この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

命をかけたダイエット

2020-06-14 07:30:00 | 死ぬまでは健康でいたい
自粛中に体重が増えてしまった。少し食事を考えないといけない。
ちょっと前の話だが、「糖質制限ダイエット」とか「絶糖生活」というタイトルの本がやたらと目についた。
これまでいろんなダイエット法が現れては消えている。ひとつひとつ上げてみるのも面白いだろうが、終わってしまったものを追っても仕方がない。

かつて、1970年頃、アメリカのロバート・アトキンス博士という人が「アトキンスダイエット」を提唱し、ブームになったことがあった。(わたしは知らない)
アトキンス博士は、自らのダイエット法で当初116kgの体重を7~80kgまで落としたという。116kgもあったというのも驚きだが、のちに凍結した道で転んで亡くなっている。その時の体重が117kgだったという笑えない話になっている。

また、日本で1990年代に宮本美智子という女性作家が「世にも美しいダイエット」という本を出して大ベストセラーになったことがあるらしい。(やはり記憶にない)
このダイエット法は糖質を30%以下に制限する一方、脂質や塩分は一切制限しないというものだった。カロリー計算とか面倒なことをカットしたことが受けたのかもしれない。

ところが彼女は1996年に脳出血で倒れ、約1年後に多臓器不全で亡くなっている。
脂質の大量摂取と塩分の無制限の摂取で高血圧になったのだろう。動脈ももろくなって脳出血に至ったに違いない。51歳の若さだったらしいが、自業自得とはいえ悲惨な話である。これに乗せられて健康を害したり、命を失ったりした人がいたとすれば問題だ。

糖質を制限して、脂質を取り放題という考えは沖縄の歴史をひも解けばすぐに間違いだとわかる。
かつて沖縄は長寿日本一を誇った。
それはわたしたちのおじい、おばぁたちのお陰だったのである。粗食のかれらはスリムで健康だった。お米は不十分で、芋や芋の葉(カンダバー)を常食にしていた。たんぱく源になるのか知らないが、アフリカマイマイ(カタツムリ)も食べていた。豚肉は大変貴重で盆と正月の特別な日だけしかお目にかかれない。
結果的にそれが長寿の秘訣だったのである。

戦後、1952年サンフランシスコ条約で沖縄は米軍統治下となった。民主化の闘いはまた別の話になるが、アメリカの文化が良きにつけ悪しきにつけ押し寄せてきた。
コカ・コーラやペプシコーラ。ポークランチョンミートにコンビーフハッシュ。A&Wのファーストフードやステーキと、アメリカ化が広がった。
かくして、戦後生まれのほとんどは大きな太鼓腹を抱えるようになって、長寿の看板を降ろさざるを得なくなった。

「世にも恐ろしい『糖質制限食ダイエット』」(幕内秀夫著/講談社+α新書)によると、 穀類や芋類などの炭水化物には糖質のほかに水分、タンパク質、脂質、食物繊維などや、ビタミンやミネラルの微量栄養素も含まれていて、「複合炭水化物」と呼ばれている。仮にこれを「複合糖質」と呼んでおくと、これに対して糖質ほぼ100%の白砂糖の「精製糖質」がある。これは工場内で苛性ソーダなどを使って精製していくのだが、この「精製糖質」こそ制限した方がいいと著者は言っている。

先にあげたダイエット法をはじめあらゆるダイエットはこの白砂糖の制限を口にしない。糖質ダイエット唱えるなら、まずケーキや菓子パンを真っ先にやり玉にあげなくてはいけないはずだが、やはり売れないと困るのだろう。みんなが止められない甘いものには甘かった。

基本的にダイエットというのは経営で言われる「入(い)るをもって出(いづる)を制す」の教えになるだろう。順序は逆になるが、出(代謝量)から入る(摂取量)を制するということだ。食べ過ぎれば太る。摂取を減らすか、基礎代謝を上げるかである。
カタカナ食を避けて、昔のおばぁたちのような粗食に努めればモデルの体というより病気に負けない健康な身体づくりになるだろう。

やっぱりモデル体型の方がいい?

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