静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

中学生の一時期に、ギターを練習していたこと

2015年07月17日 22時17分32秒 | 履歴書(昔話、音楽など)
 中学生時代の一時期、クラシック・ギターに熱中していました。
 写真は、その時期に買ったギター本(楽譜)です。
 2冊はNHKのテキストです。1冊150円也。
 2年間くらいやっていた記憶があったのですが、調べたら3年生の春から、わずか1年間足らずだったようです。(1972年4月~73年3月)

 当時、ギターのレッスンに通い始めた友人に影響され、彼に教えてもらった「ギター教室」(教育テレビ)を2回目くらいから見だして、TVを先生として、がんばって弾いていました。
 買ってもらったギターはヤマハのC-150でした。

 教育TVのレッスンは進度が速くて、ついていけませんでした。
 特に後期(10月~3月)は、いきなり難易度高い曲からスタートで、もうほとんど見ませんでした。
 そのかわり、買ってきたギター本の楽譜(写真右の2冊)から弾けそうな曲を選んで練習していました。
 弾いていた期間は、たったの1年ですから、本当に初心者でしたが、「楽しい農夫」やバッハの「目覚めよと呼ぶ声あり」などを、明倫商店街の3階でひとり黙々と弾いていました。

 学校では、当時新設されたばかりの週一必須クラブではギター・クラブに所属し、文化祭では3年生トリオだったかクァルテットだったかでステージ発表しました。
 下級生たちはみんなでフォスターの曲か何を合奏していましたので、ちょっぴり優越感と言うか、うれしかったのを憶えています。
 2月頃に行われた市の連合音楽会では、最後の全員合唱の伴奏隊の一員として特別出演(?)し、観光文化会館の通路にずらりと並んでギターを弾きました。
 でも、あのギターの音、どこまで聴こえたんだろうか???

 そのころ私は「将来は音楽に関係した仕事に就きたい」と強く思っていて、そのためにもピアノを習いたいと願っていました。
 父も、「置ける場所さえあれば、いつでも買ってあげる」と言ってくれていましたが、当時住んでいた商店街(借家)では、スペースの面からも強度の面からも、とてもピアノは置けませんでした。
 しかし、私の高校進学の年に間に合わせるかのように、父は別場所に自宅を建て、同時にピアノも購入してくれました。
 あのタイミングで、父が持ち家を建てようと決めたのは、私が「音楽に関する仕事をしたい」と言ったからなのか、今となっては分かりませんが・・・。
 レッスンに通うようになり、当然、ギター用に伸ばしていた爪も切らなくてはならず、何よりもピアノの練習が中心になりましたので、必然的にギターとはさよならすることになったのです。

 ギターとはたった1年間だけのお付き合いで終わってしまいました。


  ピアノの話とかは後日書く予定です・・・・。


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