小澤征爾さんと、
音楽について
話をする
村上春樹×小澤征爾
新潮社
音楽について
話をする
村上春樹×小澤征爾
新潮社
ひと月ほど前に読んでいた本についての、漠っとした感想です。
この本は、小澤さんと村上さんの「対話」(対談)の録音を、村上さんが後で原稿に起こしたもので、小澤さんの例の「自由な」喋りは当然ながら、その真意からずれない範囲で「きちんと」文章化されていると思われます。
同様に、村上さん自身の言葉も、「喋った通り」ではなく(中身は同じでしょうが)「文章としての体裁」の枠に整頓されているのだと思います。
(当たり前のことですね)
で、読んで感じたことですが・・・・
小澤さんの話が圧倒的に面白いです。
特に60年代初めころにニューヨーク・フィルでバーンスタインのアシスタントをしていたころのエピソードは読んでいて楽しく興味津々でした。
また、二人がレコードを聴きながら、今鳴っている箇所についてあれこれやり取りがある訳ですが、やはり小澤さんの言葉がとても面白い。
小澤さんは、普段はディスクを聴いてのスタディとかほとんどしなくて、あくまでも「楽譜」で学んでいるという、今までのドキュメントや書いたもので垣間見てきた、彼の「勉強の仕方」みたいなものを、ここであらためて確認させられました。
それに比して、村上さんの言葉は(失礼を承知で言うならば)、その多くは「どこかで誰かが言ってたような」「どこかで読んだような」ことがほとんどで、読んでいて「プロの現場人」と「一(いち)クラオタ」との会話という図式を感じさせられました。
もちろん、小澤さんからこれほどまでに豊かで多岐に渡る話を引き出せたのは村上さんの「聞き手」「話し相手」としての才覚と音楽に関する見識の確かさがあったからこそだとは思いました。
この本のどこかで、小澤さんが「レコード・ショップ(クラシックCD売り場)の雰囲気が好きではない」という意味のことを言われていました。
「やっぱり、そうか」と思いました。
この本を読んでいる間、常に感じていたことは、小澤さんのように徹底して「楽譜」から学ぼうとしているプロと、自分は演奏しないけど音楽をこよなく「愛している」と思っている多くの音楽愛好家(素人)との決して埋められることのない溝のようなものの存在でした。
その「次元が違いすぎる事実」が生み出す「ちぐはぐした感じ」は、村上さんがコメントを挟むたびに感じられ、小澤さんが「好きなように」喋っておられる場面では感じられませんでした。
小澤征爾さんと、音楽について話をする | |
小澤 征爾,村上 春樹 | |
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小澤さんとの対談本、読んでみたくなりました。
抜歯2本ですか。痛くならないでいて欲しいですね。
私も村上さんの熱心な読者ではなく「ノルウェーの森」しか読んでいませんでした。
嫌いではありませんが、本を読むのにどれを選ぶかって、けっこう煩わしいものですね。
抜歯は、今回の治療の一環です。
ゾメタ点滴が始まると2年間、歯の治療が難しくなるので先手を打ったということです。
今のところ、全然痛まないので助かっています。
全編面白かったです。
ブラームス1番のライヴ録音の編集の詳細は興味深いものがありました。
しかし、小澤さんの記憶で話すので間違いもあります。
グールドのブラームスはセッションは最初からないですしね。
春の祭典は67年版も録音したとのことですがマスターは残っているのかなぁ。
しかし、これは貴重な話をきけているので久しぶりに読むのが止まらない本でした。
彼の、例のしゃべり方を思い浮かべながら、私も一気に読ませてもらいました。
やはり、音楽家の語ることは面白いし、読んでいて曲が聴きたくなりました。
それにしても、日の目を見なかった録音の話とか聞くと、余計に聴きたくなりますよね。