この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

幸多かれと祈る

2010-05-25 17:50:14 | 人はなぜ生まれ、そして死んでいくのか
「人生に奇蹟をもたらす七つの法則」(ディーパック・チョプラ/岡野守也訳/PHP出版)という本に、第二の法則として「与えることの法則」というのがある。
ディーパック・チョプラは米国カリフォルニアに住むインドの伝統医療アーユルヴェーダと西洋医学を統合した心身医学の著名な医師であり、瞑想家である。

「宇宙はダイナミックな交換によって働いている・・・・・。与えることと受け取ることは、宇宙のエネルギーの流れの異なった側面である」
「あらゆる関係は、一種のギブ・アンド・テイク(与え受けとること)」であり、「あなたは、与えれば与えるほど受け取ります」という。
また、「実際、自分が望むものを手に入れるもっとも簡単な方法は、他の人が望むものを手に入れる手助けをすることです。この法則は、個人間であれ、会社であれ、社会であれ、同じように、効果的に作用します。あなたが人生のあらゆるよいものによって祝福されたいのなら、黙って人生のあらゆるよいものによってすべての人を祝福することを学ぶことです。
与えようと思ったり、祝福しようと思うだけでも、あるいは<ただ祈る>だけでも、人に影響を与える力になります。(後略)」

「『与えることの法則』を機能させる最善の法則は、あなたと関われる人が誰であれ、いつもその人に何かをあげると決めることです。
それは、物のかたちではなく、花でも、ほめ言葉でも、あるいは祈りでもいいのです。思いやり、注目、愛情、評価、そして愛といった贈り物は、あなたが与えることのできるもっとも素晴らしい贈り物であり、それにはお金はまったくかかりません。誰かに会う時、あなたは、黙って彼らに祝福を送り、幸福、喜び、そして笑いを祈ってあげることができるのです」

「与えることの法則」を実行すれば、わたしは欲しいものが得られるというのだ。
「お金」が欲しいなら「お金」を、あなたのまわりの誰にでも与えることである。「お金」がなければ、手近にあるものなら何でも、メッセージや詩を書いたカードでもいい。何もなければ、「感謝の気持ち」や「相手の幸せを祈る」ことだっていいのだという。
じつはわたしは、相手をこき下ろすことを得意にしてきた。テレビに出るタレントに毒づいたり、それほど酷くはないのにブスと言ったり、相手を下げることで自分の位置が幾らかでも上がるかのように勘違いしていたのである。

ディーパック・チョプラはそうではないと言う。
彼らの幸福を願い祝福することは、わたしの幸福になるというのだ。確かに、彼らの不幸はわたしの幸せにならないが、「かれらの幸せ」に寄与すること、もしくは願うことが「わたしの幸せ」につながると言っているのである。
それはそれで驚きだ。すくなくとも、かれらの幸せを願うことでわたしが損をすることは、まずない。逆も真なりで、かれらが不幸になればわたしが幸せになるということもない。
わたしが失うものは何もない。ディーパック・チョプラを信じて、大いに「与えることの法則」を実践しようと心に決めた。

トイレットペーパーがなくなっても補充しない。起こしてもなかなか起きない。コップや食べたものを出しっぱなし、勉強しない。
後片付けをすぐやらないし、「疲れた。疲れた」と口癖がうるさい。椅子でうたたねするのをいくら注意しても平気。なら、肩が痛いとか腰が痛いとか言うな!
失業して家の中でごろごろして、真っ昼間から酒を飲んで真っ赤な顔していい気になっている。平気で大きなオナラをするし、いびきがうるさくて眠れない。等等。
考えてみれば日常生活の中でお互いに不満があふれ返って、いつのまにか地獄へ落ちてしまえとばかりに相手の不幸を願うようになってきていた。
一番その幸せを願っていいはずの彼らにである。

私が「沢尻エリカ」の報道を見て、「下がり尻エリカ」と名付けて溜飲を下げても何にもならない。彼女が芸能界から干されてもわたしには一文の得にもならない。むしろ彼女の再出発を願うことがわたしの幸せにつながるというのなら、お安い御用だ。いくらでも彼女の幸せを祈りたいと思う。お幸せに。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本中がウロたえ過ぎ | トップ | こんな政治だけど・・・。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

人はなぜ生まれ、そして死んでいくのか」カテゴリの最新記事