる。政治ネタが続いたから軽い(人によってはそうでもないが)子育てに関するものを紹介しよう。
「父親の力母親の力」河合隼雄(講談社+α新書)より、抜粋を少々。
「私から見ると、苦労しない人生なんて、おもしろくもなんともないのではないかと考えてしまいます。
手間のかかることとか、面倒くさいこととか、そういうことを一つ一つやるおもしろさというものを理解してほしいと思うし、面倒を回避して生きていくのはおもしろくない人生なのだと、そのうちみんなわかりだすのではないかと思っています」
「苦労していないと幸せになれないということがあります。苦労するから幸せが見えてくるということもあります」
「ほかの子はできないのに、自分の子がピアノを弾けたら、(子どもの早期教育も)すごいことのように思うけれど、その子が四十歳、五十歳になったときにはどうかというふうに考えたら、高額のお金をかける意味がほとんどないとわかるでしょう」
「みんなが考えなおしてくれたら、もっと家庭が楽しくなり家族はもっと幸せになります」
「みんなで公立の学校へ行って遊んで、大学へ行くころからだんだんと頑張って勉強するというふうにしたら、学校生活はほんとうに楽しいものになります。教育に関して、いまの日本ほどお金のむだ遣いをしている国は、あまりないのではないでしょうか」
「結局、私たちとしては、『そんなに苦労して早い時期に子どもにあれこれやらせても、人間がそんなに幸せになるわけはありませんよ』ということを、あちこちで言いまわるより方法がないようです」
「『しょせん人生なんて、思いどおりにいかないもんだ』と達観できていれば、ちょっとぐらいのことではびくともしないけれど、いまの若い人たちは、自分の思いどおりにならないと、なにかがおかしいとか、とんでもないことが起こっているかのように思ってしまいます」
「いわゆる『いい親』とか『いい家』というのを演じすぎているし、いまの親たちは形式的な平和を求めすぎているところがあります」
「(非行事件をあつかっていると)子どもが非行を犯したことがきっかけで父母が自分たちの夫婦の問題や子どもへの接し方を考えなおし、かえって家族の絆を強めたり父親らしさ母親らしさを回復したりする結果となった事例に出会うことがあります」
「なにかとマイナス面があって苦労することがあっても、子どもというのは、自分が受け入れられていることがわかれば、ちゃんと育っていくものです」
「日本では、子どもが好むように育てることがいいことだと思ってしまいました。子どもが欲しがるものをなんでも与え、子どもがいやがることはやらなくてもいいとしてしまった。それが、子どもを自由にのびのび育てることだと勘違いしてしまったのです。
スポーツをするにも、一定のルールがあります。社会生活を営むのも同じです」
「一生懸命育てたらいい子ができると決まっているわけでもありません。いい子が必ずしも幸せになれるとはかぎりません。仕事を一生懸命やればお金がはいってきますが、子どもはそうはいきません。だからこそ、家族はおもしろいと思うのですが、なかなか葛藤があることをおもしろいとは思えない人が多いようです。むしろほとんどの人が、そういうのがないのがいい家庭だと錯覚しています」
「ままにならないことがおもしろい」
「三代くらいたつとそのパターンに合わない、あるいは合わせられることができない子どもが出てくることがあります。それが、そこの家でいうところの『厄介者』になるわけです。そして、じつはその子が改革へのきっかけを与えてくれるのです」
ねえ、なかなか含蓄に富んでいるでしょう?
「父親の力母親の力」河合隼雄(講談社+α新書)より、抜粋を少々。
「私から見ると、苦労しない人生なんて、おもしろくもなんともないのではないかと考えてしまいます。
手間のかかることとか、面倒くさいこととか、そういうことを一つ一つやるおもしろさというものを理解してほしいと思うし、面倒を回避して生きていくのはおもしろくない人生なのだと、そのうちみんなわかりだすのではないかと思っています」
「苦労していないと幸せになれないということがあります。苦労するから幸せが見えてくるということもあります」
「ほかの子はできないのに、自分の子がピアノを弾けたら、(子どもの早期教育も)すごいことのように思うけれど、その子が四十歳、五十歳になったときにはどうかというふうに考えたら、高額のお金をかける意味がほとんどないとわかるでしょう」
「みんなが考えなおしてくれたら、もっと家庭が楽しくなり家族はもっと幸せになります」
「みんなで公立の学校へ行って遊んで、大学へ行くころからだんだんと頑張って勉強するというふうにしたら、学校生活はほんとうに楽しいものになります。教育に関して、いまの日本ほどお金のむだ遣いをしている国は、あまりないのではないでしょうか」
「結局、私たちとしては、『そんなに苦労して早い時期に子どもにあれこれやらせても、人間がそんなに幸せになるわけはありませんよ』ということを、あちこちで言いまわるより方法がないようです」
「『しょせん人生なんて、思いどおりにいかないもんだ』と達観できていれば、ちょっとぐらいのことではびくともしないけれど、いまの若い人たちは、自分の思いどおりにならないと、なにかがおかしいとか、とんでもないことが起こっているかのように思ってしまいます」
「いわゆる『いい親』とか『いい家』というのを演じすぎているし、いまの親たちは形式的な平和を求めすぎているところがあります」
「(非行事件をあつかっていると)子どもが非行を犯したことがきっかけで父母が自分たちの夫婦の問題や子どもへの接し方を考えなおし、かえって家族の絆を強めたり父親らしさ母親らしさを回復したりする結果となった事例に出会うことがあります」
「なにかとマイナス面があって苦労することがあっても、子どもというのは、自分が受け入れられていることがわかれば、ちゃんと育っていくものです」
「日本では、子どもが好むように育てることがいいことだと思ってしまいました。子どもが欲しがるものをなんでも与え、子どもがいやがることはやらなくてもいいとしてしまった。それが、子どもを自由にのびのび育てることだと勘違いしてしまったのです。
スポーツをするにも、一定のルールがあります。社会生活を営むのも同じです」
「一生懸命育てたらいい子ができると決まっているわけでもありません。いい子が必ずしも幸せになれるとはかぎりません。仕事を一生懸命やればお金がはいってきますが、子どもはそうはいきません。だからこそ、家族はおもしろいと思うのですが、なかなか葛藤があることをおもしろいとは思えない人が多いようです。むしろほとんどの人が、そういうのがないのがいい家庭だと錯覚しています」
「ままにならないことがおもしろい」
「三代くらいたつとそのパターンに合わない、あるいは合わせられることができない子どもが出てくることがあります。それが、そこの家でいうところの『厄介者』になるわけです。そして、じつはその子が改革へのきっかけを与えてくれるのです」
ねえ、なかなか含蓄に富んでいるでしょう?
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