この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

競馬ツールの大進化

2021-05-22 08:06:30 | たかが競馬、されど競馬
「88KK」を閉めて・・・ということでもないが、昭和61(1986)年にわたしはカミさんと1歳半の娘を連れて沖縄に戻った。
なんとか転職先を見つけて落ち着いたら、競馬をしたい師匠とわたしは困った。
競馬をやる手立てがまったくなかったのだ。電話投票権はあるが競馬新聞も何もなかった。
あるとき師匠が空輸されるスポーツ新聞が書店の店頭に並ぶことを発見した。3時過ぎに届くようだった。これを買えばメインレースはぎりぎり間に合う。

必要は発明の母というか、そのうちスポーツ新聞を東京から取り寄せている取次店を見つけた。そこへ行けば12時過ぎに手に入れられる。
前島の住宅街にあるアパートの1階だったが、待っていると空港からハイエースで運び込んでくる。
各配達人たちが忙しく分け合う中から金を払って抜き取るのだ。これなら特別3レースが買えた。

こうして特別3レースまで克服できるようになったのだが、結果を知るのは翌日のスポーツ新聞まで待たなければならなかったが、ただ、電話投票の配当支払いの音声で当たったか外れたかだけはわかった。
そのうちラジオ短波でレース中継が聞けることを知った。師匠とさっそく短波の入るラジオを買って土・日の午後一緒に聞いた。
天気のいい日は問題なかったが、音声がうねって途切れることおびただしかった。ザーザーと雨降りのようで聞き取れないことも度々。
ゴール前でそうなるとどうしょうもない。もやもや感を翌日まで引きずっているのだ。

そのうち仲良くなった配達員と契約して競馬新聞や専門誌を自宅まで届けてもらうことができるようになった。前日夕方には手に入るので買おうと思えば全レース買えるようになった。
その頃だったか、もう少し後だったかよく覚えていないが、グリーンチャンネルが地元ケーブルテレビで見られることになった。41、2歳の誕生日にカミさんからプレゼントしてもらったから、平成5(1993)年頃だろうか?競馬三昧に浸るわたしを見て後悔したことだろうが。

最初の電話投票権は10万円の定期預金で拘束されていたし、その上残高がないといけない。今でこそみずほ銀行那覇支店があるし、コンビニでほぼ全国の銀行と取引できるが、それまでは高い手数料を払って自分の口座に地銀から振り込まなくてはならなかったのだ。
それから10万円の拘束がなくなったIPAT会員ができ、そうして今は即PATの会員になっていて土日の急な入金もできるようになった。便利になったよねぇ。

そして現在はJRA-VAN+レーシングビュアー(計1430円)を利用しているので、ずいぶん前から競馬新聞が要らなくなった。現在競馬新聞が幾らなのか知らないが、わたしが買っていた頃の400円としたら月に6400円も払わなくてはならないところだ。コストパフォーマンスはgoodだし、ダイニングテーブルの上が競馬場になっている。ずいぶん進化したものだ。

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