今夜は、珍しく「晴天の七夕」になりそうですね(午後5時30分現在、今のところ)。
日曜日の七夕と言えば、思い出すのは1974年。
所謂「七夕豪雨」の日です。
あの日、とんでもない集中豪雨が伊勢市を襲い、市内を流れる勢田川が氾濫、市内の多くの土地が浸水しました。
私の住んでいた尾上町は、やや坂を上ったところでしたので難を逃れましたが、明倫商店街で商店を経営していた父母は、もちろん自宅には帰れませんでした。
宇治山田駅前は一面「湖」のようになり、父母は、品物を濡れない所まで上げるのに必死だったようです。
聞いた話によると、商店街の通路を大きな魚が泳いで行ったとのことです。
兄弟3人で、両親不在の一夜を過ごしたわけですが、どうやって過ごしたのか全然覚えておりません。
翌日は、通っていた高校も臨時休校となりました。
ちょうど期末テスト期間中でしたので、大変な災害にもかかわらず不遜にも「ラッキー」なんて思ってました。
水が引いた町へぶらぶらと歩きに出ると、もう、どの家もどの家も家財道具や畳を表に出して、後始末に追われて大変な有様でした。
あと、印象的だったことは、この日が選挙の投票日だったのが、こんなわけで、伊勢市だけ投票日が延期になったことでした。当落線上の候補(政党)は、延期になった投票日まで、続々と伊勢市に来たようです。私は、伊勢市駅前で演説する石橋書記長(当時の社会党)を見かけました。
この水害をきっかけに勢田川の大規模な改修が始まり、子どもの頃から馴染んでいた石垣や土手の河岸は姿を消していきました。
「七夕」の日が来るたびに、あの日のことを思い出します。
今日から大相撲名古屋場所が始まっていますね。七夕とは関係ありませんが、この年の名古屋場所は、好きだった長谷川関か活躍した印象深い場所でありました。千秋楽、技能賞を頂いて笑顔の長谷川関を良く覚えています。梅雨明け後間もないじりじりと暑い日でした。
日曜日の七夕と言えば、思い出すのは1974年。
所謂「七夕豪雨」の日です。
あの日、とんでもない集中豪雨が伊勢市を襲い、市内を流れる勢田川が氾濫、市内の多くの土地が浸水しました。
私の住んでいた尾上町は、やや坂を上ったところでしたので難を逃れましたが、明倫商店街で商店を経営していた父母は、もちろん自宅には帰れませんでした。
宇治山田駅前は一面「湖」のようになり、父母は、品物を濡れない所まで上げるのに必死だったようです。
聞いた話によると、商店街の通路を大きな魚が泳いで行ったとのことです。
兄弟3人で、両親不在の一夜を過ごしたわけですが、どうやって過ごしたのか全然覚えておりません。
翌日は、通っていた高校も臨時休校となりました。
ちょうど期末テスト期間中でしたので、大変な災害にもかかわらず不遜にも「ラッキー」なんて思ってました。
水が引いた町へぶらぶらと歩きに出ると、もう、どの家もどの家も家財道具や畳を表に出して、後始末に追われて大変な有様でした。
あと、印象的だったことは、この日が選挙の投票日だったのが、こんなわけで、伊勢市だけ投票日が延期になったことでした。当落線上の候補(政党)は、延期になった投票日まで、続々と伊勢市に来たようです。私は、伊勢市駅前で演説する石橋書記長(当時の社会党)を見かけました。
この水害をきっかけに勢田川の大規模な改修が始まり、子どもの頃から馴染んでいた石垣や土手の河岸は姿を消していきました。
「七夕」の日が来るたびに、あの日のことを思い出します。
今日から大相撲名古屋場所が始まっていますね。七夕とは関係ありませんが、この年の名古屋場所は、好きだった長谷川関か活躍した印象深い場所でありました。千秋楽、技能賞を頂いて笑顔の長谷川関を良く覚えています。梅雨明け後間もないじりじりと暑い日でした。
しかしすごい洪水です。これでは、生活していた人たちは、たまったものではないですね。sigh!!
この写真は、ネット上で広く出回っているようなので拝借しました。いずれも当時住んでいた界隈の写真です。
本当にずごい洪水でした。
こういう災害は、なかなか当事者というか、実際に被害に遭った者でないと記憶には残らないですよね。