例によって家族の諸々や病気の話です。
無理強いするつもりはありませんので、読んでも嫌悪感を持たれそうな方は、ここでお帰り下さい。本文はずっと下にあります。
今日、北陸地方を中心に「春一番」の報せがあったそうです。
立春を過ぎて、季節はちゃんと約束を果たしつつ進んでいるようですね。
さて、昨夜は、テレビで津波注意報関連のニュースが流れる中、またまた、予期せぬ出来事があった我が家でした。
金曜日からずっと「変調」(?)をきたしていた二男ですが、5日(火)の晩には、さすがに疲れたのか、けっこう眠ったようであり、昨日は日中も施設でご機嫌の表情だったようでした。
いつも接してくれていた男性の職員さんがいなくなり、たぶん、新顔の職員さんは「様子見」から徐々に関わりを増やしているだろうと思われ、そんな中での二男の「ぽっかり感」を埋めるべく、妻はCDを持たせたようですが、それもよかったのかも知れません。
4日間、私も妻もいろいろと気をもんで疲れていました。
特に病気療養中の妻にとっては、このような気苦労は絶対「ご法度」なのですが、今回は二男の不眠行動に付き合わされて、ろくに眠れず、気が付いたら心身ともにけっこうなダメージだったようです。
夕食後、いつものように横になった妻から「ちょっと背中を摩って!なんか息苦しい」とヘルプがあり、しばらく背中を摩っていましたが一向に改善しません。
息苦しさはさらに増し、手足のしびれも酷くなってきて、全身の硬直へ移りつつあるように思えました。こういう症状は初めてのことでした。
時刻は午後7時30分を過ぎていて、通院している病院に電話しても、当然ながら「5時を過ぎているので・・・」と、一向に埒(らち)が開かず、そうこうしている間にも苦しさは増し、「・・・もういかん。もっと苦しくなってきた・・・救急車を呼んで!」と訴えるので、先日、三男の病気で要請したばかりでしたが、またも救急車を呼ぶ事態となりました。
幸いなことに(???)我が家は消防署のすぐ近所。
電話で状況説明している間に、救急隊員の方が開け放した玄関から入って来られました。
二男を一人家に残して私が救急車に同乗することは無理であることを伝え、救急車が経ったあと、風呂上がりの二男に急いで外出支度をして病院に向かいました。
妻は「過換気症候群」と診断されました。
救急病棟で1時間半ほど過ごして帰宅することができました。
症状は治まりましたが「一人でいると不安」と言ってるし、仕事のドタキャンは仲間に迷惑をかけるので、昨夜のうちに、仕事仲間と副ボスには「明日、欠勤」の伺いを伝えておきました。
帰宅後は、早々に妻と二男を寝かせ、残った時間は「奥の院」で音楽を聴こうと思えば聴けたのですが、もし再び過呼吸の発作が起こったら防音部屋に籠っている私には声は当然届かないということもあり、何も聞かずに床に入りました。
ということで、今日は本来なら一週間で(それなりに)一番忙しい木曜日でしたが、在宅で妻の見守りと家事一般をして過ごしていました。
実は、この4日間の疲れ以外にも、妻が心を悩ます(不安になる)事案がいくつかありました。そのことによる不安感が払拭されないうちに今回の二男の異変が起こり、いくら「ちょっと上り調子」になっていたとはいえ、現在のキャパシティでは受け止めきれなくなったのかも知れません。
「ずいふん(できることが)落ちてしまった・・・」とは今朝の妻の弁。また、少し後退したところからやり直しです。毎度のことですけどね。
それにしても、二男の復調ぶりは見事でした。昨夜も救急の待合に居る間、ずっと落ち着いてニコニコ顔でした。前の席に座っている3人の女性が、いろいろな病気の話でゲラゲラと盛り上がっていましたが、二男は、その方たちの笑い声に呼応して、いっしょにゲラゲラ笑ったり、看護師さんの「○○さぁ~ん」の呼び声に、いちいち「はいっ」と応えたりして、ふだんの上機嫌の状態に戻っていました。夜の病院行きも、むしろ、突然の暗闇への外出を喜んでいるみたいなところもあり、夜空を見上げては「ほし、ほし・・・」と何度も呟いていました。今よりもっと語彙が豊かだった10代の頃に少し戻ったような感じがしました。そして今朝、久しぶりに睡眠中に排便してたのを見て、やはり、ちょっと昔にもどったのかな???なんてあらためて思いました。
無理強いするつもりはありませんので、読んでも嫌悪感を持たれそうな方は、ここでお帰り下さい。本文はずっと下にあります。
今日、北陸地方を中心に「春一番」の報せがあったそうです。
立春を過ぎて、季節はちゃんと約束を果たしつつ進んでいるようですね。
さて、昨夜は、テレビで津波注意報関連のニュースが流れる中、またまた、予期せぬ出来事があった我が家でした。
金曜日からずっと「変調」(?)をきたしていた二男ですが、5日(火)の晩には、さすがに疲れたのか、けっこう眠ったようであり、昨日は日中も施設でご機嫌の表情だったようでした。
いつも接してくれていた男性の職員さんがいなくなり、たぶん、新顔の職員さんは「様子見」から徐々に関わりを増やしているだろうと思われ、そんな中での二男の「ぽっかり感」を埋めるべく、妻はCDを持たせたようですが、それもよかったのかも知れません。
4日間、私も妻もいろいろと気をもんで疲れていました。
特に病気療養中の妻にとっては、このような気苦労は絶対「ご法度」なのですが、今回は二男の不眠行動に付き合わされて、ろくに眠れず、気が付いたら心身ともにけっこうなダメージだったようです。
夕食後、いつものように横になった妻から「ちょっと背中を摩って!なんか息苦しい」とヘルプがあり、しばらく背中を摩っていましたが一向に改善しません。
息苦しさはさらに増し、手足のしびれも酷くなってきて、全身の硬直へ移りつつあるように思えました。こういう症状は初めてのことでした。
時刻は午後7時30分を過ぎていて、通院している病院に電話しても、当然ながら「5時を過ぎているので・・・」と、一向に埒(らち)が開かず、そうこうしている間にも苦しさは増し、「・・・もういかん。もっと苦しくなってきた・・・救急車を呼んで!」と訴えるので、先日、三男の病気で要請したばかりでしたが、またも救急車を呼ぶ事態となりました。
幸いなことに(???)我が家は消防署のすぐ近所。
電話で状況説明している間に、救急隊員の方が開け放した玄関から入って来られました。
二男を一人家に残して私が救急車に同乗することは無理であることを伝え、救急車が経ったあと、風呂上がりの二男に急いで外出支度をして病院に向かいました。
妻は「過換気症候群」と診断されました。
救急病棟で1時間半ほど過ごして帰宅することができました。
症状は治まりましたが「一人でいると不安」と言ってるし、仕事のドタキャンは仲間に迷惑をかけるので、昨夜のうちに、仕事仲間と副ボスには「明日、欠勤」の伺いを伝えておきました。
帰宅後は、早々に妻と二男を寝かせ、残った時間は「奥の院」で音楽を聴こうと思えば聴けたのですが、もし再び過呼吸の発作が起こったら防音部屋に籠っている私には声は当然届かないということもあり、何も聞かずに床に入りました。
ということで、今日は本来なら一週間で(それなりに)一番忙しい木曜日でしたが、在宅で妻の見守りと家事一般をして過ごしていました。
実は、この4日間の疲れ以外にも、妻が心を悩ます(不安になる)事案がいくつかありました。そのことによる不安感が払拭されないうちに今回の二男の異変が起こり、いくら「ちょっと上り調子」になっていたとはいえ、現在のキャパシティでは受け止めきれなくなったのかも知れません。
「ずいふん(できることが)落ちてしまった・・・」とは今朝の妻の弁。また、少し後退したところからやり直しです。毎度のことですけどね。
それにしても、二男の復調ぶりは見事でした。昨夜も救急の待合に居る間、ずっと落ち着いてニコニコ顔でした。前の席に座っている3人の女性が、いろいろな病気の話でゲラゲラと盛り上がっていましたが、二男は、その方たちの笑い声に呼応して、いっしょにゲラゲラ笑ったり、看護師さんの「○○さぁ~ん」の呼び声に、いちいち「はいっ」と応えたりして、ふだんの上機嫌の状態に戻っていました。夜の病院行きも、むしろ、突然の暗闇への外出を喜んでいるみたいなところもあり、夜空を見上げては「ほし、ほし・・・」と何度も呟いていました。今よりもっと語彙が豊かだった10代の頃に少し戻ったような感じがしました。そして今朝、久しぶりに睡眠中に排便してたのを見て、やはり、ちょっと昔にもどったのかな???なんてあらためて思いました。
ご心配かけていました二男も、ようやく笑顔が多くみられる生活に戻ってきました。
まあ、入れ替わるようにカミさんが落ちてしまいましたが・・・・タイミングも悪かったですしね。
また「日にち薬」です。