この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

余命半年Ⅱ

2020-11-24 07:07:07 | つれづれ記
続きものではないが、その後が気になった人もいるかもしれないから、後編をのせよう。

一銀堂の葬儀は無事に終わった。
師匠と同期会の前幹事長および現幹事長の鳩首会議で10人ぐらいに絞ったと連絡があった。
お別れしたいというのをお断りするなんて、まったくもって迷惑な新型コロナである。

一銀堂の父親は彼らが幼いころに女をつくって出奔、行方知れずになった。母親は3人の子供を抱えて苦労したらしい。一銀堂も県下一の進学校に通っていたが、母親の苦労を思いやって卒業してすぐ働きに出た。弟は自分を大学まで行かせてもらった恩義にずっと感謝していた。
母親が亡くなったのはいつ頃だったのかよく知らない。おそらく20代の頃だろう。

そして30代の頃。一銀堂の父親が戻ってきたことを聞いた。
転がり込んだ先の愛人の連れ子が大きくなって、おそらく持病もあったのだろう。年老いてきた赤の他人の義父なんかの介護はできないと叩き出されたらしいのだ。
まさに「父帰る」である。一銀堂の内心は知らないが、ちゃんと最後まで面倒を見ている。ほどなく亡くなったと思う。

遺伝子を引いた彼も同じ道をたどったのは前回書いたとおりだが、一銀堂の場合はちょっと違った。奥さんのタカコさんが相手の家に堂々と迎えに行ったのである。おとなしいがしっかりものの年上女房の面目躍如と言ったらいいのか。
その後酒は止めなかったが、女遊びは無くなったと思う。(ああ、浮気はちょっと耳にしたなぁ)
まぁ、ちょっと問題があったかもしれないが、弟や妹は彼を尊敬してやまない。彼が何か言うと正座して聞くという風があった。
元気なうちにと、妹夫婦や東京に住む弟夫婦を呼んでお別れの食事会まで済ませたようだ。

また、自分の葬儀についても甥っ子の車で回って葬儀社や段取りを決めている。
朝から昼までの日程になるのを見越したのだろうか。香典返しのほかに弁当の仕出しを付けることまでしていた。
さらに友引に葬式をやらないようにと遺言してあったようで、17日午後に亡くなったら、2日後あたりに葬儀はできるのだが、19日が友引にあたっていたので20日にずらしたとタカコさんは言っていた。
このように沈着に自分の死を準備する強い心を持った男だったのである。少々の女癖の悪さは目をつぶってあげよう。合掌。

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