今ごろですが、「風立ちぬ」観ました。
レンタルのブルーレイで。
で、以下は漠っとした感想です。
ネット上でも、いろんなレビューやら薀蓄(うんちく)いっぱいの評が溢れていますが、この映画を観る前に、そういうの全く見なくて本当によかったと思いました。
そんなの見ちゃうと多少とも「引っ張られ」ますからねぇ、やはり。
唯一見たのはNHKのドキュメント「プロフェッショナル 仕事の流儀」。
この番組で2回採り上げられましたが、それは観ていました。
この番組は映画の中身よりも監督自身に焦点を当てたもので、この作品が堀辰雄の「風立ちぬ」とゼロ戦の設計者である堀越二郎の半生とを何らかの形で融合した作品であることは知りましたが、映画の粗筋も何もほとんど知らないままに観ました。
特に熱心なファンでもありませんが、宮崎駿監督のアニメ映画は全部観ています(ビデオとかDVDとかで)。
それらの中で「風立ちぬ」は、私が最も心惹かれる作品と言えると思います。
観て拍子抜けしました。
えっ、もう終わり?
って感じでした。
当然、ゼロ戦の完成まで描かれると思っていたからです。
やはり、意識してなかったつもりでも「ゼロ戦の設計者」という前情報が頭のどこかにあったのですね。
なんか自分が勝手に陳腐なストーリーを期待していた感じがしました。
で、翌日にもう一度観ました。
「夢」の場面が多い映画でした。
その「夢」の部分では、(現実部分では)寡黙な主人公が雄弁に自分の思いを語り、そのなんでもありの展開は、今までの宮崎作品を彷彿とさせました。
主人公の声を担当されている庵野秀明氏の素人くさい(ある意味でほぼ「棒読み」)独特の雰囲気が、不思議と人物のリアリティを醸し出していました。これは、「となりのトトロ」の糸井さんで感じたことと似ています。宮崎作品での「声の出演」の配役の妙と言っていいのか、よく分かりませんが、他のアニメと違う新鮮な空気を呼んでいます。
関東大震災や、夢の中で国産機が空から落ちてくる場面などでの音響も独特でした。
「人の声」を加工したようなその響きが生み出す不気味さ。
九試単座戦闘機の失敗から避暑地のホテルに引きこもり、そこで菜穂子と再会するのですが、大昔に読んだ「風立ちぬ」の情景を思わせる場面がちらほら。
で、これも大昔に読んだ「魔の山」の主人公と同じ名前の人物カストルプが言うには「ここは魔の山、みんな忘れる・・・」。このへん、監督のこだわりと言うよりも遊び心を感じてしまいました。
菜穂子が喀血したと聞いて、名古屋から列車に飛び乗り東京へ向かう二郎は、遅らせてはならじと車内でも仕事を進めますが、その書類の上にぽたりぽたりと涙が落ちました。
あの場面、1回目に観た時は淡々と見過ごしていきましたが、二度目に観たときはぐっと胸にせまりました。
一日一日を他人には想像もつかないだろうほどの大事さ切実さで暮らしてきた2人でしたが、二郎の設計した七試艦上戦闘機のテスト飛行の日、菜穂子はひとり高原のサナトリウムへ経ちます。
この行動は、本当にどうしてか分からないようで、でも、すごくリアリティを持って迫ってきました。
なんかうまく言えませんが・・・・。
テスト飛行は大成功を収め、皆から祝福を受ける二郎でしたが、ここで物語は実質的には終わり。
あとは(たぶん)何年か経てからの夢の中のこととなります。
そこでは、二郎の産み出したゼロ戦の悲惨な末路や、この映画で意図的に描かなかった部分が凝縮されて暗示されていました。
戦争で散って行った無数のゼロ戦の白いシルエットが空を埋めていました。
そして、「美しい飛行機を作りたい」と願っていた二郎の前を「美しい」ゼロ戦の編隊が横切って行きました。
この映画で、唯一「ゼロ戦」が登場した場面でした。
美しいゼロ戦が。
そして、菜穂子との再会。
(たぶん、菜穂子はすでに他界している・・・)
ここでの二人の言葉、これが全てでした。
「ありきたり」「ありふれ」でしたが、私には、とても切実に響きました。
シロウトくさい主人公の台詞が突き刺さるように、隣で誰かが喋ったみたいにリアルに聞えました。
子ども向けではないジブリ作品でした。
レンタルのブルーレイで。
で、以下は漠っとした感想です。
ネット上でも、いろんなレビューやら薀蓄(うんちく)いっぱいの評が溢れていますが、この映画を観る前に、そういうの全く見なくて本当によかったと思いました。
そんなの見ちゃうと多少とも「引っ張られ」ますからねぇ、やはり。
唯一見たのはNHKのドキュメント「プロフェッショナル 仕事の流儀」。
この番組で2回採り上げられましたが、それは観ていました。
この番組は映画の中身よりも監督自身に焦点を当てたもので、この作品が堀辰雄の「風立ちぬ」とゼロ戦の設計者である堀越二郎の半生とを何らかの形で融合した作品であることは知りましたが、映画の粗筋も何もほとんど知らないままに観ました。
特に熱心なファンでもありませんが、宮崎駿監督のアニメ映画は全部観ています(ビデオとかDVDとかで)。
それらの中で「風立ちぬ」は、私が最も心惹かれる作品と言えると思います。
観て拍子抜けしました。
えっ、もう終わり?
って感じでした。
当然、ゼロ戦の完成まで描かれると思っていたからです。
やはり、意識してなかったつもりでも「ゼロ戦の設計者」という前情報が頭のどこかにあったのですね。
なんか自分が勝手に陳腐なストーリーを期待していた感じがしました。
で、翌日にもう一度観ました。
「夢」の場面が多い映画でした。
その「夢」の部分では、(現実部分では)寡黙な主人公が雄弁に自分の思いを語り、そのなんでもありの展開は、今までの宮崎作品を彷彿とさせました。
主人公の声を担当されている庵野秀明氏の素人くさい(ある意味でほぼ「棒読み」)独特の雰囲気が、不思議と人物のリアリティを醸し出していました。これは、「となりのトトロ」の糸井さんで感じたことと似ています。宮崎作品での「声の出演」の配役の妙と言っていいのか、よく分かりませんが、他のアニメと違う新鮮な空気を呼んでいます。
関東大震災や、夢の中で国産機が空から落ちてくる場面などでの音響も独特でした。
「人の声」を加工したようなその響きが生み出す不気味さ。
九試単座戦闘機の失敗から避暑地のホテルに引きこもり、そこで菜穂子と再会するのですが、大昔に読んだ「風立ちぬ」の情景を思わせる場面がちらほら。
で、これも大昔に読んだ「魔の山」の主人公と同じ名前の人物カストルプが言うには「ここは魔の山、みんな忘れる・・・」。このへん、監督のこだわりと言うよりも遊び心を感じてしまいました。
菜穂子が喀血したと聞いて、名古屋から列車に飛び乗り東京へ向かう二郎は、遅らせてはならじと車内でも仕事を進めますが、その書類の上にぽたりぽたりと涙が落ちました。
あの場面、1回目に観た時は淡々と見過ごしていきましたが、二度目に観たときはぐっと胸にせまりました。
一日一日を他人には想像もつかないだろうほどの大事さ切実さで暮らしてきた2人でしたが、二郎の設計した七試艦上戦闘機のテスト飛行の日、菜穂子はひとり高原のサナトリウムへ経ちます。
この行動は、本当にどうしてか分からないようで、でも、すごくリアリティを持って迫ってきました。
なんかうまく言えませんが・・・・。
テスト飛行は大成功を収め、皆から祝福を受ける二郎でしたが、ここで物語は実質的には終わり。
あとは(たぶん)何年か経てからの夢の中のこととなります。
そこでは、二郎の産み出したゼロ戦の悲惨な末路や、この映画で意図的に描かなかった部分が凝縮されて暗示されていました。
戦争で散って行った無数のゼロ戦の白いシルエットが空を埋めていました。
そして、「美しい飛行機を作りたい」と願っていた二郎の前を「美しい」ゼロ戦の編隊が横切って行きました。
この映画で、唯一「ゼロ戦」が登場した場面でした。
美しいゼロ戦が。
そして、菜穂子との再会。
(たぶん、菜穂子はすでに他界している・・・)
ここでの二人の言葉、これが全てでした。
「ありきたり」「ありふれ」でしたが、私には、とても切実に響きました。
シロウトくさい主人公の台詞が突き刺さるように、隣で誰かが喋ったみたいにリアルに聞えました。
子ども向けではないジブリ作品でした。
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