歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪推理小説『オリエント急行殺人事件』と英語≫

2021-12-21 18:12:36 | 語学の学び方
≪推理小説『オリエント急行殺人事件』と英語≫
(2021年12月21日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、アガサ・クリスティーの有名な推理小説『オリエント急行の殺人』と英語について考えてみる。
その際に、次の文献を参照した。
〇アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房、2011年
〇Agatha Christie, Murder on the Orient Express: A Hercule Poirot Mystery, Harper Collins Publishers, 2011.

なお、映画のDVDとしては、次のものを鑑賞した。
〇私も購入したDVD『オリエント急行殺人事件』(パラマウント・ジャパン、1975年公開、シドニー・ルメット監督、アルバート・フィニー主演)




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オリエント急行の殺人 (クリスティー文庫)

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アガサ・クリスティーの孫マシュー・プリチャード氏の序文



文庫本に、マシュー・プリチャードが、「『オリエント急行の殺人』によせて」と題して、序文を記している(アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房、2011年、4頁~7頁)。

マシュー・プリチャードは、アガサ・クリスティーの娘ロザリンドの息子である。つまりアガサ・クリスティーの孫である。1943年生まれで、アガサ・クリスティー社の理事長を長く務めているという(7頁)。
彼によれば、『オリエント急行の殺人』はアガサ・クリスティーのもっともお気に入りの作品の一つであったという。この作品の精緻なプロットを誇りにしていたからだけではなく、不幸に終わった最初の結婚に区切りをつけ、母の死という悲劇を乗り越え、考古学者のマックス・マローワンとの新たな結婚生活の門出を祝うという意味あいもあったからだと述べている。

アガサ・クリスティーは「列車はつねにわたしの大好きなものの一つであった」と自伝の中で述べている。『オリエント急行の殺人』は1933年に書かれ、翌1934年にイギリスで刊行されたものである。アガサの旅行に対する愛情、とりたてて列車に対する憧れをもっとも反映した作品のひとつである。
現代でこそ、オリエント急行の旅は優雅なものであるが、1930年代にロンドンからイスタンブール、さらにその先に列車で向かうことは現在とは比べものにならない危険を伴う冒険であったようだ。
フランスからイタリア、トリエステを経由して、バルカン諸国、ユーゴスラビア、イスタンブールまでのオリエント急行は交通手段であるだけでなく、異文化との出会いの場でもあった。当時の旅行は、道連れになった人と友人となったり、停車した駅でお土産を売っている地元の人と交流したりする社会的な一大イベントであった。旅は人生そのものであり、冒険であった(4頁~5頁)。

アガサ・クリスティーの優れた点は、オリエント急行という、彼女自身が実際に体験し、社交の場として楽しんだ旅のなかに、殺人という悲劇的な出来事を取り入れた点であると、孫のマシュー・プリチャードは見ている。
今日では、金持ちの乗客がこれほど多く乗り合わせていたことは想像しにくいことだが、1930年代にはまったくありえないことではなかったようだ。かくして容疑者たちが乗り合わせた列車は雪のために足止めを食うことになる。やがて殺人事件が起き、事件解決のためにエルキュール・ポアロの登場と相成る。
アガサ・クリスティーの作品には、「孤絶」という設定が多く見られるが、列車という舞台設定はその典型といえる。

しかし『オリエント急行の殺人』は違った意味でアガサ・クリスティーの典型的な作品のひとつであるという。それは下僕や労働者、遺跡発掘現場での作業員といった抑圧された人々への共感であり、社会正義への配慮でもあった。
時代の雰囲気や個性的な多くの登場人物に目を奪われがちだが、作品中に登場する、アメリカで誘拐されて殺されたデイジー・アームストロングの話を忘れてはならない。このデイジー・アームストロングの事件は名前こそ変えてあるが、かの有名なリンドバーグ事件がモデルになっている。フィクションの中とはいえ、誘拐殺人者に正義の鉄槌を下すことで、祖母アガサ・クリスティーは溜飲を下げたにちがいないと、孫のマシュー・プリチャードは推測している。

1974年の映画版でも冒頭にセピア調で描かれたデイジー・アームストロング事件は、そこからはじまる人間ドラマを予感させる印象深いものだった。
アガサ・クリスティーは魅力的な舞台設定と鋭い社会観察で高く評価されている。彼女の小説には、犯罪の犠牲者に対する配慮や、社会正義への願望、生命の尊重といった思想が根底に流れている。時代の雰囲気をとらえた娯楽小説と犯罪の邪悪さを描いたミステリーといったこの二つの融合こそがクリスティー作品の人気の秘密といえると孫のマシュー・プリチャードは捉えている(6頁~7頁)。


『オリエント急行殺人事件』の有栖川有栖氏の解説


大雪のためユーゴスラヴィアの山中で立ち往生した豪華国際列車・オリエント急行で、殺人事件が発生した。殺されたのは忌まわしい過去を持つアメリカ人富豪であった。列車会社の重役は、同じ列車に乗り合わせていたエルキュール・ポアロに事件の捜査を依頼した。そして、カレー行き車両の乗客全員を尋問することになる。地元の警察に通報する前に犯人を突き止めるよう、依頼されたのである。

この推理小説『オリエント急行殺人事件』について、「華麗なる名作」と題して、作家の有栖川有栖氏が解説している(アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房、2011年、409頁~413頁)。

<ミステリの女王>アガサ・クリスティーは数多くの傑作・秀作を遺したが、その中でも『オリエント急行の殺人』(1934年)は舞台や登場人物の華やかさ、結末の意外性、作品の知名度で群を抜いている。
本作の魅力を要約すると、エキゾチックで、レトロで、サスペンスフルの3つになると、有栖川氏はまとめている(411頁)。華麗なる名作と呼ぶにふさわしい作品だと絶賛している(409頁)。

ただ「しかし、実はこの作品にはそれを超えるインパクトがある。胡散臭(うさんくさ)く、スキャンダラスな一面によって。」(411頁)という断りを付け加えてはいる。この作品は、現実の世界ではさほど意外ではないはずのことが、ミステリの世界でのみ意外性を帯びるというパラドックスが光っているという。この<ミステリの女王>は、「あなたたちと、そんな約束をした覚えはないわ」と不敵で凄みのある笑みを浮かべていたかもしれないと、有栖川氏は想像している(412頁~413頁)。

「アームストロング誘拐事件」


ところで、本作では、殺害されたラチェットが引き起こした「アームストロング誘拐事件」(第一部事実)には、実際に起こった事件をモデルにしている。
有栖川氏は次のように解説している。
「スキャンダルと言えば、本作の背景となっている誘拐事件は、実際にあったリンドバーグ子息誘拐事件をモデルにしている。当時、世界を震撼させた悲劇を、クリスティーはすばやく自作に取り込み、ミステリとしての「問題作」を書き上げた。抜群の作家的反射神経である。レトロスペクティヴな風味を楽しみながら、その点にも留意したい。」(413頁)。

私がこの作品を一言で要約すれば、「孫娘を殺された祖母の壮大なる復讐劇」ということになるのではないかと思う。この事件の背景にあるのは、やはり「アームストロング誘拐事件」(The Armstrong Kidnapping Case)であろう。
そして、事件解決に向けて、重要な記述は次のエルキュール・ポアロの推理であろう。

The first and most important is a
remark made to me by M. Bouc in the restaurant car
at lunch on the first day after leaving Stamboul ― to
the effect that the company assembled was interest-
ing because it was so varied ― representing as it did
all classes and nationalities.
“I agreed with him, but when this particular
point came into my mind, I tried to imagine whether
such an assembly were ever likely to be collected
under any other conditions. And the answer I made
to myself was ― only in America. In America there
might be a household composed of just such varied
nationalities ― an Italian chauffeur, and English
governess, a Swedish nurse, a French lady’s maid
and so on. That led me to my scheme of ‘guessing’ ―
that is, casting each person for a certain part in the
Armstrong drama much as a producer casts a play.
Well, that gave me an extremely interesting and sat-
isfactory result.
(Agatha Christie, Murder on the Orient Express: A Hercule Poirot Mystery, Harper Collins Publishers, 2011, pp.301-302.)

【Agatha Christie, Murder on the Orient Expressはこちらから】

Murder on the Orient Express (Poirot) (English Edition)


翻訳本によれば、次のようにある。
「まず、もっとも重要な点として挙げておきたいのは、イスタンブールを発車した日に食堂車で昼食をとっていたとき、ムッシュー・ブークがわたしに言った言葉です。ここにいる人たちの顔ぶれがおもしろい、変化に富んでいて、あらゆる階級とあらゆる国の人々が集まっている、というような意見でした。
 わたしも同意しましたが、あとになってこの点が心に浮かんだとき、このようにさまざまな人が集まる場合がほかにあるだろうかと考えてみました。すると、答えが浮かんできました――あるとすれば、アメリカぐらいのものだ。アメリカなら、いろいろな国籍の人を使用人として住まわせている一家があってもおかしくない――イタリア人のお抱え運転手、イギリス人の家庭教師、スウェーデン人の乳母、フランス人の子守など。これでわたしの“推理”の輪郭ができました。つまり、プロデューサーが芝居の配役を決めるように、
アームストロング事件というドラマの役を一人一人に割り当てていったのです。おかげで、きわめて興味深い、満足できる結果が得られました。」
(アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房、2011年、390頁~391頁)。


【アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房はこちらから】

オリエント急行の殺人 (クリスティー文庫)


名探偵エルキュール・ポアロの人物設定


名探偵エルキュール・ポアロ(Hercule Poirot)は、アガサ・クリスティー作の推理小説に登場する架空の名探偵である。ベルギー南部のフランス語圏(ワロン地方)出身とされているベルギー人である。ベルギーのブリュッセル警察で活躍し、署長にまで出世した後、退職していた。
 
名前のエルキュール(Hercule)は、ギリシア神話に登場する怪力の英雄「ヘラクレス」のフランス語形である。
(フランス語ではHは発音しないのが鉄則。だからHeは「エ」。)
ただ、クリスティーは、小男であるポアロにわざとこの名前をつけたそうだ。
また、日本では、“Poirot”について、「ポアロ」と「ポワロ」の二つの表記が存在する。
フランス語でoiは「オワ」という感じに発音するため、後者のほうが原音に近い。そして末尾のtはフランス語では発音しないのが鉄則。
以前は、「ポワロ」と表記することが多かったが、「ポアロ」表記している早川書房が翻訳独占契約を結んだため、「ポアロ」という表記が世間に広まったという。


『オリエント急行殺人事件』とフランス語


名探偵エルキュール・ポアロ(Hercule Poirot)が、ベルギー南部のフランス語圏(ワロン地方)出身ということもあってか、『オリエント急行殺人事件』の英語版でもフランス語が登場する。

乗客と車掌との会話で、頻度の高いフランス語が使われている。
たとえば、
“Bonne nuit, Madame”(「おやすみなさい(ボンヌ・ニュイ)、マダム」)(訳本65頁、原書p.44.)
“Bon soir, Monsieur”(「おやすみなさい(ボン・ソワール)、ムッシュー」)(訳本67頁、原書p.45.)
“De l’eau minerale, s’il vous plait”(「ミネラルウォーターを頼む(ドゥ・ロー・ミネラル・スイル・プレ)」)(訳本66頁、原書p.44.)
ただし、正しくは、minerale,はminéraleで、plaitはplaîtである。

もう少し、長いフランス語として、次のようなものもある。
0時40分ごろ、ムッシュー・ラチェットがベルを鳴らして車掌がノックすると、ドアの内側から、フランス語で、
「ス・ネ・リアン。ジュ・ム・スィ・トロンペ(Ce n’est rien. Je me suis trompé.)」
という大きな声がしたので、車掌は中に入らずに立ち去ったと証言している。
(訳本126頁~127頁、原書p.92.)

このフランス人の車掌ピエール・ミッシェルの証言は、ポアロのメモにも明記され、0時37分まではラチェットは生存していたものと推測されている。そのメモにも、
「0 :37 ラチェットの部屋のベルが鳴る。車掌が駆けつける。ラチェット、「なんでもない。間違えたんだ(ス・ネ・リアン。ジュ・ム・スィ・トロンペ)」と言う(訳本173頁、原書p.128.)

しかし、このフランス語は果たしてラチェットが話したものか、疑問を抱かれるに至る。
「ラチェットはフランス語が話せなかったのですよ。それなのにゆうべ車掌がベルに呼ばれていくと、『なんでもない。間違えたんだ』と、フランス語で返事があった。しかも、いかにもフランス語らしい表現で、片言しかできない人間とはぜったい使えないものだ。『ス・ネ・リアン。ジュ・ム・スィ・トロンペ』」(訳本頁308、原書p.233.)

原書には次のようにある。
M.Ratchett spoke no French. Yet, when the conductor came in answer to
his bell last night, it was a voice speaking in French
that told him that it was a mistake and that he was
not wanted. It was, moreover, a perfectly idiomatic
phrase that was used, not one that a man knowing
only a few words of French would have selected. ‘Ce
n’est rien. Je me suis trompé.’
(Agatha Christie, Murder on the Orient Express: A Hercule Poirot Mystery, Harper Collins Publishers, 2011, p.233.)

「いかにもフランス語らしい表現」とは、代名動詞を指すのではないかと思う。

DVD『オリエント急行殺人事件』(パラマウント・ジャパン)について


私も購入したDVD『オリエント急行殺人事件』(パラマウント・ジャパン、1975年公開、シドニー・ルメット監督、アルバート・フィニー主演)についても紹介しておく。
この版は、グレタ・オルソン役でイングリッド・バーグマン、アーバスノット役でショーン・コネリー、マクイーン役でアンソニー・パーキンスといった名優が共演している。
なお、イングリッド・バーグマンは1974年度アカデミー賞助演女優賞を受賞した。

アガサ・クリスティーが書いた推理小説の映画化は、国際派スターが総出演し、いわくありげな乗客たちを見事に演じている。

系図
ハバード夫人(芸名リンダ・アーデン、本名はゴールデンバーグといいユダヤ系)~ドラゴミロフ公爵夫人と親しかった。
娘 アームストロング夫人(ソニア・アームストロング)~夫人の娘デイジーを誘拐され殺されたショックで流産、死亡
末娘 アンドレニ伯爵夫人(ヘレナ・ゴールデンバーグ)~アンドレニ伯爵が大使館員としてワシントンに駐在していたときに結婚
  名付け親はドラゴミロフ公爵夫人
孫 デイジー(3歳のときに誘拐される。身代金20万ドルを払った後、死体で発見される)

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なお、『オリエント急行殺人事件(2017年の映画)』の方は、監督・主演はケネス・ブラナーがポアロ役を務め、ラチェット役をジョニー・デップが演じたことで話題を集めた。



《参考文献》
アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房、2011年
Agatha Christie, Murder on the Orient Express: A Hercule Poirot Mystery, Harper Collins Publishers, 2011.
DVD『オリエント急行殺人事件』(パラマウント・ジャパン、1975年公開、シドニー・ルメット監督、アルバート・フィニー主演)


≪推理小説『まだらの紐』と英語≫

2021-12-21 18:12:08 | 語学の学び方
ブログ原稿≪推理小説『まだらの紐』と英語≫
(2021年12月21日投稿)


【はじめに】


 今回のブログでは、推理小説『まだらの紐』について、解説してみよう。
参考としたのは次の文献である。
〇皆川慶一『宝島MOOK シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 美しき自転車乗り・まだらの紐』宝島社、2009年[2010年版]


『まだらの紐(The Speckled Band)』


『まだらの紐』は<ストランド・マガジン>1892年2月号に載ったホームズ譚を代表する作品の一つである。密室殺人にダイイング・メッセージを絡めた作品である。

イギリスの作家アーサー・コナン・ドイルにより、1887年から1927年にかけて発表された一連の推理小説は、当時の読者に熱狂的な人気をもって迎え入れられた。シャーロック・ホームズという魅力的な探偵が、奇異なる謎に満ちた事件を解決する冒険譚は、世界で好評を博した。

皆川慶一『宝島MOOK シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 美しき自転車乗り・まだらの紐』(宝島社、2009年[2010年版])に収録された映像は、そのホームズの活躍する小説を原作とした、イギリス製のテレビドラマである。イギリスのグラナダTVにより製作され、1984年から10年にわたって全41話が放送され大ヒットした。このドラマ・シリーズの長所は、映像化にあたって可能な限りドイルの原作を基準としたことにある。つまり原作の物語世界を損なわず、きちんと映像化した作品はこれが初だったとされる。原作を“正典”と称する熱烈なファン層「シャーロキアン」にさえ“正典を投影した世界”として受け入れられた。原作を愛読したファンには懐かしくも新鮮である(皆川慶一『宝島MOOK シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 美しき自転車乗り・まだらの紐』宝島社、2009年[2010年版]、1頁)。


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シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 (宝島MOOK)


『まだらの紐』は謎解きを主眼とする本格ミステリの傑作として有名な物語で、ホームズのファンはもとより推理小説ファンにも人気の高い作品である。またドイル自身がホームズの物語の中でベストに挙げた作品としても知られ、正にホームズ譚の代表格の一編とされる。
筋立ても人物設定も魅力に満ちており、事件の核心を彩る怪奇なムードと、奇態な凶器や密室のからくりには興奮すら覚える人もいる。一方、ホームズの論理的思考と現実性を尊重する読者の中では、『まだらの紐』に違和感を覚える人もいる。というのは、『まだらの紐』がはらむ矛盾、要となるトリックが合理的でないというのである。
種明かしになるので、読んだことのない人は、ここから先は読まないでほしいのだが、不合理さの最大のポイントは、『まだらの紐』に登場するような生態を示す蛇は、これまで確認されたことがないというものである。
具体的にその特徴を挙げれば、
①既知の蛇は音は認識せず、振動により反応するので、口笛で操れる蛇はいない
②蛇がミルクを積極的に飲むことはあまりなく、餌付けには不向き
③自然の木の枝の凹凸に体を引っ掛けて伝う蛇が滑らかなロープを這ったり、まして方向転換し這い登ることはできない
④蛇に限らず、金庫で飼って窒息しないものか?
口笛やミルクについては、インドに行ったことのないドイルが、インド関連の文献等で見知った誤解ではないかとの見解もあるという。
ともあれ、映像化にあたって、原作のままに描こうとし、クルーたちは原作の記述がはらむ矛盾を根気よく対処し、現実とうまく折り合いをつけ、ドラマを作りあげた。そして蛇の撮影はクルーの想像を絶する根気と工夫によって進められたそうだ。ドラマのクライマックスを再現したエンド・タイトルこそ、その証しで、特にエンド・タイトルの冒頭は必見である(皆川慶一『宝島MOOK シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 美しき自転車乗り・まだらの紐』宝島社、2009年[2010年版]、14頁~15頁)。

まだらの紐の登場場面


推理小説では、まだらの紐が次のように登場する。
≪原文≫
Round his brow he had a peculiar yellow band, with
brownish speckles, which seemed to be bound tight
round his head. As we entered he made neither
sound nor motion.
“The band! The specked band!” whispered Holmes.
I took a step forward : in an instant his strange
headgear began to move, and there reared itself
from among his hair the squat diamond-shaped
head and puffed neck of a loathsome serpent.
“It is a swamp adder!” cried Holmes. “The dead-
liest snake in India. He has died within ten seconds
of being bitten.
(コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険 The Adventures of Sherlock Holmes』講談社英語文庫(Kodansha English Library)、1994年[2004年版]、pp.141-142.)

≪訳文≫
そのひたいにくるりと巻きついているのは、奇妙な茶色の斑点のある黄色の紐、それがどうやら博士の頭をかたく締めつけているようだ。私たちがはいっていっても、博士は声もたてなければ、動きもしなかった。
「紐だ! まだらの紐だ!」ホームズが押し殺した声でささやいた。
私は一歩前へ出た。と、その瞬間、博士の奇妙な鉢巻きが動きだしたかと思うと、髪のなかからにゅっと伸びあがったのは、ずんぐりした菱形の頭と、ふくれあがった首―忌まわしい毒蛇だった。
「沼蛇だ!」ホームズが叫んだ。「インド産のもっともおそるべき蛇だよ。咬まれてから、おそらく十秒とたたずに死んだだろう。(後略)」
(アーサー・コナン・ドイル(深町真理子訳)『シャーロック・ホームズの冒険』創元推理文庫、2010年、341頁)。

DVDでは、先の蛇の件は次のような科白で出てくる。英日対訳による。
時間48分18秒
It’s the band, the speckled band.(まだらのヒモの正体だ)

時間48分22秒
It is a swamp adder, the deadliest snake in India.(インドで最も恐れられている猛毒のヘビだ)

時間49分55秒
The Doctor had trained the snake, probaly with the milk, to return at the sound of a whistle.(牛乳を餌に口笛で戻るよう仕込んだのでしょう)

(皆川慶一『宝島MOOK シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 美しき自転車乗り・まだらの紐』宝島社、2009年[2010年版]、47頁)。



《参考文献》
アーサー・コナン・ドイル(深町真理子訳)『シャーロック・ホームズの冒険』創元推理文庫、2010年
コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険 The Adventures of Sherlock Holmes』講談社英語文庫(Kodansha English Library)、1994年[2004年版]
皆川慶一『宝島MOOK シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 美しき自転車乗り・まだらの紐』宝島社、2009年[2010年版]



カットした部分(2021年12月21日)











さて、今回の執筆項目は次のようになる。







《推理小説『まだらの紐』について》
(2015年5月3日)
2021年12月12日に英語学習法にコピペ


アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房、2011年
Agatha Christie, Murder on the Orient Express: A Hercule Poirot Mystery, Harper Collins Publishers, 2011.
DVD『オリエント急行殺人事件』(パラマウント・ジャパン、1975年公開、シドニー・ルメット監督、アルバート・フィニー主演)


≪映画『ある愛の詩』と英語≫

2021-12-21 18:09:05 | 語学の学び方
ブログ原稿≪映画『ある愛の詩』と英語≫
(2021年12月21日投稿)


【はじめに】


今回は、英語の読み物として、映画『ある愛の詩』を解説してみたい。
 エリック・シーガル『LOVE STORY』(講談社インターナショナル株式会社、1992年)を参照にした。

【エリック・シーガル『LOVE STORY』(講談社インターナショナル株式会社)はこちらから】

ラブ・ストーリィ―Love story (Kodansha English library)

【DVD映画『ある愛の詩:LOVE STORY』はこちらから】

ある愛の詩 デジタル・リマスター版 50th アニバーサリー・エディション [Blu-ray]



風間研氏による「恋愛」の解説


まず、その前に、簡単に恋愛文学について、風間研『大恋愛―人生の結晶作用―』(講談社現代新書、1990年[1995年版])をもとにみておこう。

 人は「大恋愛」と言われたら、どんな文学作品を思い出すのであろうか。恋愛の極めつきとして、『ロミオとジュリエット』と『トリスタンとイズーの物語』を挙げている。この選択に異議をはさむ人は少ないだろうと風間研氏はコメントしている。
『トリスタンとイズーの物語』については、コクトー自ら現代風にアレンジし直して、「悲恋」という題名で(原題は「永劫回帰」だが)映画化しているほどで、このケルト人の伝説はヨーロッパ人なら誰でもが、愛の原型として知っている話であろうようだ。オペラ・ファンなら、ワーグナーの壮大な悲劇をすぐに思い出すことだろう。
『ロミオとジュリエット』は、仇同士の家の息子と娘が恋に落ちる話である。ロミオのモンタギュー家と、ジュリエットのキャプレット家とが長い間、犬猿の仲だというのが障害である(風間研『大恋愛―人生の結晶作用―』講談社現代新書、1990年[1995年版]、54頁~55頁)。
【風間研『大恋愛―人生の結晶作用―』講談社現代新書はこちらから】

大恋愛―人生の結晶作用 (講談社現代新書 982)


『ロミオとジュリエット』について


『ロミオとジュリエット』の恋愛は単純である。というのも、これは純粋な初恋だからである。それも出会いの部分しか物語になっていないからであると風間研は解説している。二人は恋愛で苦しむ前に死んでしまう。つまり相手の美しい部分しか見ていないうちに悲劇が訪れてしまう。
なにしろ出会いからして衝撃的で、一目見た途端に愛し合ってしまう。二人の結びつきは理屈ではなく、物に憑かれたように、発作的である。一瞬にして一目惚れで恋に落ちる。
ミュージカル映画の「ウエストサイド物語」の大筋は『ロミオとジュリエット』と変わらず、仇同士の家の息子と娘が恋に落ちる話である。
『ロミオとジュリエット』は何度も映画になっているが、中でも、オリヴィア・ハッセーが主演したのは名作であろう。風間研は「彼女は無条件に可愛かった。なるほどジュリエットという心地良い響きの名前に、彼女はピッタリのキャスティングだった」と回想している(風間研『大恋愛―人生の結晶作用―』講談社現代新書、1990年[1995年版]、58頁~60頁)。

「おお、ロミオ、ロミオ!なぜあなたはロミオなの?」
これは、屋敷の二階にある自室の前のバルコニーでの、有名なジュリエットの独白である。一目惚れとは、何よりも「目」の勝負なのであると風間は考えている。言葉の助けなんか借りなくても、目を見ていれば、自ずと分かるものなのである。ただ「一目惚れ」は思春期の少年少女なら誰にでも起こりうるありふれた「恋愛」の典型であり、純粋に一目惚れの恋愛だけを物語にするというのは難しいという。
邪魔とか妨害は、恋愛物語の大きな要素であり、作者が一目惚れの恋愛を描こうとした場合、結婚の障害に執着するのは、当然と言えば当然だろうと説明している(風間、1990年[1995年版]、62頁~63頁)。

【DVD映画『ロミオとジュリエット』はこちらから】

ロミオとジュリエット [DVD]


映画『ある愛の詩』について


物語の書きだしは次のようにある。
What can you say about a twenty-five-year-old girl
who died?
Then she was beautiful. And brilliant. That she
loved Mozart and Bach. And the Beatles. And me.
Once, when she specifically lumped me with those
musical types, I asked her what the order was, and
she replied smiling, ‘Alphabetical.’ At the time I
smiled too. But now I sit and wonder whether she
was listing me by my first name ―in which case I
would trail Mozart ―or by my last name, in which
case I would edge in there between Bach and the
Beatles. Either way I don’t come first, which for
some stupid reason bothers hell out of me, having
grown up with the notion that I always had to be
number one. Family heritage, don’t you know?
(エリック・シーガル『LOVE STORY』講談社インターナショナル株式会社、1992年、5頁)

Erich Segal(Retold by Rosemary Border), Oxford Bookworms Library: Love Story, Oxford University Press, 2008.
What can you say about a twenty-five-year-old girl who
died?
You can say that she was beautiful and intelligent. She
loved Mozart and Bach and the Beatles. And me. Once, when
she told me that, I asked her who came first. She answered,
smiling, ‘Like in the ABC.’ I smiled too. But now I wonder.
Was she talking about my first name? If she was, I came last,
behind Mozart. Or did she mean my last name? If she did,
I came between Bach and the Beatles. But I still didn’t come
first. That worries me terribly now. You see, I always had to
be Number One. Family pride, you see.
(Erich Segal(Retold by Rosemary Border), Oxford Bookworms Library: Love Story, Oxford University Press, 2008, p.1)

板倉章氏は次のように訳している。
どう言ったらいいのだろう、二十五の若さで死んだ女のことを。
彼女は美しく、そのうえ聡明だった。彼女が愛していたもの、それはモーツァルトとバッハ、そしてビートルズ。それにぼく。
いつだったか、こういった音楽家の連中とぼくとをことさらいっしょに並べたとき、どういう順番になっているのか、きいてみたことがある。すると彼女、にっこり笑って「アルファベット順よ」と言ってのけた。あのときはぼくも苦笑してしまった。
でも彼女のいない今、ぼくは腰をおろし、あの順番のなかに組みこまれたとき、苗字と名前と、どちらで入れられていたのだろうかと、考えてみる。名前だったらモーツァルトのあとになるし、苗字だったらバッハとビートルズの中間に入ることになる。いずれにしてもばかげた理由で一番になれなかったのかと思うと、むしょうにしゃくにさわってきた。子供のときから、ぼくはなにごとにつけナンバーワンでないと気がすまないという性質(たち)だった。
わが家の家風というやつだ。」
(エリック・シーガル(板倉章訳)『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、5頁~6頁)。
Notes
・brilliant 聡明な
・specifically lumped me with those musical types こうした音楽家の連中とぼくとを、ことさらいっしょに並べた
・trail Mozart モーツァルトのあとになる
・edge in~ ~に割り込む
・bothers hell out of me 無性にしゃくにさわる
・Family heritage 家風
(エリック・シーガル(板倉章訳)『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、150頁)。


原島一男氏もこの書きだしに注目している。
“She was beautiful. And brilliant. She
loved Mozart and Bach. And the Beatles. And me. “
「彼女は美しかった。頭脳明晰だった。彼女は愛していた。モーツァルトとバッハ、それいビートルズ。そしてぼくを」
オリバーが、ジェニーを偲んで、雪景色のスケート場に向かって語りかける言葉である。
(原島一男『映画の英語』ジャパンタイムズ、2002年、99頁)。


【原島一男『映画の英語』ジャパンタイムズはこちらから】

映画の英語

この部分を解説しておこう。
ジェニファ・キャブラリ(Jennifer Cavilleri)は美しく聡明であった。彼女の愛していたものは、モーツァルトとバッハ、それにビートルズ。そしてぼく(オリバー・バネット、Oliver Barrett)だったという。
25歳の若さで亡くなった彼女に、生前に、音楽家たちとオリバーの中で、どういう順番で好きなのかを尋ねたことがあったというのだ。すると、彼女はアルファベット順だと答えた。その好きな順番が、どうなのか、死後の現在、気になったというのである。
オリバー・バネット(Oliver Barrett)という苗字と名前では、その順番が変わってくることに気付く。
① つまり、名前(Oliver)だったら、モーツァルト(Mozart)のあとになる。
② 苗字(Barrett)だったら、バッハ(Bach)とビートルズ(Beatles)の中間にはいることになる。つまり、バッハのBac、バレットのBar、ビートルズのBeaというアルファベット順になる。
しかし、オリバーは苗字・名前をいずれもアルファベット順にしても、彼女の一番好きなものに自分が入らなかったことになり、無性に癪にさわってきたというのである。オリバーはハーバード大学の学生で何事につけ、ナンバーワンでないと気がすまないという性質(たち)であり、それが家風であったので、余計に腹が立ったというのである。
このあと登場するオリバーの父親(バレット3世)は、1928年のオリンピックで、シングルのボートレースに出場したことがあった(Segal, 1992, p.36. 板倉訳、1972年[2007年版]、48頁)。
さらに、オリバーのひいじさん(曽祖父、great-grandfather)はハーバード大学のバレット講堂を寄贈した人物であったという設定である(Segal, 1992, p.9. 板倉訳、1972年[2007年版]、11頁)。
このように、バレット家は、名門の家柄で、エリート主義の一家であった。このことがかえって、オリバーとジェニーの結婚に障害となった。
オリバーの両親から縁を切られても、オリバーとジェニーの愛の絆と結婚への決意は揺るがず、二人はささやかな結婚式を挙げ、質素なアパートでの生活が始まる。
その後、オリバーの父親から60歳の誕生日パーティの招待状が届いたとき、ジェニーはそろそろ和解の時期が来たとオリバーを説得しようとする。しかし、二人はこの件で大喧嘩をして、ジェニーは家を飛び出す。
そしてオリバーが追いかけてゆき、「悪かった、許して」と謝るオリバーに、ジェニーが言う言葉が、有名なセリフである。
“Love means not ever having to say you’re sorry.”
(エリック・シーガル『LOVE STORY』講談社インターナショナル株式会社、1992年、105頁、149頁)
(原島一男本では、“Love means never having to say you’re sorry.” 原島一男『映画の英語』ジャパンタイムズ、2002年、98頁~99頁)

直訳すると、「愛とは許されるのがわかっているので、謝る必要がないものだ」となるという。この言葉は、後でもう一度出てくる。つまりジェニーが白血病で亡くなった後、オリバーが自分の父親に同じ言葉を言っている。原島一男は、こちらの方は、言葉は同じでも、むしろ「愛とは、後悔する必要のないものです」に近いのではないかと解説している。
(原島一男『映画の英語』ジャパンタイムズ、2002年、98頁~99頁)。
ともあれ、アメリカ東部のボストンで男女の学生が出会い、恋に落ちるというストーリーのこの映画は、若さのもつ“純粋さ”を教えてくれる。ただ一途に相手を愛し、そのために生き、散っていく姿をみると、純愛という言葉の真の意味が伝わってくる(原島、2002年、93頁)。

作家の富島健夫とエリック・シーガルが純愛について対談した際に、8年前に日本で『愛と死をみつめて』という書簡集が出版されて大ベストセラーになったことを話した。
この『ラブ・ストーリー』の主人公とよく似ているが、日本では残された男の人がその後結婚する段になって、読者は大変非難したことも話した。
そして残されたオリバーはその後どういう生き方を歩むと思うかと質問したのに対して、主人公のオリバーは結婚するかもしれないが、その想像は読者自身に委ねたいと思うと答えた。
ただオリバーに言えることは、ある意味でこれからの彼の人生が始まるとも言えると付言した。

ところで、その『愛と死をみつめて』の著者であり、主人公の河野実(まこと)は、この『ラブ・ストーリー』について次のように語っている。
「ぼくも『ラブ・ストーリー』を通読しました。ぼくの体験とあまりによく似てるんで驚きました。ぼくも愛する人を失ったときは、ほんとに自分ももう終わりだ、と思いました。でも、あれは青春の終わりで、決して人生の終わりじゃなかったということが、あとになってわかったのです」と。(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、221頁~222頁)。

青春と人生とを区別して考えている点が注目できる。
訳者板倉章によれば、本質的な定義づけをするなら、青春とは単純性と純粋性であろうと主張している。
そして、この『ラブ・ストーリー』で若者たちを泣かせたものは、いったい何だったのだろうと問いかけている。
その問いに対して、『ラブ・ストーリー』が出版された時、若者が共感したのは、彼らのかくありたいと思う青春があったからであると答えている。つまり若者がもつ純粋性と単純性が、この本に書かれてある純愛(純粋で単純な愛)と、周囲の大人の世界との戦いに共鳴したのだと理解している。
オリバーは父親に代表される偉大なアメリカ(実は人々から自由と生命力を奪っていくだけのインチキな社会)と戦い、絶対的な力であるジェニーの死に対してさえも戦いを挑むのである。青年は荒野をめざす、という青年の夢をかなえていたからであると板倉は解説している(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、214頁~215頁)。


この小説は実話であり、主人公にはモデルがおり、エリック・シーガル自身、これほどのベストセラーになろうとは考えていなかったと、1971年1月に来日した時のインタビューで答えている。
エリック・シーガルが教えているイェール大学の研究室に、大学の生徒が、エリックを訪ねてきて時に話してくれたことを基にして小説化したという。その学生の友達の奥さんは学生結婚をした夫のために日夜働いて彼を卒業させた。就職して、いざこれからという時に、その奥さんは先天性の病気で亡くなったという。

エリックはこの話に感動して、生徒が話し終えて研究室を離れていった時、無意識にタイプに向かい、1968年12月15日から、1969年1月15日までに書き上げたという。つまり、イェール大学文学部教授の時、教え子が語った実話に触発されて、わずか1ヶ月で本書を書き上げたといわれる。
本書は、1970年2月に発売されて、1年間でアメリカ国内で1200万部突破という大記録を打ちたてた。同年12月に公開された映画(ライアン・オニールとアリ・マッグロー共演)も世界的にヒットする。

しかしこの小説が出版されようとも、ましてこれほどのベストセラーになろうとも考えていなかったと、訳者板倉のインタヴューで答えている。
というのはベストセラーの三大要素といわれている、暴力もセックスもペシミズムもないからである。この小説にはマリファナも戦争もフリーセックスも、そして黒人問題もない。だが、この手の小説はアメリカではここ百年というもの出版されたことがなかった。セックスをことさら書かなかったこの純愛小説のために、少女小説と笑われることを、エリック・シーガルは大変恐れたようだ。この小説を発表するのには、そういう意味での勇気が必要だったらしい。
ところで、フランスのル・モンド紙はこの『ラブ・ストーリー』に次のような賛辞を贈った。
「エリック・シーガルは世界中が待ちわびていながら、唯一人としてそれを書く勇気のなかった本を与えてくれた」と。まさにエリックの内心を見透かしたような賛辞であった(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、209頁~213頁)。

清水真弓氏の解説~ジェニファーの名科白にこめた意味


また清水真弓氏は「ラブ・ストーリーについて」という解説を記している(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、196頁~207頁)。

エリック・シーガルという作者の胸には、中世の恋物語の美しさが去来したのかもしれないと想像している。
古典や比較文学の研究家であるエリック・シーガルの中に、現代の『ロミオとジュリエット』を描こうとする意図があったのではなかろうかと清水真弓は捉えている。
今日ではラブ・ストーリーそのものが大人の童話となりつつある。愛をてれずに描くことが出来たのも、作者が才人であるというよりも、大人であるからかもしれない。その意味で、彼は失われた青春の夢を愛惜したともいえるだろうという(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、206頁~207頁)。
青春には負担が多すぎ、生涯のどの時期よりも、傷つきやすいものである。
清水は、このことを示すために、2つの小説を挙げている。すなわち、『卒業』(チャールズ・ウェッブ著)と『ライ麦畑でつかまえて』(J.D.サリンジャー著)である。
つまり、『卒業』の主人公ベンジャミンの行動が、大人や世間の常識というモノサシで計ったら、不可解で支離滅裂であろうと、彼にとって、そのとき、そのときの行動が真実なのである。また、『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデンはインチキを嫌悪し、常識に反抗するが、これらも青春の純粋さの生んだ潔癖感ともいえると清水はいう。ベンジャミンやホールデンの彷徨は、大人への一種の甘えであるかもしれないが、子供から大人になる季節の途中で、自己の存在証明を何によって得るかを模索していると捉えている(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、198頁)。

この『ある愛の詩』という小説は、どうあるべきかなどという文学的な問題ではなく、どんなふうに感じるかをただ書き記した小説であると清水真弓は捉えている。素朴な“愛の象(かたち)”として。
その“愛の象(かたち)”をこの本は一つの事例として示したにすぎないかもしれないという。
「愛とは決して後悔しないことよ」
“Love means not ever having to say you’re sorry.”
(エリック・シーガル『LOVE STORY』講談社インターナショナル株式会社、1992年
、105頁、149頁)

作者はジェニファーにいわせたこの言葉の中に、一つの解答を与えようとしたのではなかろうかという。未練なんかないと言い、愛とは決して後悔しないことを彼の心に残していったのであったと清水氏は理解している(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、199頁)。
また清水は、『ある愛の詩』という小説は、ある意味で、武者小路実篤の『愛と死』に似通った雰囲気をもった作品であるという。『愛と死』は、昭和14年(1939)、作者が55歳のとき書かれたものであるが、若い読者に読み継がれてきているのは、愛の純粋性が描かれているからであろうと清水は推察している。『ある愛の詩』と同じように、僕という語り手の回想形式で書かれている。
一人の女との出会いから、その死に至るまでの過程が描かれているが、作品の魅力はその女主人公にあるといわれる。男が外遊し、帰国を待ちわびる最後の手紙が、無邪気でいじらしく、素直に読者の心に感動を呼ぶ。だが、男の帰国を目前にスペイン風邪で急死してしまう。

一方、『ある愛の詩』の最大の魅力も、イタリア系のラドクリフ女子大学であるジェニファ・キャブラリという女の子に、みずみずしい実在感を与えているところにあると、清水はみている。つまり、最初のふたりの出会いで、オリバーに無関心を装うことで、奇妙に入り交じった感情を抱かせる小悪魔的な面と、そのくせ男の自尊心をくすぐるいじらしさを兼ねそなえた女の子であると、清水は分析している。
『ある愛の詩』は、もっとも現代的な、それでいて、愛の理想的な物語であると捉えている(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、199頁~201頁)。

アンディ・ウィリアムスの名曲「ある愛の詩」


ところでアンディ・ウィリアムスが切々と、そして朗々と歌ってヒットした。
作詞はCarl Sigman、作曲は「男と女」「白い恋人たち」で有名なFrancis Laiであった。
その歌いだしは
Where do I begin to tell the story of
how great a love can be,
The sweet love story that is older than the sea,
The simple truth about the love she brings to me?
Where do I start?
(松山祐士『魅惑のラブ・バラード・ベスト100』ドレミ楽譜出版社、1994年、90頁~91頁)

【松山祐士『魅惑のラブ・バラード・ベスト100』ドレミ楽譜出版社はこちらから】

魅惑のラブバラード100 (メロディ・ジョイフル)

岩谷時子は、エディット・ピアフが作詞したシャンソンの名曲「愛の讃歌」などの訳詞で有名である。その岩谷時子の訳詞では
「海よりも美しい愛があるのを教えてくれたのはあなた。この深い愛を私は歌うの。」としている。

「ある愛の詩」の歌詞について、その歌いだしは、
“Where do I begin to tell the story of how great a love can be,”である。
これは明らかに、小説の書きだし、つまり
“What can you say about a twenty-five-year-old girl who died?”
(どう言ったらいいのだろう、二十五の若さで死んだ女のことを。)
に対応した歌詞であることがわかる(Segal, 1992, p.5. 板倉訳、1972年[2007年版]、5頁)。

【アンディ・ウィリアムスの名曲「ある愛の詩」はこちらから】

アンディ・ウィリアム ベスト・オブ・ベスト (ケース付)


著者エリック・シーガルについて


ところで、著者のエリック・シーガルについては、次のように略記されている。
Erich Segal was born in America in 1937, and studied at
Harvard University. Love Story, his first novel, was written in
1970. It became a world-wide bestseller, with over 21 million
copies sold in 33 languages. A film of the book was made in the
same year, starring Ryan O’Neal and Ali McGraw. This was
also an immediate success. It had seven Oscar nominations,
and won Segal a Golden Globe award for his filmscript.
Segal wrote many other bestsellers, and several of them
were also filmed. One of his most well-known films was the
Beatles’ Yellow Submarine. In 1977 he wrote Oliver’s Story,
which is about what happens to Oliver Barret after Jenny’s
death. Other popular novels were The Class, Doctors, and
Only Love.
As well as novels, Erich Segal wrote many serious works
about Latin and Greek. For many years he was a Classics
Professor at Yale University in America, and he was also a
Fellow of Wolfson College, Oxford. The last part of his life
was spent in England, and he died at his home in London in
2010.
(Erich Segal(Retold by Rosemary Border), Oxford Bookworms Library: Love Story, Oxford University Press, 2008, p.68.)

作者エリック・シーガルは、1937年に、ニューヨークで生まれ、ハーバード大学に学んだ。そして33歳の若さで、イェール大学の教授として古典と比較文学を教え、ギリシア、ローマの遺物について数冊の本を出した俊英の学者であった。
その一方で、ビートルズの「イエロー・サブマリン」のシナリオを書き、ハリウッドの人々の興味を惹起した。『ラブ・ストーリー(ある愛の詩)』は、彼の処女作で、アメリカで発売されるや、大ベストセラーになり、この作品一作で、1970年代の新人作家として迎え入れられた(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、204頁~205頁)。

ビリー・ジョエルの大ヒット曲「オネスティ(HONESTY)」



Erich Segal(Retold by Rosemary Border), Oxford Bookworms Library: Love Story, Oxford University Press, 2008には、次のような質問がある。

What do you think is important when you choose someone to marry?
A good husband or wife should…
・be good-looking
・be from a rich family
・be fun to be with
・have the same interests as you
・be younger or older than you
・be kind
・be intelligent
・be honest
・be loving
・be patient
10項目から選択するというものである。
(Erich Segal(Retold by Rosemary Border), Oxford Bookworms Library: Love Story, Oxford University Press, 2008, p.66.)

「be honest」という項目を結婚する相手に求める点を挙げているのに興味がひかれる。というのは、ビリー・ジョエルの大ヒット曲である「オネスティ(HONESTY)」を思い出すからである。
If you search for tenderness,
it isn’t hard to find.
You can have the love you need to live.
But if you look for truthfulness,
you might just as well be blind.
It always seems to be so hard to give.

Honesty is such a lonely word.
Everyone is so untrue.
Honesty is hardly ever heard,
and mostly what I need from you.
(やさしさが欲しいなら
それはたやすく見つかるだろう
生きていくのに必要な愛を得ることもできるあろう
けれど 正直さを捜そうとなると
いっそ目をつぶってしまいたくなる
正直であるというのはそれほど難しいことだ

誠実とは何と寂しい言葉だろう
誰もが不実な世の中さ
誠実という言葉はめったに聞かれないが
それこそ僕が君に求めるもの
訳 内田久美子)
(羽田健太郎『NHK趣味百科 英語ポップス歌唱法Ⅱ』日本放送出版協会、1995年、96頁)
“Honesty is hardly ever heard, and mostly what I need from you.”(誠実という言葉はめったに聞かれないが、それこそ僕が君に求めるもの)とビリー・ジョエルは心の叫びとして歌っている。
ビリー・ジョエル自身、ニューヨークのブロンクスに生まれた。この歌は都会に住む大人の歌である。つまり、この歌は誠実さがなければ他に何を持っていても、本当に幸せにはなれないと歌っている。この曲は、アルバム『ニューヨーク52番街』の中に収められている曲である。
アメリカ人は、愛する二人に誠実さを求める。

【ビリー・ジョエルのCDはこちらから】

ビリー・ザ・ベスト


《参考文献》
風間研『大恋愛―人生の結晶作用―』講談社現代新書、1990年[1995年版]
鈴木晶『グリム童話―メルヘンの深層』講談社現代新書、1991年[1998年版]
松山祐士『魅惑のラブ・バラード・ベスト100』ドレミ楽譜出版社、1994年
Erich Segal(Retold by Rosemary Border), Oxford Bookworms Library: Love Story, Oxford University Press, 2008.
エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]
エリック・シーガル『LOVE STORY』講談社インターナショナル株式会社、1992年
フォーイン・クリエイティブ・プロダクツ編『麗しのサブリナ』フォーイン・クリエイティブ・プロダクツ、1996年[2004年版]
マーク・ノーマン、トム・ストッパード(藤田真利子訳)『恋におちたシェイクスピア―シナリオ対訳本』愛育社、1999年
別冊宝島編集部『「武士道」を原文で読む』宝島社新書、2006年
清水俊二『映画字幕の作り方教えます』文春文庫、1988年
戸田奈津子『男と女のスリリング―映画で覚える恋愛英会話』集英社文庫、1999年
原島一男『映画の英語』ジャパンタイムズ、2002年
原島一男『オードリーのように英語を話したい!』ジャパンタイムズ、2003年
塚田三千代監修『モナリザ・スマイル』スクリーン・プレイ、2004年
フォーイン・クリエイティブ・プロダクツ編『幸福の条件―名作映画完全セリフ集』フォーイン・クリエイティブ・プロダクツ、1997年







羽田健太郎『NHK趣味百科 英語ポップス歌唱法Ⅱ』日本放送出版協会、1995年






最相葉月『青いバラ』小学館、2001年
最相葉月『絶対音感』新潮文庫、2006年[2009年版]

フランシス・チャーチ(中村妙子訳)『サンタクロースっているんでしょうか』偕成社、1977年[1988年版]
中村妙子編訳『クリスマス物語集』偕成社、1979年[1985年版]

高橋大輔『12月25日の怪物』草思社、2012年
葛野浩昭『サンタクロースの大旅行』岩波新書、1998年[2005年版]


≪加藤恭子氏の速読風読解~『英語を学ぶなら、こんなふうに』より≫

2021-12-15 18:48:19 | 語学の学び方
≪加藤恭子氏の速読風読解~『英語を学ぶなら、こんなふうに』より≫
(2021年12月15日投稿)

【はじめに】


 加藤恭子氏の提唱する速読風読解について、解説してみる。
次の文献を参照にした。
〇加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]

また、加藤恭子氏には、次のような英語関係の書物もある。
〇加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』講談社現代新書、1992年[1996年版]

また、加藤恭子氏は本来フランス語科の出身であるので、フランス語にも詳しく、次のような名著もある。
〇加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫、2000年[2001年版]



【加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会はこちらから】

英語を学ぶなら、こんなふうに―考え方と対話の技法 (NHKブックス)


【加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』講談社現代新書はこちらから】

英語小論文の書き方―英語のロジック・日本語のロジック (講談社現代新書)

【加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫はこちらから】

「星の王子さま」をフランス語で読む (ちくま学芸文庫)



さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・加藤恭子氏の速読風読解
・速読風読解~上智大学経済学部経営科の入試問題より
・英語と日本語の違いについて
・加藤恭子氏とフランス語の『星の王子さま』
・おわりに







加藤恭子氏の速読風読解


どの言語においても、速読も精読もできてこその実力であると加藤恭子氏は主張している。
速く読むためには、次の点に注意すべきである。
・辞書を使わずに、できるだけ速く読むこと。
・“早く”というのは、後戻りをせずに、前へ前へと進み、一気に読み終えてしまうことを意味する。
・わからない単語があったら、エンピツで印をつけること。
・辞書を使って読んでいては、実戦に役に立たないので、辞書はすべて読み終えて、チェックをするときにのみ使うことを勧めている。

「速読風読解」の学習方法は、繰り返し繰り返し、ある程度まとまった量の文章を速度を気にしながら読むことが大切であるという(題材としては、設問がすぐ続き、正解もついているので、大学入試問題が便利であるらしい)。

速く正確に要点を取れる能力、これがあってこその精読であるというのである。そして、次のような注意点を列挙している。
・パラグラフごとの要点を気にしながら読むこと。
パラグラフ全体の内容がわかることが理想的であるが、それが難しければ、各パラグラフの中で、最も重要なセンテンスの見当をつけることがポイントである。
・読むときに日本語に訳さないこと。
 日本語を捨て、英語を英語のままで、その語順通りに「推量の能力」をしぼり出し、何とか読み、つじつまを合わせてしまうこと。“正確に読む”のは、すべてが終わって、辞書を手にしてからでよい。ともかく、荒療治から始めるのがよいとする。
 「読む」作業は、母語でも大変なもので、外国語なら、なおさらであるから、こんな大変なことをあるレベルまでもっていくには、荒療治と努力しかないというのである。
・わからない単語は推量すればよいが、推量に時間をかけているよりは、もしそれによって速度が落ちるなら、飛ばせばよいという。前後の文章から、何とかつなげてしまえばよい。
このような注意点を気にかけて学習すれば、確実に読解力は向上すると加藤恭子氏は述べている。
(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、150頁、167頁~169頁)

【加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会はこちらから】

英語を学ぶなら、こんなふうに―考え方と対話の技法 (NHKブックス)


速読風読解~上智大学経済学部経営科の入試問題より


速読風読解を解説するにあたり、1991年の上智大学経済学部経営科の入試問題を例にとっている。
次の文章は248語からできている。もし10分かかったとしたら、1分当たりの字数は、24.8語となる。自分の1分当たりの読んだ字数を計算してほしいという。


次の文章を読み、(1)~(10)についてそれぞれ(a)~(d)の中から正しいものを一つ選び、その記号を記せ。

The blacks in the USA are descendants of Africans who were brought across the Atlantic in the 17th, 18th and early 19th centuries and sold in the slave markets to plantation owners. Their masters treated them much as they treated their horses. There were no laws to protect slaves from ill-treatment. The
slaves became Christians, but their black preachers taught them that God wished them to serve their
white masters loyally. Few blacks in those early days dared to believe that blacks and whites were
equal.
The American blacks were not freed until the end of the Civil War in 1865. For nearly a hundred
years after the Civil War many of them led a harder life than when they were slaves. The Southern
states passed segregation laws forbidding them to mix anywhere with whites. In the Northern states
there were no segregation laws, but few whites accepted blacks as fellow Americans, and the city slums
where they lived were as unhealthy as anything they had known in the South.
‘Black is beautiful !’ This was the cry of black Americans in the 1960s, for they believed at last that
they could do any job as well as whites if they were given equal opportunities. The riots of the ‘long
hot Summers’ of the ’60s showed they had the power to give the whites a shock. Between 1948 and 1955
the American Supreme Court and other federal organizations had made segregation unlawful every-
where in the USA, especially in schools.

読み終わったら、字数を計算する。そして、設問に取り組むこと。

(1) Most blacks in the USA
(a) recently arrived in America.
(b) want more segregation laws.
(c) have ancestors who come from Africa.
(d) are plantation owners.

(2) The first blacks to come to America
(a) preached that blacks and whites were equal.
(b) were victims of slavery.
(c) came to start the Civil War.
(d) came to spread Christianity.

(3) Before the Civil War blacks in the South were
(a) treated as honored guests.
(b) treated not much better than animals.
(c) anxious to start a rebellion.
(d) hoping to send for more of their relatives to come and join them in their new land.

(4) During the first centuries after their arrival what made life especially hard for Southern slaves
was
(a) they weren’t allowed to practice religion.
(b) there were too few slave markets.
(c) they fell outside of the legal system.
(d) they were forced to live in urban slums.

(5) In the pre-Civil War South religion
(a) was forbidden by the plantation owners.
(b) excluded all but whites.
(c) was used by black preachers to encourage slaves to rise up and rebel.
(d) none of the above.

(6) One result of the Civil War was that the slaves
(a) learned that God wished them to serve their white masters loyally.
(b) were finally freed when the war was over.
(c) were given money and transportation to go back home.
(d) none of the above.

(7) In the first century after the Civil War
(a) most blacks led an easier and happier life.
(b) in fact the number of slave markets increased.
(c) most people accepted blacks and whites as equal.
(d) many of the former slaves actually lived a harder life than before.

(8) The segregation laws
(a) meant that the two races could not mix equally.
(b) were especially harsh in the North.
(c) were declared illegal right after the Civil War.
(d) were slightly less harsh in the North than in the South.

(9) In the first decades after the Civil War most Northern blacks
(a) wanted to move to the South.
(b) suffered from prejudice or discrimination.
(c) were accepted by whites as equals.
(d) were able to move out of the city slums.

(10) Segregation was legal in the USA for a period of about
(a) fifty years.
(b) one hundred years
(c) five hundred years.
(d) it never was legal to begin with.

(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、150頁~155頁)

ここから校正はまだしていない(2021年10月25日)

<ある回答例>


一人の学生に読んでもらったと仮定して、問題文でわからなかった単語(下線部分)と、設問に対する回答を記してもらった。
すると、次のようになった。

The blacks in the USA are descendants of Africans who were brought across the Atlantic in the 17th, 18th and early 19th centuries and sold in the slave markets to plantation owners. Their masters treated them much as they treated their horses. There were no laws to protect slaves from ill-treatment. The
slaves became Christians, but their black preachers taught them that God wished them to serve their
white masters loyally. Few blacks in those early days dared to believe that blacks and whites were
equal.
The American blacks were not freed until the end of the Civil War in 1865. For nearly a hundred
years after the Civil War many of them led a harder life than when they were slaves. The Southern
states passed segregation laws forbidding them to mix anywhere with whites. In the Northern states
there were no segregation laws, but few whites accepted blacks as fellow Americans, and the city slums
where they lived were as unhealthy as anything they had known in the South.
‘Black is beautiful !’ This was the cry of black Americans in the 1960s, for they believed at last that
they could do any job as well as whites if they were given equal opportunities. The riots of the ‘long
hot Summers’ of the ’60s showed they had the power to give the whites a shock. Between 1948 and 1955
the American Supreme Court and other federal organizations had made segregation unlawful every-
where in the USA, especially in schools.

☆学生のわからなかった単語
descendants/slave /plantation/ill-treatment/preachers/loyally/dared/freed/segregation/ forbidding/segregation/fellow/opportunities/riots/Supreme Court/federal/segregation unlawful

☆学生の設問の回答例(※必ずしも正解でないので注意)
(1)→(a)、(2) →(a) 、(3) →(c)、 (4) →(d) 、(5) →(b) 、(6) →(b)、(7) →(a)、 (8) →(d)、 (9) →(d)、(10) →(b)

(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、155頁~159頁)

<考え方の道筋>


・わからなかった単語(下線部分)は18もあった。しかし、同じ単語に3つ印をつけているから、本当の数は16。
(248語のうち、わからない単語は、16しかなかったことになると、指導者は励ます)

・わからなかった単語は、周囲から“推量”すればよいとする。
⇒日本語でも、漢字だけだと、“則”、“罔”、“殆”などとあった場合、見当がつかず、全くわからなくても、「学んで思わざれば則ち罔(くら)く思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし」と、文章に入っていたら、何となくわかる気がするのと、同じである。
・16の単語を抜き出してバラバラに聞いたら、わからない。でも、文章の中に入っていれば、周囲から推量してわかるはず。

〇読解には、「推量の能力」の開発が不可欠であると、加藤恭子先生は強調している。

(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、159頁~160頁)

指導者とある学生の対話を載せつつ、正解に導いている。
その要点のみを記しておく。

☆設問(1)について
本文の1行目から、学生に説明させてみる。
「アメリカの黒人たちは、17、18と19世紀初期に大西洋を渡って連れてこられたアフリカ人たちの○○です」(○○は子孫)
「何とか市場(奴隷市場)でアフリカ人たちは、大農場をもっている人々に売られた」
「主人たちは、彼らを馬のように扱った。奴隷を○○から守る法律はなかった」(○○は歓待の反対)

設問(1)の回答として、(a)の「最近アメリカへ来た」と答えた学生に、指導者は、17、8世紀が最近かと質問する。
そして、学生は「(b)は意味がわからないし、(d)は違っているし、(c)も単語が違うので」と答える。
(c)の動詞が“have”であることに注目させ、「アフリカからの先祖をもつ」ということに気づかせ、(c)の正解に導く。

☆設問(2)について
・学生の回答は(a)にしているが、指導者は、なぜ、そう答えたのか理由を尋ねる。
・すると、「(c)と(d)は違っていて、(b)はよくわからなかったので。白人と黒人が平等だったらどんなにいいかと思って」と答える。
・それに対して、指導者は、あなたの気持ちを推量に入れてはいけないと注意する。そして、本文に書いてあることしか書いてはいけないという。
・“slavery”は、“slave”が“奴隷”だから、「奴隷制度の犠牲者」という意味になり、(b)が正解であるという。

☆設問(3)について
・「奴隷たちはキリスト教徒になりました。しかし、黒人牧師たちは、神は黒人たちが白人の主人たちに、〇〇に仕えることを望んでおられると教えました」
(〇〇は“忠実に”とか“献身的に”という意味)
「その頃、黒人と白人が平等だと信じることを〇〇するような黒人はほとんどいませんでした。」
・アメリカの黒人たちは、1865年に南北戦争が終わるまでは「フリードされなかった」。
⇒逆に言うと、ここで解放されたことになる。
・設問の(3)に戻ると、「馬のように扱われた」のだから、(c) ではなくて(b)が正解となる。

☆設問(4)について
・「南北戦争後百年近く、彼らは奴隷であったときよりもっと大変な生活を送ることになりました。南部の州が〇〇な法律を通したからです。白人と黒人が交わるのを“禁じる”法律を。」
⇒そういう法律を何とよびますか?――“人種隔離法”  
・「北部の州にはそういう法律はなかったけれど、ほとんどの白人は彼らをフェロー・アメリカンズとしては受け入れませんでした。」
(“フェロー”は“仲間”)
・「そして、彼らが住んだ大都市のスラムは、南部で知っていたどこよりも不健康でした。」
・設問の(4)を(d)とした理由を問われると、学生は(a)と(b)は間違っているとみる。彼らは確かにスラムに住んでいましたから、と答えると、それは北部の黒人のことであると指導者に訂正される。
・設問は「南部の奴隷たち」で、まだ奴隷の時代の話で、法制度外にあって、法によって守ってもらえなかったから、(c)が正解。

☆設問(5)について
・学生は、「どれもあまり正しくないように感じで」と答えると、その感じは当たっていると指導者はいう。
・でも、(b)の「宗教は白人以外は排斥した」につけてしまっている。
⇒黒人がキリスト教徒になった話がでてきたのだから、(b)も間違っている。
 としたら、そのどれでもないわけで、(d)が正解。

☆設問(6)について
・その通りという。

☆設問(7)について
・学生は(b)の「南北戦争後の一世紀間、黒人はより幸福の生活を送った」と考えていたが、逆だと気づき、(d)と答える。

☆設問(8)について
・人種隔離法についてだが、学生は(d)につけた。
 しかし、本文には、北部にはそういうものはなかったと書いてあるから、(a)が正しい。

☆設問(9)について
・学生に再考を促し、本当に(d)のように、北部の黒人たちはスラムから出ることができたのですか?と問われる。
⇒すると、(a)の「南部へ帰りたかった」も、(c)の「白人に平等に受け入れられた」も間違っていると、学生はいう。
・では、(b)はどうですか?と問われると、二つの単語“prejudice”と“discrimination”の意味がわからなかったという。
⇒わからない単語がでてきたら、直ぐに推量で分類するとよいと指導者はアドバイスしている。
 これらの二つの単語は、似ていると思うか、それとも“善と悪”のように反対の意味か推量してみる。
⇒北部の黒人たちは何に苦しんだのか? 
 平等に受け入れてもらえないことに苦しんだと学生はいう。“いじめ”と答えると、意味としては“偏見”と“差別”だけれど、そのカンはいいと、指導者は付言する。

再び本文に戻る。
・「ブラック・イズ・ビューティフル!」。これは、1960年代におけるアメリカの黒人たちの叫びでした。遂にどんな仕事でも、白人たちと同じようにできることを信じたのです。もし、彼らが平等な〇〇を与えられたなら……。」と学生はいう。
・「仕事をするについて、平等な機会を与えられれば」と指導者は補足する。
・「60年代の“長い暑い夏”の〇〇は、彼らが白人たちにショックを与える力のあることを示したのでした。」
(⇒アメリカ史で、60年代の夏にアメリカの黒人が何をしたかを思い出すと、〇〇は暴動になる)
・「1948年から55年の間に、何とかと他の組織は、アメリカのどこでも、ことに学校では人種隔離政策は法的でないと決めました。」
⇒このセンテンスには4つもわからない単語があったのに、2つはわかってしまった。
 何かが違法という判断を下すとしたら、どういう所がするのか?と問われると、学生は最高裁と答える。
“Supreme Court”がそれに当たる。“other federal organizations”は、アメリカの政治組織のことを考えると、“連邦のいろいろな組織”という意味になる。

☆設問(10)について
・(b)のアメリカでの人種隔離が約百年合法だったとした理由は?と問われると、
「南北戦争が終わったのが1865年で、その後に生まれ、1948年から55年にかけて禁止されたのですから、83年から90年間、つまり約百年合法だったのでは」と学生がいうと、合っていますと答える。


英語と日本語の違いについて


日本人が書く英文リポートやエッセイは、なぜ欧米人に理解されにくいのか。
日本語と英語の言語感覚や発想の差異、ロジックやレトリックの相違などを通して、正確でわかりやすい英語文章の書き方を伝授しようしたのが、加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』(講談社現代新書、1992年[1996年版])である。

たとえば、書き手と読み手の関係について、次のように加藤恭子氏は考えている。
日本語が「読み手指向型」であるのに対し、英語が「書き手指向型」であるという。
日本語における書き手と読み手の関係は、“受容的”である。両者は同じ側、または同じグループに属している。書き手が展開する議論に、読み手は賛成しなかったとしても、強い拒否はあまり示さない。
しかし、英語での書き手と読み手の関係は、競合的である。書き手は、読み手が自分に共感してくれるなどと思うことはできない。「自分の言うことは、こういう理由で正しいのだ」と、説得にかからなくてはならない。

この根本的な態度の違いは、使う単語の違いにもはっきりと現われているという。
日本人は、“we”を使って英語を書くのが好きだが、英語を母国語とする人間は、その場合“we”ではなしに、“you”を使う。

たとえば、
「海外旅行にあたっては、予防注射が必要かどうかを調べなければならない」
というような場合、日本人は“we”とする傾向がある。
 When we go abroad, we should check whether we need any vaccinations.
日本人は単一民族的色彩が濃いので、他人を“私たちの中の1人”とみなすというか、皆が同じグループに属していると感じるのだろう。

だが、このような場合には、英語では“you”を使うのが、ふつうらしい。
 When you go abroad, you should check whether you need any vaccinations.

“we”と “you”の違いは、小さなことにみえるかもしれない。“we”を使っても、文法的には正しい。だが、この違いは、日本人が気づいている以上に大きく、メンタリティの根本的な差を示しているようだ。「共同」のメンタリティと「対決」のメンタリティと表現してもよい。

(加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』講談社現代新書、1992年[1996年版]、163頁~166頁)

【加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』講談社現代新書はこちらから】

英語小論文の書き方―英語のロジック・日本語のロジック (講談社現代新書)

加藤恭子氏とフランス語の『星の王子さま』



関正生氏も英語版の『星の王子さま』を、オススメの多読教材として挙げていた。
ここでは、加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』(ちくま学芸文庫、2000年[2001年版])を取り上げて、フランス語でも「前から読んでいく」ことが重要であることを確認しておく。
つまり、フランス語と英語の語順が類似し、日本語の語順がいかにフランス語と英語のそれと異なっているかということを説いている。フランス語の語順がフランス人の考え方そのものであるというのである。

(以下の記事は、中断している私のブログ「フランス語の学び方あれこれ」で書く予定であったものであることを断っておく)

【加藤恭子氏とフランス語】


<なるべく訳そうとしないこと>
・フランス語の真の「読解力」を身につけたいとは誰しも思うことであるが、「読む」ことと「訳す」ことは必ずしも同じではない。
・フランス語的考え方と、日本語的考え方は同じものではない。だから、原文を日本語に翻訳してしまうのは、四角い物を無理に丸い箱に入れようとするようなものであるという。
(どこかを切り捨てなければ、できることではないし、もし、その切り捨てた部分が重要だったとしたら、大変である)。
そこで、次のような二段階で取り組めばよいことを加藤氏は薦めている。
① 「著者は、どういうことを言っているのだろうか?」
このどういうことに焦点を当て、できるだけ正確に、深く、理解するように努める。そしてその「内容」を理解する。
② 「では、そういう「内容」は、日本語ではどう表現するのだろうか?」
そして加藤氏は、日本語の語順で読まないことを強調している。日本語に訳さない以上、その語順を強制する必要はなくなる。つまり後からひっくり返し、ひっくり返して読まないことが大切であるというのである。要は、文は頭から少しずつ読むこと。それがフランス人が考え、書き、理解する語順なのであるという。

ところで、『Le Petit Prince』は、当然のことながら、フランス語で書かれている。サン=テグジュペリという個人によって、生み出されたものではあるが、背後にはフランスの文化、生活様式があり、フランス語的考え方の中で考えられ、書きとめられた。つまりフランス文化の中に咲いた華であるというのである。

一方、それを読む私たち日本人は、日本語的思考方法に従ってものごとを考え表現する。日本の歴史、生活、文化の中から生まれてきた「華」「産物」である日本語に規定されている。
こうした文化的背景の差を常に念頭に置いておくことが必要である。
(加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫、2000年[2001年版]
、30頁~31頁)。

このように、フランス語の語順で理解し、日本語に翻訳しないことを加藤恭子氏は提言している。
そして『星の王子さま』の冒頭を利用して、フランス語、英語、日本語の語順比較を行っている。
1Losque 2j’avais six ans 3j’ai vu, une fois, 4une magnifique image,
5dans un livre 6sur la Forêt Vierge 7qui s’appelait «Histoires Vécues».

1When 2I was six years old 3I saw 4a magnificent picture
5in a book, 7called True Stories from Nature,
6about the primeval forest.

2私は6歳の 1とき、6原始林についての 7「実話集」という 
5本の中で、4すばらしい絵を 3見たことがあります。

仏語 ―1234567
英語 ―1234576
日本語―2167543

フランス語と英語だけを見ると、6と7が逆になっているだけで、あとはそのままの語順である。でも、日本語と比べると、複雑である。
(加藤、2000年[2001年版]、33頁~35頁)

フランス語と英語の語順が類似し、日本語の語順がいかにフランス語と英語のそれと異なっているかがわかる。フランス語の語順がフランス人の考え方そのものであるというのである。

<加藤恭子氏の座右の銘>
『星の王子さま』の中で、バオバブも大きくなる前は、“ça commence par être petit.”と言う。
この“ça”は、バオバブを指しているが、直訳すると、「それは小さい状態から始まる」つまり、大きなバオバブも、小さいところから始まったのだ、もとは小さかったのだ、となる。
もちろんあたり前のことではある。「大人の前は子どもだった」「花の前はつぼみだった」と並べれば、あたり前の羅列ができ上がる。しかし、そのあたり前のことの中にひそむ真理をこんなにも美しく浮き上がらせることは、サン=テグジュペリの才能というものであろうと加藤恭子氏は賞賛している。
“ça”はもちろん “commence”も“par”も “être”や“petit”はいずれも初級に出てくるフランス語である。それを組み合わせて、ある環境に置いたとき、こんなにも光る言葉となる。加藤氏自身が座右の銘にしている言葉の一つであるという。
(加藤、2000年[2001年版]、90頁~91頁)

【加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫はこちらから】
【加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫はこちらから】

「星の王子さま」をフランス語で読む (ちくま学芸文庫)



おわりに


田辺保氏は『なぜ外国語を学ぶか』(講談社現代新書、1979年)において、語学・フランス語の学習について次のように述べている。
語学の学習は、楽器のけいこと同じように毎日、たとい短時間でもよいから、怠らずにつづけることである。1週間に2度、3時間の勉強をするより、毎日30分ずつをくりかえす方がよいと。
そして、訳読の時も、ひとつの文章の意味が理解できたらもう一度、声に出して読んでみるとよい。内容が正しくわかったうえでなければ、それにふさわしい感情のリズム、イントネーションはそえられないのだから、音読は訳したあとの方がよいかもしれないという。何度もくりかえし読み、原文の中身を原文のあらわす音のつらなりとともに、自分に納得させて行くことが重要であるという。
(田辺保『なぜ外国語を学ぶか』講談社現代新書、1979年、186頁~187頁)

【田辺保『なぜ外国語を学ぶか』講談社現代新書はこちらから】

なぜ外国語を学ぶか (1979年) (講談社現代新書)

また、どの言語においても、速読も精読もできてこその実力であると加藤恭子氏は主張している。速く読むためには、辞書を使わずに、できるだけ速く読むこと。“早く”というのは、後戻りをせずに、前へ前へと進み、一気に読み終えてしまうことを意味するという。わからない単語があったら、エンピツで印をつけること。辞書を使って読んでいては、実戦に役に立たないので、辞書はすべて読み終えて、チェックをするときにのみ使うことを勧めている。

「速読風読解」の学習方法は、繰り返し繰り返し、ある程度まとまった量の文章を速度を気にしながら読むことが大切であるという(題材としては、設問がすぐ続き、正解もついているので、大学入試問題が便利であるらしい)。速く正確に要点を取れる能力、これがあってこその精読であるというのである。そして、次のような注意点を列挙している。
・パラグラフごとの要点を気にしながら読むこと。
パラグラフ全体の内容がわかることが理想的であるが、それが難しければ、各パラグラフの中で、最も重要なセンテンスの見当をつけることがポイントである。
・読むときに日本語に訳さないこと。
 日本語を捨て、英語を英語のままで、その語順通りに「推量の能力」をしぼり出し、何とか読み、つじつまを合わせてしまうこと。“正確に読む”のは、すべてが終わって、辞書を手にしてからでよい。ともかく、荒療治から始めるのがよいとする。
 「読む」作業は、母語でも大変なもので、外国語なら、なおさらであるから、こんな大変なことをあるレベルまでもっていくには、荒療治と努力しかないというのである。
・わからない単語は推量すればよいが、推量に時間をかけているよりは、もしそれによって速度が落ちるなら、飛ばせばよいという。前後の文章から、何とかつなげてしまえばよい。
このような注意点を気にかけて学習すれば、確実に読解力は向上すると加藤恭子氏は述べている。
(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、150頁、167頁~169頁)。

【加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会はこちらから】
【加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会はこちらから】

英語を学ぶなら、こんなふうに―考え方と対話の技法 (NHKブックス)




≪伊藤和夫氏と英文解釈≫

2021-12-15 18:44:30 | 語学の学び方
ブログ≪伊藤和夫氏と英文解釈≫
(2021年12月15日)
 

【はじめに】


前回のブログで、伊藤和夫の言語観・英語観について、言及した。
晴山陽一の著作から英語教育について一人の人物に私は辿りついた。駿台予備校の伊藤和夫という人物である。私は幸か不幸か、大学受験で予備校や塾のお世話になったことは一度もなかったので、このような優秀な予備校講師がいることを、晴山陽一の著作を読むまで全く知らなかった。しかし、この先生の著作を実際にあたってみると、いろいろと啓発されることを多く書かれてある。以下、紹介しみたい。

前回のブログでは、
伊藤和夫が目指したのは、<英語→事柄→日本語>という理解の順序である。伊藤は言う。
「英語自体から事柄が分かること、つまり訳せるから分かるのではなく、分かるから必要なら訳せることが英語の目的である」と。
伊藤和夫の言語観とは、「言語の習得は理解が半分、理解した事項の血肉化が半分である。後者のためには、同種の構文で書かれた文章を大量かつ集中的に読むことが有効である」というものである。

伊藤は「あとがき」で、
「英語の構文を理論的に解明することを主眼とし、英文の読解にあたってその構造をできるかぎり意識的に分析しようとした」のが、『英文解釈教室』という本であり、この書物から得た知識をもとに、自分が読みたい原書を読むことを勧めている。そして、「本書の説く思考法が諸君の無意識の世界に完全に沈み、諸君が本書のことを忘れ去ることができたとき、本書は諸君のための役割を果たし終えたこととなるであろう」と締めくくっている。伊藤和夫(1927-1997)は、東京大学文学部西洋哲学科を卒業しただけあって、その主張は哲学的で、説得力がある。

日本語にする以前の水際で英文を「事柄」として理解する。それが伊藤が生涯追い求めた理想の「英文解釈」のあり方だったようだ。この<英語→事柄→日本語>という図式は、國弘正雄の<英語→イメージ→日本語>と完全に一致すると晴山陽一はいう(伊藤、1977年[1997年版]、iii頁~v頁、314頁。晴山、2008年、121頁)。



【伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫はこちらから】

ビジュアル英文解釈 PARTI (駿台レクチャー叢書)


【伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』駿台文庫はこちらから】

ビジュアル英文解釈 PARTII (駿台レクチャー叢書)















さて、今回の執筆項目は次のようになる。









『』の要約



伊藤和夫氏の考える英語の基礎



文がこみ入ってくると、不定詞や so that...canをいちいち後から返って訳しているのでは、話が混乱してしまって、訳文が明瞭でなくなることも多い。
伊藤和夫がいつも言うように、「言葉の順序は思想の重要な部分」なのだから、先に出てくるものを先に訳すという方法にはそれだけで一つのメリットがある。

「目的」の不定詞は「ために」と訳すというような機械的な教わり方をし、そこから抜けられないために英語を読むために、目が英文の中を右往左往し、結局そこで挫折してしまった人がどんなに多いかと考えると恐ろしくなるくらいともいっている(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年、186頁)

英語の基礎は、次の3つにあるという。
①主語と動詞の結びつきに代表される5文型
②修飾する言葉とされる言葉、HとMの結びつき
③節の使用による文の複雑化

全体の見通しがアタマあれば、個々の例題を通して単純なものから複雑なものへと、知識がラセン状に組み立てられてゆくのが、望ましいというのが、伊藤和夫の考え方である。
伊藤和夫のアタマの中にあったシステムがどのようなものかを、その中心部だけでも、最後にハッキリ示しておくことは有益だと思う。
伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』(駿台文庫、1988年)を終えて、「文法」を読むとよい。参照ページを丹念にたどって行けば、伊藤和夫が何を教えたくて、あちこちでいろんな伏線を張ったり、仕組んだりしていたか、どの部分とどの部分が有機的に関連するかが分かるという。それが力がつくことだと力説している。

最後に伊藤和夫は、
分らないと思っている英文の多くは、実は内容についての予備知識がなかったり、体験が不足しているために、形と無関係に「分からない」ことも多いと断わっている(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』駿台文庫、1988年、242頁~243頁)。

英文は「左から右へ、上から下へ」読む


伊藤和夫先生の口ぐせは、「左から右へ、上から下へ」英文を読むことである。
英語を読むときの目の動きが必ず「左から右、上から下」だということの中には、この順序に添わない、つまりこの順序を逆にする考え方や教え方は、すべて不自然だということが含まれていると、伊藤先生は主張している。

たとえば、次のような英文があるとする。
 In Vermont someone had to walk with a red flag to
warn that it was coming.

・had to は「…しなければならない」という意味の助動詞must(= have to)の過去形。
・with a red flag 「赤い旗を持って」
・to warn 「警告するために」はwalk にかかる副詞的用法をまとめる不定詞。
・warn that …のthatは、warnの目的語になる名詞節をまとめる接続詞。
⇒It(=the car)was coming.とすれば独立文になることを確認する。
≪訳文≫
「バーモントでは、赤い旗を持った人が歩いて、自動車の接近を警告しなければならなかった。」

ここで、基礎が分っていない学生のR君が、次のような質問をする。
伊藤先生は、「to warnは警告するためにという意味の、目的を示す不定詞」だと言いながら、「歩いて…警告しなければならなかった」と訳している。「警告するために歩かなければならなかった」と訳さなくていいのですか、と。

伊藤先生は、この文章を英語で読むときには、次のような順序で、内容を追うことができなければ、本物でないという。

In Vermont (バーモントで), someone had to walk (誰かが歩かなければならなかった), with a red flag(赤い旗を持って), to warn that …(…ということを)
そして、次のように付言している。
※to warnは「目的」を示す不定詞だと教わると、まず目がそこへ行き、that it was comingを訳してから、次にsomeone had to walkへ目がもどるといった、行きつもどりつ型の読み方はだめなのだと。

そして、もう一人の学生G君は、伊藤先生に次のように反論する。
訳を通して考えるやり方で教わってきたから、伊藤先生のようなやり方では、ちゃんとした日本語にならない。分かったとはとても思えないと。

伊藤先生は、学生を諭す。
訳せたから読めたのではない。読めてるから、必要な場合には訳せるのだ。
このやり方は、すぐに慣れてくるはずだ。
だいたい、関係代名詞は、うしろから返って「…であるところの」と訳してみると意味が分れるというような、考え方や教え方をしているから、力がつかないのだという、伊藤先生の持論を主張している。

(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年、3頁、6頁~7頁、22頁~23頁)

文法的な解釈と、どう訳すかとは次元のちがう問題


伊藤和夫先生は、『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』(駿台文庫、1988年)において、文法的な解釈と、どう訳すかとはある程度次元のちがう問題であるという。
たとえば、次のような英文がある。

Far more important to men and women than the pleasures of
television or the motorcar is the fact that they can get the food and
shelter and the medical care needed to keep themselves and their
families in health and reasonable comfort.

<Vocabulary>
pleasure喜び shelter(衣食住の)住 medical care医療 reasonable ほどよい、応分の

・Far more important to …のFarは比較級を強める語。
(cf.) Gold is far heavier than water. (金は水よりずっと重い)

☆本文は、形容詞ではじまっている。主語はどこにあるのだろうと思えることが大切である。
ここで、次のように考えるのでは、心細い。
 than the pleasures of television or the motorcar is the factの所が、the pleasures (=S)… is(=V)と見えてしまう。
⇒複数形のthe pleasuresがisの主語になれないいのはもちろんである。
 それよりこの読み方では、次のように、この文は主語はおろか、動詞までなくなってしまう。
Far more important
→than the pleasures … is the fact that …

かといって、It is far more …のIt isの省略だろうなどと考えるのが、伊藤先生がいつも攻撃する「省略」のごまかしである。
(そんなことを許す規則はどこにもないという)

・thanのかかるのは、… the motorcarまで。
「男や女にとり、テレビや車の楽しみよりはるかに重要な」と読んでいて、is the factの所で、is が動詞、主語はあとのthe fact、全体はC+be+Sの構文とひらめくのが正しい解釈である。
(C=Complement:補語、S=Subject:主語を意味する)

・the fact thatのthatが関係代名詞であってはならないという約束はないが、同格名詞節が第1感としてひらめくのが、英語に慣れているということである。

・they can get the food and shelter
foodにtheがつくのはなぜかと感じていれば、the medical careのあとのneeded(=p.p.つまりPast Participle:過去分詞)をfood、shelter、medical careの3つにかけて、「…に必要な食物と住居、医療手段」と読めるはずである。
⇒needed以下の限定を受けるからthe foodとなっている。
(cf.) We buy it because of the quality or the value of the product.
  (それを買うのは、製品の品質または価値のためである)

・to keep themselves and their families in …
×ここを「ひとりでいて、家族を…に保つ」のように、
  keep themselves
and their families in health …
と読むのはいかにも不自然である。

〇ここは、keep (O+O) in healthと読むのが釣り合いのとれた読み方である。
⇒この文のin health …も目的補語である。
「自分と家族を健康で…快適な状態に保つ;自分も家族も健康で…快適な生活を送る」

・reasonableは「合理的な」ではない。
 プールつきの豪邸に住んで召使いにかしづかれるといった、並みはずれた快適さまでは望まないが、人間として許されて当然の快適な生活はしたいと言っている。
※最後まできて、they can get以下に主語や目的語の点で欠けるものがないこと、つまりthatが接続詞で同格名詞節をまとめているという予想が正しかったことも確認できた。

☆まだ全体を訳す仕事が残っている。
この文は、C+be+Sであるが、文法的な解釈と、どう訳すかとは、ある程度次元のちがう問題であるという。
この解釈は、この文を「…はるかに重要なのは、…」とCをSのように訳すことを妨げるものではない。
⇒言葉が目に入る順序からすれば、そのほうが原文に近いとも言える。

「男や女にとり、テレビや車が与えてくれる楽しみよりはるかに重要なのは、…」とはじめよう。

・that – Clauseは、「…するために必要な食物と住居…を得ることができる」と訳しても、もちろん誤りではないが、訳がゴタゴタする。
⇒だから、neededまでで一度切って、「必要な食物と住居、医療手段を得て、自分も家族も健康で相当程度快適な生活を送れるようにすることである」とまとめる。

<大意>
「男や女にとり、テレビや車が与えてくれる楽しみよりはるかに重要なのは、必要な食物と住居、医療手段を得て、自分も家族も健康で相当程度快適な生活を送れるようにすることである。」
(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』駿台文庫、1988年、175頁~178頁、181頁)

伊藤和夫『ビジュアル英文解釈』にみられるルール


伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』(駿台文庫、1987年)では、英文解釈において次のようなルールをまとめている。

<List of rules ルール>
ルール1 前置詞のついた名詞は文の主語になることができない
ルール2 文の中で接続詞によってまとめられる部分は、それだけを取り出すと独立の文になる
ルール3 関係代名詞は節の中で代名詞として働き、先行詞を関係代名詞に代入すると独立の文ができる
ルール4 A and (M) Bの形では、Mは常にBにかかる
ルール5 第5文型の文のOとCの間には主語と述語の関係がかくれている
ルール6 名詞のあとに主語と動詞がコンマなしで続いているときは、関係代名詞の省略を考える。あとに目的語を持たない他動詞か前置詞があれば、それが正しいことになる
ルール7 形容詞・分詞があとから名詞を修飾するときは、名詞と形容詞・分詞の間に主語と述語の関係がかくれている
ルール8 かくれた述語の過去分詞を本来の述語に変えるときは、前にbe動詞を加える
ルール9 疑問代名詞と関係代名詞のwhatは、名詞節をまとめると同時に節の中で代名詞として働く
ルール10 接続詞+M2(副詞的修飾語)+S+Vの文ではM2は必ずあとの動詞へかかる
ルール11 冠詞と所有格のあとには名詞がある。このとき「冠詞(所有格)…名詞」の中に閉じこめられた語句はその外に出られない
(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年、283頁)


関係代名詞(主格)とルール3


関係代名詞(主格)について考えてみる。
次の英文が、関係代名詞を含む文である。
 
All dogs which were brought into the country
had to stay in some place for half a year.

・[All dogs had to stay …]+[The dogs were brought into …]と考える。
・were brought into the country「国内に持ちこまれた」→「国外から来た」
・had to stay in some place for half a yearは、for … a yearがstayにかかって、「ある場所に半年は留まらなければならなかった」
・The dogs …が、which were broughtに変わって、All dogsを修飾する形容詞節(名詞を修飾する節)になっているわけであるから、「国外から来た犬はすべて、ある場所に半年は留まらなければならないことになっていた」とまとめる。

※この文は関係詞の節がSとVの間に入って、S(S+V)Vという構成になっていることに注意せよ。

All dogs which were brought into …の所で、伊藤先生は、関係代名詞の節をThe dogs were brought into …という独立文にして見せた。
そして、次のように解説する。

※関係詞の節は、独立文の中の名詞か代名詞が、関係代名詞に変わることによって、文全体が別の文の中の名詞に対する修飾語(形容詞節)になったものとみる。
※関係詞の節について分からないことがあったら、「…であるところの」式の分かりにくい日本語の意味を考えるのではなく、
(1)先行詞を関係詞に代入して、分かりやすい独立文に還元し、
(2)次にそこで分かったことを先行詞に対する修飾語にしてみるということ
が大切である。
そして、これがどんな場合にもあてはまる手順である。
このことを、「関係代名詞は節の中で代名詞として働き、先行詞を関係代名詞に代入すると独立の文ができる」とまとめて、ルール3とする。

(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年、24頁~25頁、29頁~30頁)

ルール4の解説


ルール4は、「A and (M) Bの形では、Mは常にBにかかる」というものである。ここのMはModifier(修飾語)を意味する。
たとえば、次のような英文があったとする。

The nightingale usually begins to sing about
the middle of May, and after the second week
in June people hear his voice no more.

・The nightingale usually begins to sing 「ナイチンゲールは普通歌いはじめる、歌いはじめるのが普通である」
・about the middle of Mayは「約、およそ」
⇒全体は「5月の中ごろに」の意味で、begins to singにかかる。

☆and after the second week in June … さて、このandは何と何を結ぶのだろうか?
ここを次のように考えた人はいないだろうか。
「ナイチンゲールは普通5月の中ごろと、6月の第2週以降に歌いはじめる」

歌いはじめる時期が1年に2回もあるのはおかしいが、もし、この文が、
The nightingale … begins to sing
about the middle of May,
and after the second week in June.
のように、in Juneの所で終わっていれば、ほかの読み方はない。
しかし、この文ではin Juneのあとに、people hearという主語と動詞が続く。
これが、この文の読み方を根本的に変えるのである。
そんなことはないと言い張り、
「5月の中ごろと6月の第2週のあとに、ナイチンゲールは歌いはじめる。人々はその鳥の声をもう聞かない」と訳せると言う人は、この読み方では、The nightingale usually begins とpeople hear という2つのS+Vを結ぶ言葉がないことに気がつかなくてはいけない。

The nightingale usually begins to sing about
the middle of May, and (after the second week
in June) people hear his voice no more.
「ナイチンゲールは普通5月の中ごろに歌いはじめる。6月の第2週以後はその声くことはもうなくなります」と読むのが正しい。

※and はThe nightingale … begins とpeople hearを結ぶのである。

※こういう考え方をすることを、読者はafterからin Juneまでをカッコに入れなさいと教わっているかもしれない。
カッコに入れるとは、いま述べたような考え方をすること、つまりandが何と何を結ぶか、andのすぐあとに来るものではなく、ひとつ後にくるものがand以下の中心になるのではないかという考え方をすることなのである。
⇒この考え方を一般的に示すと、A and BのandとBが離れる次のような形になる。
 A and … B
…の部分に入る言葉はどういう働きをするのか。
こんな所に文全体の中心になる主語や動詞が出るはずはなく、ここに修飾語が入る。
 A and (M) Bの形になる。
この構文ではMは常にBにかかる。つまり、
 A and (M→) Bになる。

〇英語には、形が意味より優先する場合があり、この規則はその1つである。
これを、
A and (M) Bの形では、Mは常にBにかかる
とまとめて、ルール4と、伊藤和夫先生はみなしている。

(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年、xii頁、34頁~35頁)


ルール10の解説


「ルール10 接続詞+M2(副詞的修飾語)+S+Vの文ではM2は必ずあとの動詞へかかる」について、解説を記しておく。

☆代名詞のthatと接続詞のthatは、どうやって見分けるのだろうか?
この点について、次のように説明している。
(1) They say that.
(2) They say that people usually marry in their teens.

(1)は、「彼らはそのことを言う」でthatは代名詞。
(2)も(1)と同様に、They say that …ではじまるが、thatは代名詞ではなく接続詞と感じられる。

☆同じthatなのに、ちがって感じられるのはなぜだろうか?
(2)では、people … marryという、thatによってまとめられるS+Vがthatとほぼ同時に目に入るからである。
この文は「人は普通十代で結婚すると言われる」の意味である。

(3) They say that in tropical countries.
(4) They say that in tropical countries
people usually marry in their teens.

(3)は「熱帯の国々では彼らはそのことを言う」で、thatはまた代名詞。
(4)はどうだろうか?
 最後まで読めば、(2)と同じように、people … marryがthat によってまとめられるS+Vで、thatは接続詞だと分かるが、They sayからはじめてthatまで来たところでは、thatは代名詞なのか接続詞なのか分からないことになる。

予想と確認が大切

※こういうところでは、途中で判断を保留して決定的な因子の登場を待つ、つまりin tropical countriesのあとがどうなるかを先に調べて決めるのではなく、一応thatの所で先を予想して、その予想に従った見通しを立てることが大切であるという。
では、thatの所で次のどちらを選ぶことになる。

(3)’ They say that(=代名詞) in … 名詞.
(4)’ They say that(=接続詞) in … 名詞+S+V

They say that …ではじまる文は、people … marryの所で自分の予想通りS+Vが現れたことが分かったら、そのまま先へ進めばよく、(3)’を選んだ人は文がin tropical countriesで終らず、予想外のS+Vが現れたら、それに驚いて前に返り、thatについての解釈を訂正すればよい。

※「予想と確認」または「予想と確認と訂正」。
これが、この本のPartⅠとPartⅡの全体で、伊藤和夫氏が読者に一番身につけてもらいたい考え方である。
(また、そのために必要な知識を、この2冊の本で提供したという)

さて、もう一つ大切なことがある。
それは、M2 thatとthat M2 のちがいを分かってほしいことである。

(3)は、
 They say that ←in tropical countries.
でin tropical countriesはsayを中心にかかったが、(4)のようにthatが接続詞と決まると、接続詞のthatは文の中で自分がまとめる部分の開始を示すので、in tropical countriesをthatをこえて前のsay へかけることはできなくなる。

(4)は、
 They say that (in tropical countries)→people … marry

と読んで、「熱帯の国々では人は普通十代で結婚すると、言われる」と訳すことになる。
逆に、in tropical countriesがthatの前に出ると、次にようになる。

They say in tropical countries that
people usually marry in their teens.

ここでは、They say ←in tropical countries that people … marry というかかり方、つまり、「人は普通十代で結婚すると、熱帯の国々では言われる」と解釈することになる。

※このことを一般化すると、
「接続詞+M2(副詞的修飾語)+S+Vの文ではM2は必ずあとの動詞へかかる」
というルールができる。
これをルール10と、伊藤和夫氏はみなしている。

(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年、153頁~155頁)

伊藤和夫と英語の熟語


【賞賛・非難のfor】
賞賛・非難の意を示す動詞は、動詞...for ~の形で「~のことで...を...する」の意味で使うものが多い。
 cf. excuse, scold, praise, thank
blame...for~ 「...を~で非難する」
【問題】
Don’t blame me (for what happened, from one to the other, getting it right, out of order).
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、
101頁~102頁)

【禁止のfrom】
hinder, keep, prevent, prohibit, protect, stop等の動詞は、「動詞...from~」の形で、「...が~をすることをふせぐ(妨げる、禁止する)」の意味を示す。
keep ... from ~「...に~をさせない、...を~から守る」
【問題】
君の犬を私の庭に入らせないようにできないかね。
Can’t you [your dog / let/ keep/ out/ from/ coming] into my garden? (2つ不要)
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、
105頁~106頁)

【「~に変える」のinto】
change, cut, divide, make, turn, translate, talk等の動詞は、「動詞...into~」の形で、「...を~に変える」の意味を示す。
【問題】
I have translated a simple proverb ( ) plain English.
(簡単な諺を易しい英語に訳した)
translate...into~「...を~に翻訳する」
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、
109頁~110頁)

【分離のof】
clear, cure, deprive, rid, rob等の動詞は、「動詞...of ~」の形で、「...から ~を分離(除去)する」を示す
【問題】
This medicine will cure you ( ) your disease. (成城大)
(このクスリであなたの病気はなおるだろう)
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、
103頁~104頁)


【打つのon】
hit, pat, tap, strike等の動詞は、「人の頭(肩・背中)を打つ」を、「動詞+人+on the head (shoulder, back)」という形で表わすことが多い。
【問題】
He patted me (the back, my back, by my back, on the back). (慶大)
(彼は私の背中を軽くたたいた)
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、
105頁~106頁)

【with+供給物】
present 物 to人=present 人with物「人に物を贈る」
fill, present, provide, supply 等の動詞は、目的語のあとのwith~で材料または供給物が示される。
【問題】
I am going to present the prize ( ) her.
=I am going to present her ( ) the prize.
(その賞は彼女に贈るつもりです)
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、
107頁~108頁)

【基本動詞 takeを使った熟語】
1. take down     書きつける、書きとめる(=put down, write down)
2. take in (=deceive)  だます
3. take off   (帽子・靴などを)脱ぐ
4. take...off  (ある期間・日を)休暇として取る
5. take off  (飛行機が)離陸(出発)する
6. take on  (仕事・責任などを)引き受ける
7. take out  (人を)連れ出す
8. take over  引き継ぐ
9. take up (=occupy) (時間・場所などを)取る、占める。

【問題】
1. He took ( ) my telephone number in his notebook.(慶大)
2. I was taken ( ) by his smooth talk and appearance. (上智大)
3. Take ( ) your hat when you come into a room.(静岡大)
4. I have a headache, and I would like to take a day ( ) today.(関西学院大)
5. Our plane took (away, in, off, out) at exactly twelve o’clock, and landed on time
at Kennedy airport.(日本大)
6. Mr. Wilson said that he did not want to (look up, put up, take on, wear down)
any more serious obligations.(早大)
7. I plan to (take, make, see, call) a friend out to dinner tomorrow.(南山大)
8. John expects to take (after, back, into, over) the business when his father
retires.(慶大)
9. Please don’t trouble yourself for me. I don’t want to (get, give, make, take) up
your time.(京都産業大)
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、73頁~74頁)。

基本動詞 putを使った熟語
1. put away 片づける(しまう)
2. put off (=postpone)...[until ~] を[まで]延期する
3. put on 着る、身につける
4. put on weight 体重がふえる
5. put out (=extinguish) (火・燈火などを)消す
6. put up (旗を)掲げる、(家を)建てる

【問題】
1. Will you please help me clear the table? =Will you please help me put
( ) the things on the table? (早大)
2. They had to put ( ) their departure on account of heavy snow. (中央大)
3. If you want to help with the cooking, you had better take off your jacket
and put ( ) this apron.(浜松医大)
4. John has gained a lot of weight recently.
=John has ( ) ( ) a lot of weight recently.(立教大)
5. ( ) ( ) your cigarette before you go into the elevator.
エレベーターに乗る前にはタバコの火を消して下さい。(横浜市大)
6. They put ( ) the flag on national holidays.(早大)
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、71頁~72頁)。


2015年5月10日以降入力

暗記英文
①鈴木長十・伊藤和夫『新・基本英文700選』駿台文庫、2002年[2013年版]
②藤田英時『基本英文700でまるごと覚える重要単語&熟語1700』宝島社、2012年

受験英語用
①のNo.14
 The best way to master English composition is to keep a diary in English.
(英作文に上達するには英語で日記をつけるにかぎる)
(鈴木・伊藤、2002年[2013年版]、10頁~11頁)
①のNo.555
 The role of the historian is less to discover and catalog documents than to interpret and explain them. (歴史家の役割は、史料の発見や分類よりも、むしろその解釈と説明にある)
(鈴木・伊藤、2002年[2013年版]、130頁~131頁)

実用的
②のNo.189
 You should be at the boarding gate at least 30 minutes prior to your scheduled departure time.
(出発予定時刻の少なくとも30分前に搭乗口にいる必要があります)
 (藤田、2012年、56頁)
②のNo.345
 Sorry I didn’t respond earlier, but I just haven’t had a chance to check my email for a while.
(もっと早く返事をしなくてごめん、でもしばらくメールをチェックするチャンスがなかったんだ)
 (藤田、2012年、92頁)


15年5月24日以降、2021年12月14日構成を変更し、見出しづけ

言葉の理解と音楽~伊藤和夫の言語観・英語観


伊藤和夫の言語観・英語観を知るには、その著『伊藤和夫の英語学習法』(駿台文庫、1995年[2011年版])は一読に値する本である。伊藤と、生徒2人との3人の会話形式で記述されているために、途中、冗話・冗談も含まれるが、生徒の質問に回答する伊藤の言葉の中には、受験英語という枠組みの中とはいえ、英語教育に対する信念が随所に吐露されていて、興味深い本である。

たとえば、伊藤和夫は言語について、「言葉の理解と音楽」と題して、次のような主旨のことを述べている。
言葉は、書かれるよりも、文字として存在するよりも前に、まず話し手の口から出る音、音声として存在するものである。他人の話を聞くときのことを考えてみればわかるように、音声は口を出た次の瞬間には消えてしまうから、分からなくなったからといって前へもどるわけにはゆかず、聞いた順序での理解が唯一の理解である。
言葉は絵より音楽に似ている。音楽の理解の方法はひとつで、音の流れに身をまかせ、最初からその順序に従って聞いてゆくことだけである。音楽のテープを逆まわししたり、思いつきで飛び飛びに聞いたところで音楽は分かるはずはない。英語の文も、先頭からその流れに沿って読まなくてはならず、英文を眺めるのではなく、読まなくてはいけないという(伊藤和夫『伊藤和夫の英語学習法』駿台文庫、1995年[2011年版]、48頁~49頁)。

【伊藤和夫『伊藤和夫の英語学習法』駿台文庫はこちらから】

大学入試伊藤和夫の英語学習法

このように、言葉はまず音声として存在するものだから、言葉の試験をする以上、Hearing(ヒアリング)の問題があるのは当然である。従来の英語教育は、訳読中心の方法、制限用法の関係詞はあとから返って「……ところの」と訳すというような教え方が主流であった。つまり英文を読む場合は、いつでもテキストを前に返って確認できる、場合によっては漢文の原文を返り点の記号に頼って読むように、目を行ったり来たりさせてきた。
しかし、英語を聞く場合はそうはいかず、音声は聞いたはじから消えてしまう。音によって理解することは、英語をどう訳すかの前にある、英語を英語の次元でどう理解するかという問題、つまり英語の順序で読むに従って理解するにはどういう頭の働きが必要かという問題に直結する。

英文を読むことと訳すことは違うという伊藤の立場


ここで、伊藤和夫は英文を読むことと訳すことは、分離するものであるという立場をとる。旧式の訳読中心の教え方とは別の方法として、伊藤は前から訳してゆく方法を提唱している。その著『英語長文読解教室』(研究社出版、1983年[1992年版]、255頁~282頁)の「私の訳出法」において詳述している。

【伊藤和夫『英語長文読解教室』研究社出版はこちらから】

英語長文読解教室

読むことと訳すことはちがうから、いちいち日本語に訳す、つまり英文を行きつ戻りつ、何回も見るのではなく、左から右へ、上から下へ、文頭の大文字から文末のピリオドまで、英文の順序に沿って目を1度走らせるだけで、すべてが分かるように自分を訓練することが大切であると伊藤和夫は強調している(伊藤、1995年[2011年版]、71頁、122頁~123頁)。

そして、伊藤は英語の読解力と速読について、次のような立場を表明している。すなわち
「ゆっくり読んで分かる文章を練習によって速く読めるようにすることはできるが、ゆっくり読んでも分からない文章が速く読んだら分かるということはありえない」と。
これは自明の公理であるという。

よく英語の速読法として、文章を1語1語たどっていたのでは速く読めないので、名詞や動詞、形容詞だけ拾って読めとか、形容詞はたいてい飾りだから飛ばしても大丈夫だとか、パラグラフ(段落)の中心はたいてい文の先頭にあるから、各パラグラフの先頭の文だけ読めば、だいたいのことは分かるとよくいわれる。日本語でも「ななめ読み」とか「飛ばし読み」といわれる方法だが、それがなぜ可能かについて考えてみる必要があるという。

その際に、文中から取り出した、叙述の中心になるキーワードだけを、相互に無関係に読んでいるのではなく、キーワードとキーワードを自分で結び、その中間項に相当するものを自分の頭で補って、全体にひとつの意味の脈絡をつけることに成功し、しかもそれが原文の内容とだいたい同じだから、分かったことになる点に注意を促している。
読む前に、そこに書いてあることの見当がついているから、そうした速読は可能であったのである。逆に読む前に「分かって」いない文章を「ななめ読み」したり、「飛ばし読み」したところで、結局は誤解と妄想しか生まれてこないという。やはり読む前に「分からない」ものが、読んで分かるはずはないのである。つまり
「ゆっくり読めば分かる文章を練習によって速く読むことは可能だけれど、ゆっくり読んでも分からない文章を速く読んでみたところで誤解と妄想におちいるだけだ」と言い、日本人が陥りやすい英語速読法の落とし穴について注意している(伊藤、1995年[2011年版]、70頁~73頁)。

実は、先のキーセンテンスとか、パラグラフ・リーディングという速読法は、英語の本場であるアメリカの学生に対する速読の訓練法を直輸入してきたものであるから、それを日本の学生にやらせるには、根本的な見落としがあるとして、警鐘を鳴らしている。英語の形の上の約束すら身についていない日本の学生に、アメリカ式の速読訓練をさせても、効果があがるはずはないと、伊藤は否定的である(伊藤、1995年[2011年版]、74頁)。

ところで、Hearingの対策としては、できるだけ英語を「聴く」ようにすることを挙げているが、その際に注意すべき点を2点指摘している。
①ひとつは、ばかにしないで、できるだけ易しいもの、努力しないでも分かるものからはじめることである。最終的には、FENのニュースを聞いてその内容がわかるようになれば理想的であるが、焦ってはならず、最初はテレビやラジオの会話講座あたりの易しいレベルの方が途中で放棄しないですむから良いという。
②ふたつめは、耳で聞いたことをできればテキストで確認する努力、読むためのテキストも自分で声を出して読むことで耳で確認する努力も怠らないことである。先述したように、言葉は原則的には話すのが先で、読むのはあとであり、音声はテキストとちがって捉えにくいし、音声による文の構造は分析の対象にはなりにくい。

ただ、音声という捉えにくいものの中で、きちんと論理性や文法が貫徹しているから、言葉はすばらしいのである。ここに、中学・高校の英語教育を終えた人の利点がある。その人々はある程度読解力があるので、それまでに培ったReadingの力が、訓練次第によって、
Hearingの力とドッキングするという。そもそも読解力がなく読めない人のHearingの力は、ある所までくると壁につき当って先へ進めないというのが現実であるという。訳さずに読む力をつけるには、声を出してテキストを読むことを勧めている。つまり音読の勧めである。
英語の復習のうち、声を出して読むことを勧める理由として、目だけでなく耳まで、つまりできるだけ多くの能力を勉強に参加させるほうが効率がよいことが挙げられる。しかしそれだけではない。口を動かして読んでいれば、いやおうなしに英語の順序で考えざるを得ない利点を挙げている。
一方で声を出していながら、一方で訳すことはさすがにできないから、英語のままで考えることに慣れざるを得なくなるのが、音読の効用の第2点目である。つまり音読している時は英語の次元で理解することが中心になり、いちいち訳さなくてすむ点がよいという。英語の復習はテキストの中の単語の記憶が完了したかどうかを目安にするのがよいとする。つまり、テキストを何度もくり返しして、知らない単語がなくなったら、復習はすんだことにするというやり方である(伊藤、1995年[2011年版]、84頁、123頁~124頁)。

高橋善昭『必修英語構文』の言語観


ところで、この伊藤和夫の言語観・英語観は、彼が勤めていた駿台予備校の英語科の講師陣に共通したものであったようである。
というのは、駿台の英語科の講師高橋善昭たちが執筆した『必修英語構文 CD付』(駿台文庫、1996年)の中でも、この言語観を端的に英語で表現した文章を掲載している。

  It is of the highest importance, if we wish to understand the
real nature of language, to realize fully that words consist of
sounds, which are uttered and heard, and not of letters, which are
looked at.
Owing to the large part which books play in education,
people have come to hold strange views concerning language, and
some actually think that the letters, which make up the written
word on paper, are the real language, and that the sounds, which
we can hear, are only of minor importance. It is probable that
we should find it easier to grasp the real external facts of lan-
guage, which are its sounds, if we knew nothing about writing
and spelling at all, and could only think of language as being
uttered sounds. A little consideration of the question shows us
that the letters are very unimportant compared with the sounds,
and that when we study a language, it is the sounds and their
meanings which must mainly concern us.
【Notes】
of importance=important(of +抽象名詞=形容詞)、nature 本質、consist of... ...から成る、utter 声を発する、part=role、concerning... ...に関して、grasp... ...を把握する、external 外的な(↔internal)、uttered sound 発声された音、compared with ...
...と比較して



<訳例> ~「PARTⅡ Chapter2...section1」より
 言語の本質を理解したいと思う場合、この上なく重要なことは、語は口で発せられ耳で聞かれる音声から成り立つのであって、目で見られる文字から成り立つのではないと十分に認識することである。
 教育で書物が大きな役割を果たしているので、人は言語に関して奇妙な考えを持つようになった。現に、紙上に書かれた語を構成する文字が真の言語であり、耳で聞くことのできる音声は二義的重要性しか持たないと考える人もいる。多分、文字や綴りを全く知らないで、言語は発せられた音声であるとだけ考えることができるとすれば、言語の真の外的側面とはまさしく音声であるということが分かり易くなるであろう。この問題を少し考えてみれば分かることだが、文字は音声と比べると重要性は非常に低いものであり、言語の研究にあたってもっぱら我々の関心事としなければならないのは音声とその意味である。
(高橋善昭ほか『必修英語構文 CD付』駿台文庫、1996年、103頁および「必修英語構文別冊訳例集」PARTⅡChapter2...section1, 8頁の訳例参照のこと)。

【高橋善昭ほか『必修英語構文 CD付』(駿台文庫)はこちらから】

必修英語構文 CD付 駿台受験シリーズ

つまり、上記の文によれば、言語の本質を理解する上で、語は口で発せられ耳で聞かれる音声から成り立ち、目で見られる文字から成り立つのではないことを認識することが重要であると主張している。教育で書物が大きな役割を果たしていることから、紙上に書かれた語を構成する文字が真の言語であるかのように考える人もいるが、言語は発せられた音声であると考えることが一義的に重要であり、言語の研究では音声とその意味に関心をもつべきであるという。

この言語観・英語観は、高橋善昭たちが執筆した本書の基本的コンセプトになっている。その趣旨は「序にかえて」に述べてある。それによれば、本書は、駿台の英語科の講師たちの英知と経験を集約して、「英語構文」研究のテキストを編集し、解説を加えたものである。
そもそも英文は「単語」が横一列に連結した「線条構造」となっている。そして英語は「語順言語」であり、正確な読解には、個々の語句レベルの規則だけではなく、文レベルの構造が見えることが必要である。この「文レベルの法則性」を正しく認識することは、英文読解の基礎であり大前提であり、本書はこの基本的能力を短期に養成することを目的としているという。
そして本書の使用法の一つについて次のように記している。言語は音声と不可分であり、その感覚を磨くためにも、付属のCDを何回も聞くと共に、英文を声に出して読む努力をしてほしいという。このCDが slow tempoではなく natural speedで吹き込まれているのは、本物の音声とリズムを身につける必要があるからである。はじめは聞き取れなくても、何度も聞いているうちに聞き取れるようになる瞬間が誰にでも訪れるので、そこに到達するまで努力せよと主張している。
そしてCDの中でも高橋善昭自身も、この点を強調している。つまり、英文を文字で読めばわかるのに、耳から聞いたのではわからないことがあるのは、それまで聞いた絶対量が不足しているからで、聞いた量が臨界点(critical point)を越えると、誰でも必ず聞き取れるようになるという。THROUGH HARDSHIP TO THE STARS!と発奮を期待している
(高橋善昭ほか『必修英語構文 CD付』駿台文庫、1996年、3頁~5頁)。