
いつかは聴きたいと思い続けてきた「大谷=伊勢管のマーラー9番」。
伊勢管30周年の記念の年の今日、ついに聴くことができた。
先週のバッハ合唱団の感想(続き)も未アップなのだが、とりあえずは思いつくままに・・・。
伊勢管弦楽団第30回記念定期演奏会
フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード
(休憩)
マーラー:交響曲第9番
ピアノ:高瀬瑛子(フォーレ)
管弦楽:伊勢管弦楽団
指揮:大谷正人
2011年5月15日 pm2:00~
伊勢市観光文化会館
先週、(私にはたいしたことではなかったけども)カミさんにとってかなりショックなことがあり、翌朝からは発熱もあったりして、昨日も今日もレスパイト態勢だった。今日、それでも私は伊勢に出かけた。カミさんの状態も落ち着きつつあったし、子どもは夕方まで帰ってこないし夕食もヘルパー対応だから。出発間際まで夕食段取り、台所の片付け等をして、隣家の弟に駅まで送ってもらい近鉄電車に飛び乗った。松阪から宇治山田まで急行で17分程度。駅を出たら、すぐ前が会場である。会場前の交差点で旧知の友人と会う。私はチケット買ってなかったので当日券を買って会場へ。プレトークを聞くために、ロビーでのお喋りも早々に切り上げてホール内へ向かう。今回も、内臓の気まぐれ活動に対処できるよう後方の通路沿いに座す。
1曲目のフォーレは素敵な曲だが、バタバタと家を出てからの疲れか、途中で睡魔に襲われてしまった。臨席の友人に「あんまり寝てないの?」と聞かれる。15分ほどのフォーレが終わり、休憩となる。舞台上ではビアノが撤収され、オケの椅子が並び直されている。
マーラーでは対向配置である。

マーラーの9番は「大地の歌」、10番と共に、私にとってかなり「特別」な音楽になっている。特に私が手術して以後は、その思いは強い。9番では「ながら聴き」や「寝落ち聴き」はおいそれとできなくなってしまった。聴くたびに、新しい何かを感じたり謎が解けたり(そんな気になるだけかも知れないが)する音楽である。実演はバーンスタイン、大植についで3度目。オケの技量は比べるべくもないが、不思議なことに感銘度は今回が最も大きかった。
伊勢管弦楽団の音には、いつもながら心身を揺さぶられる。月並みな言い方だが「入魂」という形容は、こういうオケの姿勢にこそ当てはまるのではないか。単なる独りよがり熱演型では決してない、伊勢の、田舎の、初めてクラシックの演奏会を聴く聴衆でも固唾を呑んで耳を澄ましてしまう「気」の力のようなもの。今日は編成が大きいせいもあってか、ことさらにそれを感じた。
それにも増して、今日の聴衆の素晴らしさはどうだろう。終楽章の最後。無音の中、大谷さんが棒を下ろしてオーケストラに軽く頭を下げるまでの静寂。伊勢市観光文化会館でマーラーの9番が鳴り響き、そして、こんな素敵な終わり方が出来るなんて、ちょっと前だったら誰もが「無理やろ」と思っていただろう。それがどうだろう。知ったかぶりのフライング拍手も、無神経な低テンション拍手もなかった。今日の聴衆は(ちょっと贔屓目だけども)都市部でのコンサートと比べて遜色ない、曲への集中度だったと感じた。
第1楽章冒頭の「不整脈」から、ターン動機が次第に途切れがちになり、まさに「死に行く」様を音化したような終楽章の最後まで、私は、本当に久しぶりに聴く集中力を弛緩させることなく聴き続けることができた。
第3楽章の中間部辺りから、弦の音が目覚しく艶やかさを増してきた。
そして、格闘の末に大切なものを非情に引き裂かれたかのような第3楽章の末尾から、大谷さんがHPで書いてみえたようにアタッカで第4楽章に入ると、もう、そこは「思い通りにならない諸々」や「死という現実」を認めた上で、袋小路における悟りきったような柔和さ。
その柔和で切実な表情とのあまりのコントラストに、ステージは涙で霞んでしまった。
(時間切れのため「続く」・・・・)
伊勢管30周年の記念の年の今日、ついに聴くことができた。
先週のバッハ合唱団の感想(続き)も未アップなのだが、とりあえずは思いつくままに・・・。
伊勢管弦楽団第30回記念定期演奏会
フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード
(休憩)
マーラー:交響曲第9番
ピアノ:高瀬瑛子(フォーレ)
管弦楽:伊勢管弦楽団
指揮:大谷正人
2011年5月15日 pm2:00~
伊勢市観光文化会館
先週、(私にはたいしたことではなかったけども)カミさんにとってかなりショックなことがあり、翌朝からは発熱もあったりして、昨日も今日もレスパイト態勢だった。今日、それでも私は伊勢に出かけた。カミさんの状態も落ち着きつつあったし、子どもは夕方まで帰ってこないし夕食もヘルパー対応だから。出発間際まで夕食段取り、台所の片付け等をして、隣家の弟に駅まで送ってもらい近鉄電車に飛び乗った。松阪から宇治山田まで急行で17分程度。駅を出たら、すぐ前が会場である。会場前の交差点で旧知の友人と会う。私はチケット買ってなかったので当日券を買って会場へ。プレトークを聞くために、ロビーでのお喋りも早々に切り上げてホール内へ向かう。今回も、内臓の気まぐれ活動に対処できるよう後方の通路沿いに座す。
1曲目のフォーレは素敵な曲だが、バタバタと家を出てからの疲れか、途中で睡魔に襲われてしまった。臨席の友人に「あんまり寝てないの?」と聞かれる。15分ほどのフォーレが終わり、休憩となる。舞台上ではビアノが撤収され、オケの椅子が並び直されている。
マーラーでは対向配置である。

マーラーの9番は「大地の歌」、10番と共に、私にとってかなり「特別」な音楽になっている。特に私が手術して以後は、その思いは強い。9番では「ながら聴き」や「寝落ち聴き」はおいそれとできなくなってしまった。聴くたびに、新しい何かを感じたり謎が解けたり(そんな気になるだけかも知れないが)する音楽である。実演はバーンスタイン、大植についで3度目。オケの技量は比べるべくもないが、不思議なことに感銘度は今回が最も大きかった。
伊勢管弦楽団の音には、いつもながら心身を揺さぶられる。月並みな言い方だが「入魂」という形容は、こういうオケの姿勢にこそ当てはまるのではないか。単なる独りよがり熱演型では決してない、伊勢の、田舎の、初めてクラシックの演奏会を聴く聴衆でも固唾を呑んで耳を澄ましてしまう「気」の力のようなもの。今日は編成が大きいせいもあってか、ことさらにそれを感じた。
それにも増して、今日の聴衆の素晴らしさはどうだろう。終楽章の最後。無音の中、大谷さんが棒を下ろしてオーケストラに軽く頭を下げるまでの静寂。伊勢市観光文化会館でマーラーの9番が鳴り響き、そして、こんな素敵な終わり方が出来るなんて、ちょっと前だったら誰もが「無理やろ」と思っていただろう。それがどうだろう。知ったかぶりのフライング拍手も、無神経な低テンション拍手もなかった。今日の聴衆は(ちょっと贔屓目だけども)都市部でのコンサートと比べて遜色ない、曲への集中度だったと感じた。
第1楽章冒頭の「不整脈」から、ターン動機が次第に途切れがちになり、まさに「死に行く」様を音化したような終楽章の最後まで、私は、本当に久しぶりに聴く集中力を弛緩させることなく聴き続けることができた。
第3楽章の中間部辺りから、弦の音が目覚しく艶やかさを増してきた。
そして、格闘の末に大切なものを非情に引き裂かれたかのような第3楽章の末尾から、大谷さんがHPで書いてみえたようにアタッカで第4楽章に入ると、もう、そこは「思い通りにならない諸々」や「死という現実」を認めた上で、袋小路における悟りきったような柔和さ。
その柔和で切実な表情とのあまりのコントラストに、ステージは涙で霞んでしまった。
(時間切れのため「続く」・・・・)
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