幼児期の男子は自由人。ひらがななんて覚えようとせずではなかったでしょうか。うちの息子はそうでした。
(お勉強はいいから、せめてスポーツ!運動のできない男子はいじめの対象になりやすいって、何かの本で読んだ気がする)
しかし、息子は運動も残念。かけっこの最中に、しろくまになったり、イルカに変身してしまうのです…。→まあ、かわいいからいいのですが。
球技はといえば、サッカーも野球も、ボールが飛んでくるのがこわいとのこと。→私も怖かったので、気持ちがわかるのですが。
幼稚園で在園中に取り組んできた縄跳びも残念。→え、私はできたんだけど。
体操発表会の日に跳び箱を選んだものの、跳べないのは息子一人。→できないならば、そんな難易度の高い種目を選ぶな!
もう、本当にため息しかでませんでした。子どもが幼稚園の頃は、自分の子が人並みにできないと、切なくて…。
(運動が苦手なのね)
私も夫も運動が得意だったので、予想外でした。でも、仕方ありません~。などと、そこであきらめるのは教育ママ失格。苦手克服のため、スポーツ教室に通わせなければなりません。
何しろ札幌の子どもは高校進学の際に内申点が必要で、それは体育の成績も含むのですから。
一年生にあがってから、お友達と一緒に行くということで、プール教室に短期で通うことになりました。そこでも、水が鼻に入ったと大泣き。泳げるようにもならず、プールはもう完全にあざらしごっこの場と化していました。私はもう泳げるようにはならないかもしれないと覚悟しました。
泳げるようになった子のママたちの中は、子どもが泣き叫んで、プールに行きたくないと訴えても、腕づくで連れて行っている人もいました。が、私にはできなかったなあ。自分も水が嫌いだったしね。
そんな息子でしたが、友達とプールに遊び行っているうちに、いつのまにか、50メートル泳げるようになっていました。かけっこも成長と共に速くなり、跳び箱も跳べるようになりました。小学校中学年からは球技にも興味が出て、サッカーは人並みに。
人並みにできるようになったサッカーですが、じつは、毎日1時間、近くの広い公園で特訓をしたのです。息子自身が私に練習につき合ってくれるようお願いし、私が応じて練習が始まったのですが、それは3か月間続きました。その後、練習ができた公園の近くから引っ越してしまったので、できなくなってしまいましたが。
おかげで私もアラフォーにして瞬発力がアップしたりして…。体力的にもぎりぎり息子に対応できる時代だったので、今となってはいい思い出ですが、まあ、よくそんなに長いこと、練習が続いたものです。
上達したいという気持ちが一番に必要なのだと実感。サッカーが転機となり、気づけば、息子はスポーツができるということで、小学校では有名になりました。幼児期の残念な運動能力を思うと、このように息子に育ったことがウソのようです。が、ホントのことです。
通っていたスポーツ教室に、たまたま、陸上などの分野で道や全国レベルで活躍できるような運動神経抜群の子たちがいたことが大きかったかもしれません。通っていた当時、彼らは息子よりずっと年上でしたし、雲の上の存在。でも、一緒に活動することで、そういう一流の動きを見て体が覚えたのでしょう。
子どもの成長は予測がつかないものです。スポーツについては一流の動きをする集団に混ぜておくことをお勧めします。
(お勉強はいいから、せめてスポーツ!運動のできない男子はいじめの対象になりやすいって、何かの本で読んだ気がする)
しかし、息子は運動も残念。かけっこの最中に、しろくまになったり、イルカに変身してしまうのです…。→まあ、かわいいからいいのですが。
球技はといえば、サッカーも野球も、ボールが飛んでくるのがこわいとのこと。→私も怖かったので、気持ちがわかるのですが。
幼稚園で在園中に取り組んできた縄跳びも残念。→え、私はできたんだけど。
体操発表会の日に跳び箱を選んだものの、跳べないのは息子一人。→できないならば、そんな難易度の高い種目を選ぶな!
もう、本当にため息しかでませんでした。子どもが幼稚園の頃は、自分の子が人並みにできないと、切なくて…。
(運動が苦手なのね)
私も夫も運動が得意だったので、予想外でした。でも、仕方ありません~。などと、そこであきらめるのは教育ママ失格。苦手克服のため、スポーツ教室に通わせなければなりません。
何しろ札幌の子どもは高校進学の際に内申点が必要で、それは体育の成績も含むのですから。
一年生にあがってから、お友達と一緒に行くということで、プール教室に短期で通うことになりました。そこでも、水が鼻に入ったと大泣き。泳げるようにもならず、プールはもう完全にあざらしごっこの場と化していました。私はもう泳げるようにはならないかもしれないと覚悟しました。
泳げるようになった子のママたちの中は、子どもが泣き叫んで、プールに行きたくないと訴えても、腕づくで連れて行っている人もいました。が、私にはできなかったなあ。自分も水が嫌いだったしね。
そんな息子でしたが、友達とプールに遊び行っているうちに、いつのまにか、50メートル泳げるようになっていました。かけっこも成長と共に速くなり、跳び箱も跳べるようになりました。小学校中学年からは球技にも興味が出て、サッカーは人並みに。
人並みにできるようになったサッカーですが、じつは、毎日1時間、近くの広い公園で特訓をしたのです。息子自身が私に練習につき合ってくれるようお願いし、私が応じて練習が始まったのですが、それは3か月間続きました。その後、練習ができた公園の近くから引っ越してしまったので、できなくなってしまいましたが。
おかげで私もアラフォーにして瞬発力がアップしたりして…。体力的にもぎりぎり息子に対応できる時代だったので、今となってはいい思い出ですが、まあ、よくそんなに長いこと、練習が続いたものです。
上達したいという気持ちが一番に必要なのだと実感。サッカーが転機となり、気づけば、息子はスポーツができるということで、小学校では有名になりました。幼児期の残念な運動能力を思うと、このように息子に育ったことがウソのようです。が、ホントのことです。
通っていたスポーツ教室に、たまたま、陸上などの分野で道や全国レベルで活躍できるような運動神経抜群の子たちがいたことが大きかったかもしれません。通っていた当時、彼らは息子よりずっと年上でしたし、雲の上の存在。でも、一緒に活動することで、そういう一流の動きを見て体が覚えたのでしょう。
子どもの成長は予測がつかないものです。スポーツについては一流の動きをする集団に混ぜておくことをお勧めします。