今日、7月9日は朝比奈隆氏の誕生日です。1908年(明治41年)の今日、氏は生まれました。ということで、今回は朝比奈氏の思い出を少し・・・・。
彼を初めて聴いたのは1973年11月。大阪フィルの伊勢公演でした。そのときの様子は、拙ブログの裏横丁にちょこっと記しております。
以下、コピペ御免。
大阪フィルハーモニー交響楽団 伊勢演奏会
1973.11.22
曲目
グリンカ/「ルスランとリュドミーラ」序曲
ドボルザーク/チェロ協奏曲(vc:岩崎洸)
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
会場:伊勢市観光文化会館
それまでのコンサートとは比較にならない程感動した演奏会。
オーケストラ音楽の醍醐味に思いっきり浸った日でした。
前二回のオケ体験も一気にかすんでしまう、そんな演奏会でした。
朝比奈氏は、舞台への登場からして絵になる人でした。
一曲目の「ルスランと・・・」から豪快なオケのパワーに圧倒され、「悲愴」での怒涛の打楽器群に至って、興奮は頂点に。
第3楽章山場でのテンポ変化も「ええ~っ、でも、すご~~い!!」って感じで納得してました。
第3楽章が大音響で終結した後、「ふぅ~~~。」とため息がもれました。
チェロ協の方は・・・あまり印象に残っていません。
アンコールはたしか「アンダンテ・カンタービレ」だったような?
楽屋口でパンフにサインをお願いすると、写真を見て「さえない顔だねぇ。」とかおっしゃられて、その後、道路をへだてて向いの近鉄宇治山田駅の方へあの歩調で悠々と歩いていかれました。
長いコートがカッコ良くて、友人達と見惚れていますと、サインをもらっていない人が全速力で追いかけていきました。
朝比奈&大フィルは前年か前々年にも伊勢に来ていましたが、その時は聴いていませんでした。
この日以来「朝比奈隆」は、私の最も注目すべき指揮者の一人として記憶されたのです。
とにかく、すごいインパクトのコンサートでした。それまでに京響や東京フィルを聴いてはいましたが、大阪フィルは、何と言うか、語弊があるかも知れませんが「男のオーケストラ」って感じがしたものです。ダンディで力強くて渋くて。ティンパニの八田さんの存在感、ざっくりとした弦のアンサンブルと見た目(?)。萌えましたねぇ、当時は。
上の写真は、その時に頂いたサインです。サインをもらえるなんてことは想定していなかったので、何にも持っておらず、パンフの裏に友人の万年筆を借りて書いていただきました。
その後、朝比奈氏のコンサートには何度も行きましたが、結局、サインをいただいたのはこの時が最初で最後になりました。
二度目に聴いたのは1975年。大フィル渡欧前の名古屋公演でした。「ローマの噴水」とブルックナーの7番。いずれも欧州公演の曲目でした。この時の話は何度も書いている気がするので今回は省略します。でも、この時の演奏もよかった!
そして私は1976年4月より大阪の某大学に通うことになります。大学在学中の4年間は大フィルの定期や特別演奏会によく行きました。これも前に書きましたが、大フィル定期は学生はタダ(無料)だったのです。森之宮のなんとか会館に座席券をもらいに行かなくてはいけませんでしたが・・・。でも、最初に聴いた大フィル定期は、ちゃんとチケットを買いました。
曲目はリストの交響詩「前奏曲」とマーラーの「復活」。
初めての大フィル定期。初めての大阪フェスティバルホールでのコンサート。そして、もちろん、初めての生マーラーでした。(実際にはホールに座すのは入学式以来二度目でした。)
オーケストラの定演を聴くのももちろん初めてであり、オケのメンバーが登場するあたりから、リストの最初の音が鳴り出す瞬間も、今でもはっきりと覚えています。高校の時、「第九」の合唱団員として大フィルとは2度共演していましたから、顔を知っている団員さんもたくさん見えて、なんか懐かしい気持ちもありました。「復活」はレコードで聴いていた、いくつかの演奏よりもずっと格調高く荘厳な印象を持ちましたが、あとから同演奏会のライヴ盤を聴いて、これはとんでもない豪演であったことをあとで認識したのでした。
演奏会後、近鉄「喜志」駅から大学寮まで延々と歩いて帰りましたが、道端の畦にホタルが輪舞したていたのを憶えています。
(つづく)
彼を初めて聴いたのは1973年11月。大阪フィルの伊勢公演でした。そのときの様子は、拙ブログの裏横丁にちょこっと記しております。
以下、コピペ御免。
大阪フィルハーモニー交響楽団 伊勢演奏会
1973.11.22
曲目
グリンカ/「ルスランとリュドミーラ」序曲
ドボルザーク/チェロ協奏曲(vc:岩崎洸)
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
会場:伊勢市観光文化会館
それまでのコンサートとは比較にならない程感動した演奏会。
オーケストラ音楽の醍醐味に思いっきり浸った日でした。
前二回のオケ体験も一気にかすんでしまう、そんな演奏会でした。
朝比奈氏は、舞台への登場からして絵になる人でした。
一曲目の「ルスランと・・・」から豪快なオケのパワーに圧倒され、「悲愴」での怒涛の打楽器群に至って、興奮は頂点に。
第3楽章山場でのテンポ変化も「ええ~っ、でも、すご~~い!!」って感じで納得してました。
第3楽章が大音響で終結した後、「ふぅ~~~。」とため息がもれました。
チェロ協の方は・・・あまり印象に残っていません。
アンコールはたしか「アンダンテ・カンタービレ」だったような?
楽屋口でパンフにサインをお願いすると、写真を見て「さえない顔だねぇ。」とかおっしゃられて、その後、道路をへだてて向いの近鉄宇治山田駅の方へあの歩調で悠々と歩いていかれました。
長いコートがカッコ良くて、友人達と見惚れていますと、サインをもらっていない人が全速力で追いかけていきました。
朝比奈&大フィルは前年か前々年にも伊勢に来ていましたが、その時は聴いていませんでした。
この日以来「朝比奈隆」は、私の最も注目すべき指揮者の一人として記憶されたのです。
とにかく、すごいインパクトのコンサートでした。それまでに京響や東京フィルを聴いてはいましたが、大阪フィルは、何と言うか、語弊があるかも知れませんが「男のオーケストラ」って感じがしたものです。ダンディで力強くて渋くて。ティンパニの八田さんの存在感、ざっくりとした弦のアンサンブルと見た目(?)。萌えましたねぇ、当時は。
上の写真は、その時に頂いたサインです。サインをもらえるなんてことは想定していなかったので、何にも持っておらず、パンフの裏に友人の万年筆を借りて書いていただきました。
その後、朝比奈氏のコンサートには何度も行きましたが、結局、サインをいただいたのはこの時が最初で最後になりました。
二度目に聴いたのは1975年。大フィル渡欧前の名古屋公演でした。「ローマの噴水」とブルックナーの7番。いずれも欧州公演の曲目でした。この時の話は何度も書いている気がするので今回は省略します。でも、この時の演奏もよかった!
そして私は1976年4月より大阪の某大学に通うことになります。大学在学中の4年間は大フィルの定期や特別演奏会によく行きました。これも前に書きましたが、大フィル定期は学生はタダ(無料)だったのです。森之宮のなんとか会館に座席券をもらいに行かなくてはいけませんでしたが・・・。でも、最初に聴いた大フィル定期は、ちゃんとチケットを買いました。
曲目はリストの交響詩「前奏曲」とマーラーの「復活」。
初めての大フィル定期。初めての大阪フェスティバルホールでのコンサート。そして、もちろん、初めての生マーラーでした。(実際にはホールに座すのは入学式以来二度目でした。)
オーケストラの定演を聴くのももちろん初めてであり、オケのメンバーが登場するあたりから、リストの最初の音が鳴り出す瞬間も、今でもはっきりと覚えています。高校の時、「第九」の合唱団員として大フィルとは2度共演していましたから、顔を知っている団員さんもたくさん見えて、なんか懐かしい気持ちもありました。「復活」はレコードで聴いていた、いくつかの演奏よりもずっと格調高く荘厳な印象を持ちましたが、あとから同演奏会のライヴ盤を聴いて、これはとんでもない豪演であったことをあとで認識したのでした。
演奏会後、近鉄「喜志」駅から大学寮まで延々と歩いて帰りましたが、道端の畦にホタルが輪舞したていたのを憶えています。
(つづく)
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