この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

政治とカネ

2010-01-26 15:30:27 | 意見がありますけど
以前に読んだ佐高信「わたしを変えた百冊の本」(実業之日本社)に政治献金に関するものがあったので引いてみよう。
これは52番目の本として紹介している秋元秀雄著の『小説経団連』(読売新聞社)についてである。

【この小説の主人公は〝財界の政治献金部長〟と呼ばれた花村仁八郎である。経団連の事務総長から、のちに副会長になった花村は「経団連事務局は花村色の強い花村商会だ」と、ある職員が言うほど、経団連(事務局)とは切っても切れない人物で、たとえば、〝花村リスト〟というのがある。秋元の小説を裏づけるように、花村は『政財界のパイプ役半世紀』(東京新聞出版局)という回顧録で、政治献金の割り振り表は、基本的には会社の資本金、自己資本、利益、当面の利益予想などを基準に三十から四十に細かく分類したリストを参考にしたと言い、「昭和四十年代半ばまでは鉄、電力、銀行、自動車、家電のいわゆる〝五家〟が献金額全体の約半分を引き受けてきた」と語っている。

「保革逆転」の可能性が取り沙汰された1974年夏の参院選では、約百億円を選挙費用として献金したが、当時の自民党総裁・田中角栄から直接、花村に、「とても足りない。もっと増額して欲しい」という電話があり、百六十億円を追加した。合計二百六十億円。当時としても「かなりの額」だった。
それでは『小説経団連』から、作者の秋元はもちろん、モデルの花村もその「事実」を否定しなかったある場面を引こう。

三木武夫内閣下の74年12月の某日、自民党幹事長だった中曽根康弘と財務委員長の小坂善太郎が、参議院議員で元新日鐵社長の、と言うより、〝財界の政治部長〟と言われた藤井丙午に相談を持ちかけた。そして、年末までにどうしても十六億円いるんです。と言われた藤井は、その場で土光敏夫(経団連会長)に電話をかけ、小坂を含めた三人で経団連に土光を訪ねる。

三人の訪問を受けると、土光は花村を呼び、「経団連は政治献金から一切手を引く」と繰り返し発言して花村をとまどわせたことなど、まったく忘れたかのように、こう言う。
<「花村君、党の越年資金のことなんだが、どうしても十六億円いるんだ。藤井さんまで一緒に来られているし、この金はなんとか調達しないとね。ぼくは政治献金の方はよくわからないから、きみが按配してくれ」>

花村は自分の耳を疑うほどビックリしたが、驚いてばかりもいられない。この後、急いで藤井と相談し、藤井が、新日鐵会長で土光の後に経団連会長になる稲山嘉寛に頼んで四億円出させ、残りの十二億円は花村が、当時の六大商社に二億円ずつ割り当てた。六大商社への割り当ては、三菱商事の会長だった藤野忠次郎がやったとも言われる。と秋元は書いている。まことにナマナマしいカネの動きである。この構造は今も変わっていないのだろう】

なんという凄まじい世界であることか。土光にしても。こんなことが日常茶飯事だったのか。自分があまりにウブだったと恥じるばかりである。

自民党に流れた巨億の政治献金が、また、官僚を通して政治から財界に還流する。この構図は永久に止まないだろう。そして今、政権奪回を果たした民主党にも同じように流れ込んでいくのだ。利益に群がる餓鬼共から。もちろん、表立って企業・団体献金禁止となっているから、決して表面からは見えない。彼らにはいくらでも裏の手はあるのだ。
素人のわたしには窺い知れないが。
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