今朝は久しぶりの晴天ということで、布団やら何やらを裏に干しに出ましたが、昼過ぎから降りそうな気配になってきましたので、さっき取り入れました。もうほとんど乾いてましたけどね。例のクロトンボ、まだいます。もうずいぶんな日数になってきました。
さて、朝比奈さんの思い出、続きです。
大学生活の4年間(1976年4月から80年3月まで)は、そういうことで、大フィルの演奏会にはよく行きました。後にジャンジャン盤のブルックナー交響曲全集に含まれるいくつかのコンサートや、77年、ビクターによってレコード化されたベートーヴェン・チクルスの「ミサ・ソレムニス」「第8、第9」、ブルックナーの0番なども聴きました。
70年代、彼らの演奏はFMやテレビで放送されることはまだ少なかった印象があります。手元にはブラームスの4番と75年欧州ライヴのテープがいくつかあるのみ。76年11月の定期での「ペトルーシュカ」はテレビカメラが入ってて、後日の放送も観ました。私が今でも「もう一度聴きたい」と思うのは、関西で放送されていた(らしい)AM放送でのライヴのいくつかです。いずれも1970年前後のものだったと思います。関西の大学に行ってた合唱仲間の先輩宅で聴かせてもらいました。戦中録音みたいなAM放送の録音の向こうから聴こえて来る、ストラヴィンスキー「火の鳥」やブラームスの2番の「一発かましたれ」的爆演に、スピーカーの前で仰け反りました。「やりたい放題」って感じのなんとも豪快な演奏だったと記憶しています。ブラ2のフィナーレでのテンポの変化など、今聴いたら失笑を買うかも知れない程の派手さでしたが、でも、本当に惹かれましたね。「浪速の花」って感じでしたね。
どういう訳か、氏のベートーヴェンはあまり聴く機会がなかったのですが、年末の「第9」は欠かさず聴きました。中でも77年の演奏はレコード録音もされるということで、特に素晴らしかったです。晩年の朝比奈さんは、速いところは遅く、遅いところは速く、というようにテンポ設定が平均化していったようなところがありますが、70年代後半当時は、まだまだデリケートなくらいのテンポ操作や遊び心さえ感じさせる芝居がかった演出も時々ありました。「第9」では、終始オーソドックスなアプローチで進みながらも、例えば、第3楽章終盤の2度目の金管警告フレーズのあとの弦の扱いや、「フォール・ゴット」の前のティンパニ急ブレーキ、最後の盛り上げ方など、まさに「大見得を切る」と言う表現がぴったりな、他の誰かがやってもサマにならないようなど派手で艶やかなポイントがいくつかありました。
79年の夏に聴いたマーラーの6番も素晴らしく、他のほとんどの演奏では例のハンマーはズシーンと低音で体を揺さぶることが多いかと思いますが、この時のハンマーはズシーンに加えて「メキッ、バリッ」と、まるで木造家屋を解体するかのような破壊音として耳に残っています。聴いた後、終電で伊勢まで帰ってきたのですが、宇治山田駅に着いてから、見知らぬ人に「大フィル、聴いてたでしょ。私も聴きました。よかったですね。」と声をかけられ驚いたことを憶えています。
80年3月には待望のブルックナー8番を聴きましたが、これは全くの期待外れでした。この定期を最後に、私の音楽浸りの学生生活は終わり、4月からは高校の非常勤講師として県南部の普通高校と伊勢市内の定時制高校の二校の掛け持ち赴任となったのでした。80年4月にチェリビダッケを聴きに大阪に出向いた後、85年のバーンスタイン、イスラエル・フィルまで一度も大阪のコンサートには出向くことができませんでした。朝比奈さんのコンサートを次に聴いたのは、1994年のバーテースデイ・コンサート(ブルックナー8番)でした。
(つづく)
さて、朝比奈さんの思い出、続きです。
大学生活の4年間(1976年4月から80年3月まで)は、そういうことで、大フィルの演奏会にはよく行きました。後にジャンジャン盤のブルックナー交響曲全集に含まれるいくつかのコンサートや、77年、ビクターによってレコード化されたベートーヴェン・チクルスの「ミサ・ソレムニス」「第8、第9」、ブルックナーの0番なども聴きました。
70年代、彼らの演奏はFMやテレビで放送されることはまだ少なかった印象があります。手元にはブラームスの4番と75年欧州ライヴのテープがいくつかあるのみ。76年11月の定期での「ペトルーシュカ」はテレビカメラが入ってて、後日の放送も観ました。私が今でも「もう一度聴きたい」と思うのは、関西で放送されていた(らしい)AM放送でのライヴのいくつかです。いずれも1970年前後のものだったと思います。関西の大学に行ってた合唱仲間の先輩宅で聴かせてもらいました。戦中録音みたいなAM放送の録音の向こうから聴こえて来る、ストラヴィンスキー「火の鳥」やブラームスの2番の「一発かましたれ」的爆演に、スピーカーの前で仰け反りました。「やりたい放題」って感じのなんとも豪快な演奏だったと記憶しています。ブラ2のフィナーレでのテンポの変化など、今聴いたら失笑を買うかも知れない程の派手さでしたが、でも、本当に惹かれましたね。「浪速の花」って感じでしたね。
どういう訳か、氏のベートーヴェンはあまり聴く機会がなかったのですが、年末の「第9」は欠かさず聴きました。中でも77年の演奏はレコード録音もされるということで、特に素晴らしかったです。晩年の朝比奈さんは、速いところは遅く、遅いところは速く、というようにテンポ設定が平均化していったようなところがありますが、70年代後半当時は、まだまだデリケートなくらいのテンポ操作や遊び心さえ感じさせる芝居がかった演出も時々ありました。「第9」では、終始オーソドックスなアプローチで進みながらも、例えば、第3楽章終盤の2度目の金管警告フレーズのあとの弦の扱いや、「フォール・ゴット」の前のティンパニ急ブレーキ、最後の盛り上げ方など、まさに「大見得を切る」と言う表現がぴったりな、他の誰かがやってもサマにならないようなど派手で艶やかなポイントがいくつかありました。
79年の夏に聴いたマーラーの6番も素晴らしく、他のほとんどの演奏では例のハンマーはズシーンと低音で体を揺さぶることが多いかと思いますが、この時のハンマーはズシーンに加えて「メキッ、バリッ」と、まるで木造家屋を解体するかのような破壊音として耳に残っています。聴いた後、終電で伊勢まで帰ってきたのですが、宇治山田駅に着いてから、見知らぬ人に「大フィル、聴いてたでしょ。私も聴きました。よかったですね。」と声をかけられ驚いたことを憶えています。
80年3月には待望のブルックナー8番を聴きましたが、これは全くの期待外れでした。この定期を最後に、私の音楽浸りの学生生活は終わり、4月からは高校の非常勤講師として県南部の普通高校と伊勢市内の定時制高校の二校の掛け持ち赴任となったのでした。80年4月にチェリビダッケを聴きに大阪に出向いた後、85年のバーンスタイン、イスラエル・フィルまで一度も大阪のコンサートには出向くことができませんでした。朝比奈さんのコンサートを次に聴いたのは、1994年のバーテースデイ・コンサート(ブルックナー8番)でした。
(つづく)
70年代から90年代の終わりにかけて、私なりに長く聴き続けることができたのが朝比奈氏でした。
自分の鑑賞歴の要所要所に氏のコンサートがありましたので、そういう意味でも身近なマエストロだったのです。
亡くなられた時の寂しさは今でも忘れられません。