みなさん、おはようございます。昨日は寒い雨の降る鹿児島でしたが、今日は午後から晴れの予報、しばらく良い天気が続くようです。明日は節分、コンビニで始まった恵方巻き、商業ベースに乗せられてちょっぴり癪ですが、今年の恵方は南南東とのこと、歳徳神がその方角にいらっしゃるという事なので別に恵方巻きを食べなくても、南南東を向いてお参りしたいですね。
さて、今日ご紹介するのは、黎明館の角の交差点を城山方面に曲がったすぐのとこにある「薩摩義士碑」です。昨日、ご紹介した篤姫像のすぐ近くです。薩摩義士に関しては、1月24日に総奉行平田靱負の居宅あとだった平田公園、1月26日に薩摩義士の墓所のある大中寺を紹介しています。薩摩義士は、江戸時代、美濃国の揖斐川、長良川および木曽川の3川の治水難工事に、総奉行の平田靱負の監督であたった薩摩藩の人々を指します。薩摩藩は数十万両もの莫大な経費を負担した上、幕府側の妨害工作などで多数の犠牲者を出しました。平田靱負は工事完遂を見届けた後、責任を取る形で切腹しました。
1938年(昭和13年)には、平田靱負ら85名の「薩摩義士」を、「祭神」として岐阜県の海津市に『治水神社』が建立され、岐阜県と鹿児島県の交流が続いています。愛知県、岐阜県、三重県のみなさんが「頌徳慰霊祭」に来られたら案内できるよう薩摩義士の偉勲と場所を覚えておきたいですね
— 場所: 鹿児島市城山町