昨日は、三男リュウの「高等部進路懇談会」でした。
参加者は、市の障がいあゆみ課(旧福祉課)、児童相談所、障がい者総合相談支援センターから各1人、リハビリセンターから3人、学校から担任を含めて3人、父親(私)、本人(リュウ)の計11人。
リュウは開始後10分ほどで、センター病棟の方に「下校」しました。
話し合われた内容は、主にリュウの将来のことについて(進路懇談会なので、当然ですが)、そのほか。
我が家の状況については、参加者の皆さんには周知のことです。
親としての勝手な願いということで言ったことは、とりあえず高等部卒業までは学校で過ごさせたい、そして、卒業後はブランクを空けずに、リュウにとって最も適当と思われる施設に入所させたい、ということでした。
障がいのある子がいる家庭では、親の高齢化などに伴って施設入所するのが一般的なのでしょうが、前にも書きましたが、二人の障がい者をかかえる我が家の場合は少なくとも1人は早い時期に入所させた方がいい、誰もがそのようにおっしゃいます。
ましてや、両親が二人とも病気治療中で、妻の方は「絶対治る」病気ではありますが、私は「5年生存率40パーセント、平均余命2年半」とか言われていますから、やはり、早いうちに道筋をつけてやらないといけない訳です。
施設入所は「待機」をかけて順番待ちですから、卒業して間をおかずに入所、なんてことはほぼ無理な話で、在学中から「待機」をかけて、空きができた時点で、学校を中退して入所する、というケースが一般的です。
リュウの場合も、たぶん、その方向で話を進めることになるでしょう。
じゃあ、どのタイミングで待機をかけるのか?
もう、本当に目の前のことになってきました。
「卒業までは学校生活をさせたい」、それは本当に勝手な願いでしかありません。
ですが願いは願いなので申してきました。
懇談後は場所を移して、担任の先生と二人だけで1学期の個別懇談会。
リュウのいろいろを聞かせてもらい、また私の方からもいろいろとお話してきました。
昨年の3月以来、急に環境が変わった中に放り込んだリュウですが、こうやって以前と変わらずニコニコと元気に過ごしていることの感謝もお伝えしました。
今日から当地は祇園祭。
子どもみこしの掛け声や音が響いていました。
11年前の今日は、このブログを書き始めた日。
今日と同じ祇園祭の日でした。
子どもみこしの掛け声を聞きながら仕事の残りに追われながら、なんとなく始めたブログも、のらりくらりと12年目へ突入です。
追記・・・余命について書きましたが、あくまでも一般的に書かれていたり、主治医が説明の中でおっしゃったりしたことで、(余命は)人により様々です。私は、そんなに早くオサラバするつもりはさらさらありませんが、あらゆる可能性に対応できる準備だけはしておかなければなりません。
参加者は、市の障がいあゆみ課(旧福祉課)、児童相談所、障がい者総合相談支援センターから各1人、リハビリセンターから3人、学校から担任を含めて3人、父親(私)、本人(リュウ)の計11人。
リュウは開始後10分ほどで、センター病棟の方に「下校」しました。
話し合われた内容は、主にリュウの将来のことについて(進路懇談会なので、当然ですが)、そのほか。
我が家の状況については、参加者の皆さんには周知のことです。
親としての勝手な願いということで言ったことは、とりあえず高等部卒業までは学校で過ごさせたい、そして、卒業後はブランクを空けずに、リュウにとって最も適当と思われる施設に入所させたい、ということでした。
障がいのある子がいる家庭では、親の高齢化などに伴って施設入所するのが一般的なのでしょうが、前にも書きましたが、二人の障がい者をかかえる我が家の場合は少なくとも1人は早い時期に入所させた方がいい、誰もがそのようにおっしゃいます。
ましてや、両親が二人とも病気治療中で、妻の方は「絶対治る」病気ではありますが、私は「5年生存率40パーセント、平均余命2年半」とか言われていますから、やはり、早いうちに道筋をつけてやらないといけない訳です。
施設入所は「待機」をかけて順番待ちですから、卒業して間をおかずに入所、なんてことはほぼ無理な話で、在学中から「待機」をかけて、空きができた時点で、学校を中退して入所する、というケースが一般的です。
リュウの場合も、たぶん、その方向で話を進めることになるでしょう。
じゃあ、どのタイミングで待機をかけるのか?
もう、本当に目の前のことになってきました。
「卒業までは学校生活をさせたい」、それは本当に勝手な願いでしかありません。
ですが願いは願いなので申してきました。
懇談後は場所を移して、担任の先生と二人だけで1学期の個別懇談会。
リュウのいろいろを聞かせてもらい、また私の方からもいろいろとお話してきました。
昨年の3月以来、急に環境が変わった中に放り込んだリュウですが、こうやって以前と変わらずニコニコと元気に過ごしていることの感謝もお伝えしました。
今日から当地は祇園祭。
子どもみこしの掛け声や音が響いていました。
11年前の今日は、このブログを書き始めた日。
今日と同じ祇園祭の日でした。
子どもみこしの掛け声を聞きながら仕事の残りに追われながら、なんとなく始めたブログも、のらりくらりと12年目へ突入です。
追記・・・余命について書きましたが、あくまでも一般的に書かれていたり、主治医が説明の中でおっしゃったりしたことで、(余命は)人により様々です。私は、そんなに早くオサラバするつもりはさらさらありませんが、あらゆる可能性に対応できる準備だけはしておかなければなりません。
余命については、誰でも実はわからないことですので、色々な準備はしておくけれど、明日はこれをしよう、明後日はあれをしようという希望が、大事なように思いますね~(^o^)/
ということで、淡々と日々を送ることを念じておりまする(^o^)/
またも、返事が遅くなり申し訳ありません。
>色々な準備はしておくけれど、明日はこれをしよう、明後日はあれをしようという希望が、大事なように思いますね~
全く、仰せの通りですね。
実務的な備えは、それなりに見通しを持って対応しますが、日々の生活は今までと何ら変わらず、小さな幸せ、小さな喜びを実感しつつ過ごしている、という感じです。