わたし、教育ママ in Sapporo

自称○○ほど怪しいものはない。札幌在住、自称教育ママが綴る教育の真髄とは!

幼児期のスポーツ

2015-02-26 | スポーツ
幼児期の男子は自由人。ひらがななんて覚えようとせずではなかったでしょうか。うちの息子はそうでした。

(お勉強はいいから、せめてスポーツ!運動のできない男子はいじめの対象になりやすいって、何かの本で読んだ気がする)

しかし、息子は運動も残念。かけっこの最中に、しろくまになったり、イルカに変身してしまうのです…。→まあ、かわいいからいいのですが。

球技はといえば、サッカーも野球も、ボールが飛んでくるのがこわいとのこと。→私も怖かったので、気持ちがわかるのですが。

幼稚園で在園中に取り組んできた縄跳びも残念。→え、私はできたんだけど。

体操発表会の日に跳び箱を選んだものの、跳べないのは息子一人。→できないならば、そんな難易度の高い種目を選ぶな!

もう、本当にため息しかでませんでした。子どもが幼稚園の頃は、自分の子が人並みにできないと、切なくて…。

(運動が苦手なのね)

私も夫も運動が得意だったので、予想外でした。でも、仕方ありません~。などと、そこであきらめるのは教育ママ失格。苦手克服のため、スポーツ教室に通わせなければなりません。

何しろ札幌の子どもは高校進学の際に内申点が必要で、それは体育の成績も含むのですから。

一年生にあがってから、お友達と一緒に行くということで、プール教室に短期で通うことになりました。そこでも、水が鼻に入ったと大泣き。泳げるようにもならず、プールはもう完全にあざらしごっこの場と化していました。私はもう泳げるようにはならないかもしれないと覚悟しました。

泳げるようになった子のママたちの中は、子どもが泣き叫んで、プールに行きたくないと訴えても、腕づくで連れて行っている人もいました。が、私にはできなかったなあ。自分も水が嫌いだったしね。

そんな息子でしたが、友達とプールに遊び行っているうちに、いつのまにか、50メートル泳げるようになっていました。かけっこも成長と共に速くなり、跳び箱も跳べるようになりました。小学校中学年からは球技にも興味が出て、サッカーは人並みに。

人並みにできるようになったサッカーですが、じつは、毎日1時間、近くの広い公園で特訓をしたのです。息子自身が私に練習につき合ってくれるようお願いし、私が応じて練習が始まったのですが、それは3か月間続きました。その後、練習ができた公園の近くから引っ越してしまったので、できなくなってしまいましたが。

おかげで私もアラフォーにして瞬発力がアップしたりして…。体力的にもぎりぎり息子に対応できる時代だったので、今となってはいい思い出ですが、まあ、よくそんなに長いこと、練習が続いたものです。

上達したいという気持ちが一番に必要なのだと実感。サッカーが転機となり、気づけば、息子はスポーツができるということで、小学校では有名になりました。幼児期の残念な運動能力を思うと、このように息子に育ったことがウソのようです。が、ホントのことです。

通っていたスポーツ教室に、たまたま、陸上などの分野で道や全国レベルで活躍できるような運動神経抜群の子たちがいたことが大きかったかもしれません。通っていた当時、彼らは息子よりずっと年上でしたし、雲の上の存在。でも、一緒に活動することで、そういう一流の動きを見て体が覚えたのでしょう。

子どもの成長は予測がつかないものです。スポーツについては一流の動きをする集団に混ぜておくことをお勧めします。

倫理の時間

2015-02-26 | 学校
高校の倫理といえば、大学受験に殆ど関係ない科目ということで、倫理の時間にはほかの勉強をしている人が多数いました。

ある時、あまりにも目に余る状態だったのでしょう。
「どうせ倫理なんて、受験に関係ないもんね。あんたたち、授業聞く気ないんでしょ」
と倫理の担当であるよしこちゃん(55歳位の女性)が静かに怒ったのです。

その時、わたしはというと、別の勉強をしようと思ってはいたのですが、よしこちゃんの倫理の授業って、けっこう面白くて、思わず、聞いてしまっていて…。

他の人もじつは授業を聞いていたのか、あるいは、内職をしていた生徒たちに罪悪感があったのか、わかりませんが、みんな倫理をしっかり理解してテストに臨んだのです。

その結果はというと…。
「このクラスの平均点は他のクラスよりかなり高かったわ。あんたたち、倫理をちゃんと勉強してくれたのね。テスト前にあんなこと言って悪かったわ」
と答案用紙を返し終わったよしこちゃんがぼそっと言ったのでした。

倫理の授業は受験には全く役立ちませんでしたが、人生では時々顔を出します。カント、ヘーゲル、ベンサム、ミルのあたりが特に印象に残っています。

「倫理をちゃんと勉強してくれたのね」というよしこちゃんの声が時折、聞こえてきます。


ところで、ミルといえば、父親から猛烈な英才教育を施され、青年期に精神の危機に陥った人として、早期英才教育は危険であるというような話の際によく登場します。

他方、カール・ヴィッテというドイツ人は、天才で人格も優れているということで、早期教育の分野で日本でちょっとした有名人。カール・ヴィッテ方式とかありませんでしたっけ?

ミルは知っているけれど、誰よ、カール・ヴィッテって?とじつは前から思っていたのですが、これを機にウィキペディアで調べてみました。が、ない…。

Karl Witteを英語で見てみたら、ありました!9歳でドイツ語(←母国語だから当たり前だけど)、フランス語、イタリア語、ラテン語、ギリシャ語を話し、13歳でギーセン大学で博士号を取得したと書かれています。

ヴィッテの父親が、息子の教育についての著書を書いたものの、ドイツでは批判にさらされ、すぐに忘れられたそうです。しかし、中国では21世紀の初めにベストセラーになったといった内容が…。日本語からの翻訳の際、Carl Weterと名前が変わってしまったらしいです…。

ミルにしてもヴィッテにしても、お父ちゃんが教育熱心だったのですね。

さて、ミルはある女性と出会い、精神の危機を乗り越えたとのこと。人妻であったその女性の身辺整理を待っての結婚。そして、その女性の早すぎる死によって、その結婚生活は7年ほどと短いものだったそうです。ミルは死後、その女性の隣の墓に眠っているそうです。そして、なんと、ミルは東インド会社で働いており、職業学者であった時代はないのだとか。

ミルのお父さん、相当、毒親だったのかもしれませんが、ミルはそんな境遇から立ち直って、静かな幸せを得たようです。人妻との恋愛だったので、十分、劇的だったのかもしれませんが。そんな苦悩の人生がミルを哲学者として育てたのかもしれません。ソクラテスには悪妻が、そして見るには強烈な父さんが…。哲学者には苦悩がつきものなんでしょうね。