ブラ1、もう少し続けるつもりですが、このディスクを昨日「聴いてしまった」もので・・・取り急ぎ感想文(になってないですが・・・)を書きました。
マーラー/交響曲第9番
管弦楽:イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:レナード・バーンスタイン
録音:1985年8月25日、マン・オーディトリアム(テル・アヴィヴ)でのライヴ
昨日の昼下がり、この2枚組を聴き終えてTwitter(Facebook)に「懐かしい人の置き手紙が突然出てきてひたすら読み入る、みたいな何とも言えない演奏だった。形容する言葉が見つからない。」と投稿した。
日々、いろいろ聴いているが、こういう盤に出遭えるのが音盤愛好家冥利につきるというもの。
珍しくスコアを見ながら、ハラハラドキドキもしながら聴いていて、終楽章が始まって間もなく、五線はぼやけてにじみ、老眼鏡のレンズは、とんどん曇っていった。
ベルリン・フィル盤の、あの真剣勝負のピリピリ感と手探りで進む独特の緊張とはちょっと違う。
あれが一種の火花散る異文化交流から生まれた空前絶後の創造物だとしたら、この演奏は、同じ壮絶ではあるけども、互いに信頼し合う敬愛の念が全編に流れる「常に共に謳い共に嘆く」演奏だと思う。どちらもバーンスタインならではの9番。
第1楽章冒頭、「不整脈」が、さらに揺れ動めきながら、テンポも縦の線も、ほとんど「どうでもいい」のかと思えるような自然発生的な各パートの鳴り出しは、全幅の信頼のもと危うさは微塵も感じられない。
なんと牧歌的で温かい出だしだろうか、と思う。
強奏部分の激烈さも十分であり、シンバルの一撃などは真芯で捉えた爽快さを伴ってシビれさせてくれるが、それ以上に惹き付けるのが、静かな部分、緩やかな部分での心の込め様である。
長い長い山あり谷ありの第1楽章の全ての言葉をじっくりと語っていく。第2ヴァイオリンがテーマを歌い出す頃には、冒頭の(もしかしたらあったかも知れない)「手探り感」も消えていた。
第2楽章も、昔を懐かむ風情が一貫して感じられ、この楽章が本当に詩的で味わい深いものになっていた。
狂気の風が吹き荒れるトゲだらけの第3楽章は、束の間の平安も吹き蹴散らして駆け抜け、そして終楽章。
渾身のヴァイオリン・ユニゾンから、いつも「ようやく辿り着いた」と思わされる温和な和声に包まれると、もう、先に書いたように、涙を誘われ、そのあとは・・・・
言葉無し(何と書いていいのやら)。
この楽章って、時間は長いのに、聴いているとすぐに終わってしまう気がする(特に,この演奏は、レニーの他盤よりも演奏時間は長いのに・・)。
あの「大地の歌」のエコーが鳴り出してしぱらくたった107小節から最後までは特に。
最後のページ(アダジッシモ)の、ひとつひとつのフレーズへのいとおしみの深さに、たぶん、息が苦しくなったり過呼吸になったりして咳が出てしまった人がいたのかも知れない。聴衆ノイズ、まあ仕方ないか。
この演奏会の9日後、彼らの大阪公演を聴いたことは、前にも書いたけど、そして、そのCD-Rも入手して聴いたのだけど、今回のディスクは、音もまずまず鮮明であり、やっぱり、短期間とは言え、微妙に演奏のニュアンスは違うかと感じた。どちらがいいとか、じゃなくてね。全く些細なことだけど、イスラエル・フィルの金管は、このディスクでは、ちょっとバテ気味のようだった。この偉大な演奏にあって、ほとんどどうでもいいことだけど。
マーラー/交響曲第9番
管弦楽:イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:レナード・バーンスタイン
録音:1985年8月25日、マン・オーディトリアム(テル・アヴィヴ)でのライヴ
昨日の昼下がり、この2枚組を聴き終えてTwitter(Facebook)に「懐かしい人の置き手紙が突然出てきてひたすら読み入る、みたいな何とも言えない演奏だった。形容する言葉が見つからない。」と投稿した。
日々、いろいろ聴いているが、こういう盤に出遭えるのが音盤愛好家冥利につきるというもの。
珍しくスコアを見ながら、ハラハラドキドキもしながら聴いていて、終楽章が始まって間もなく、五線はぼやけてにじみ、老眼鏡のレンズは、とんどん曇っていった。
ベルリン・フィル盤の、あの真剣勝負のピリピリ感と手探りで進む独特の緊張とはちょっと違う。
あれが一種の火花散る異文化交流から生まれた空前絶後の創造物だとしたら、この演奏は、同じ壮絶ではあるけども、互いに信頼し合う敬愛の念が全編に流れる「常に共に謳い共に嘆く」演奏だと思う。どちらもバーンスタインならではの9番。
第1楽章冒頭、「不整脈」が、さらに揺れ動めきながら、テンポも縦の線も、ほとんど「どうでもいい」のかと思えるような自然発生的な各パートの鳴り出しは、全幅の信頼のもと危うさは微塵も感じられない。
なんと牧歌的で温かい出だしだろうか、と思う。
強奏部分の激烈さも十分であり、シンバルの一撃などは真芯で捉えた爽快さを伴ってシビれさせてくれるが、それ以上に惹き付けるのが、静かな部分、緩やかな部分での心の込め様である。
長い長い山あり谷ありの第1楽章の全ての言葉をじっくりと語っていく。第2ヴァイオリンがテーマを歌い出す頃には、冒頭の(もしかしたらあったかも知れない)「手探り感」も消えていた。
第2楽章も、昔を懐かむ風情が一貫して感じられ、この楽章が本当に詩的で味わい深いものになっていた。
狂気の風が吹き荒れるトゲだらけの第3楽章は、束の間の平安も吹き蹴散らして駆け抜け、そして終楽章。
渾身のヴァイオリン・ユニゾンから、いつも「ようやく辿り着いた」と思わされる温和な和声に包まれると、もう、先に書いたように、涙を誘われ、そのあとは・・・・
言葉無し(何と書いていいのやら)。
この楽章って、時間は長いのに、聴いているとすぐに終わってしまう気がする(特に,この演奏は、レニーの他盤よりも演奏時間は長いのに・・)。
あの「大地の歌」のエコーが鳴り出してしぱらくたった107小節から最後までは特に。
最後のページ(アダジッシモ)の、ひとつひとつのフレーズへのいとおしみの深さに、たぶん、息が苦しくなったり過呼吸になったりして咳が出てしまった人がいたのかも知れない。聴衆ノイズ、まあ仕方ないか。
この演奏会の9日後、彼らの大阪公演を聴いたことは、前にも書いたけど、そして、そのCD-Rも入手して聴いたのだけど、今回のディスクは、音もまずまず鮮明であり、やっぱり、短期間とは言え、微妙に演奏のニュアンスは違うかと感じた。どちらがいいとか、じゃなくてね。全く些細なことだけど、イスラエル・フィルの金管は、このディスクでは、ちょっとバテ気味のようだった。この偉大な演奏にあって、ほとんどどうでもいいことだけど。
(大阪で)あのとき、演奏後に指揮台と袖とを行き来するバーンスタインは、なかなか笑顔を見せず、儀式を執り行う祭司か何かみたいに見えました。彼にとってもオーケストラにとっても、特別な音楽であったのかも知れません。
「うらやましい」と言えば、yurikamomeさんの方こそ、たくさんの素晴らしいコンサートに逢われてらっしゃ居ます。
貴記事を読ませて頂くたびに、そう感じています。
これは本当に奇跡のような記録ですね。
録音でもここまで泣けたのですから、実際の演奏ではさぞかし。。。。なんと言葉を付けてよいのかわかりません。
音楽はこう言うことまで表現できるのですね。
これをお聴きになった方はお金を出してチケットを買ったのではなく、神から選ばれた人なのであろうと思います。
その選ばれた人であったりゅうさんがうらやましい。
たしか、CBCのニュースで、ごく短いバーンスタインへのインタビューが放送され、ビデオに録りました。あのニュースでは、直前のゲネプロを副指揮者が振っているところが映し出されました。レニーが疲れていたのか、あるいはレニーの指揮姿の撮影が許可されなかったのか、いきさつは知りませんが・・・。
本当に素晴らしい演奏でした。そして、国家としてのイスラエルの立ち振る舞いへの思いは、私も共感するところです。国家と個々人、芸術とは別物ではないのですから・・・私には難しい問題です。
あの時の高揚感・感動は今までのコンサートでも一番です。まだ20代前半の若造だったのに・・・
CDを聴いていて、当時の演奏が「こうだったよな!」と思われます。もちろん若干印象が違うように思われる箇所もありますが、これはしょうがないですね・・・記憶と言うものは曖昧で。
しかし、なんとも「思い出深いCD」が出たものですが、あのコンサートがマーラーの第9番のベストです!!!
私も1985年の体験組(生まれて初めて行ったコンサートでした)ですので、まったく主情的な感想しか持てませんが。
実は、数年前の、イスラエルによるパレスチナ大量虐殺に抗議して、自分にできる数少ないこととして、愛着のあるイスラエル・フィルの演奏を聴かないことに決めていました。
今回は、過去の演奏だと言い訳をつくって、禁を破らざるをえませんでしたが、後悔はありません。