同様に、娼婦ラハブも、
あの使いの者たちを家に迎え入れ、
別の道から送り出してやるという
行いによって、
義とされたではありませんか。
ヤコブの手紙/ 02章 25節
新約聖書 新共同訳
神様は常にあなたのことを
愛しておられます。
ですから、あなたは
神様に愛された分だけ
多くの人に尽くしてあげなさい。
人の和は、与えることによって
大きく広がっていきます。
★軍医論文ヒントに「完全な創作」世界に増殖
誤りに謝罪しながら訂正せず
■産経新聞2014.5.20 16:30 【「慰安婦」問題】
「千田夏光という作家に父が慰安婦制度の考案者のように嘘を書かれ、大変な目に遭った。平成3年ごろから、私の診察室にまで内外からいろんな人が押しかけ『民族のうらみをはらす』とか『謝れ』などといわれ罪人扱いされました」
こう振り返るのは福岡市在住の産婦人科医、天児都(あまこ・くに)(79)だ。天児によると、千田の著書『従軍慰安婦』には、戦時勤労動員制度の女子挺身(ていしん)隊と慰安婦を同一視するなど63カ所に及ぶ問題記述があるという。
※天児都さん(写真)
天児の父でやはり産婦人科医だった麻生徹男は戦時中、陸軍軍医少尉として中国各地を転々とした。昭和13年1月に上海で慰安婦約100人の検診をした経験から、14年6月に「花柳病(性病)の積極的予防法」という論文をまとめ上官に提出した。
麻生はこの中で、検診では「(朝鮮)半島人の内、花柳病の疑いある者は極めて少数なりし」と記し、その理由として日本人慰安婦より若年者が多かったことを挙げている。ただ、軍の命令で行った検診結果の一例を書いただけだが、千田はそれを論理を飛躍させてこうこじつけた。
「レポートの結果として軍の目は当然のようにそこへ向けられていく。それは同時に、朝鮮人女性の怖るべき恐怖のはじまりでもあった。朝鮮半島が若くて健康、つまり理想的慰安婦の草刈場として、認識されていくことになるのだった」
▼間違いを認めるも…『従軍慰安婦』の誤った記述は改められず
千田は別のページにも同様の記述をし、麻生の論文が朝鮮人強制連行のきっかけのように書いているが、同書にはこれに関する実証的な裏付けも何もない。匿名の元経理将校が関連がありそうに証言をしている部分はあるが、この将校が語っているのは13年のエピソードであり、麻生の論文と時期が合わない。
むしろ麻生は論文で「娼楼にあらざる軍用娯楽所の設立も希望す」「これに代わるものとして、より高尚なる娯楽施設を必要とす。音楽、活動写真、図書あるいは運動が良い」と提言しているのである。
「千田は自分の都合のいいところだけ拾い読みし、初めから結論ありきで書いている。完全にフィクション(創作)だ」
こう憤った天児が千田に抗議し、訂正を申し入れたところ、平成8年4月にこんな謝罪の手紙が届いた。
「朝鮮人女性の比率が高くなったのは麻生論文のためではないということで、ご指摘の通り論文を発表されたのが年のかわってからであったことも明確です。私の記述が誤解をまねき、ご迷惑をかけているとすれば罪は私にあります」
ところが、作者自身がこれほど明確に著書の根幹部分での間違いを認めたにもかかわらず、結局、それらの部分を訂正した改訂版は出版されず、『従軍慰安婦』の誤った記述が改められることはなかった。
▼法的手段に訴えることも考えたが、弁護士に断られ
そして、錯誤の連鎖はこれにとどまらず、「千田が事実として書いた嘘が増殖していった」(天児)のだ。例えば、慰安婦を強制連行された「性奴隷」と認定した1996(平成8)年2月の「クマラスワミ報告書」には、オーストラリア人ジャーナリスト、ジョージ・ヒックスの著書『慰安婦』が引用されているが、天児によると「索引には参考文献がたくさん並んでいて立派な学術書のようだが、千田の本とそれを孫引きした著者のものばかり」だという。吉田清治の名前もある。
この本には7カ所「ドクター・アソウ」の名が出てくるが、千田の著書を引用する形で「最も健康な慰安婦供給源への基礎をおくのに手助けした」と書いたり、「上海の慰安所の主唱者」と記したり、およそデタラメな記述が多かった。
さらに『慰安婦』には、麻生が撮った写真が無断掲載されていたため、天児はヒックスに「著作権侵害だ」と手紙を出したが、なしのつぶてだった。
天児は法的手段に訴えることも考えたが、弁護士は「日本弁護士連合会はあなたと立場が違うから弁護できない」と断られた。日弁連は、慰安婦は「軍事的性奴隷」であり、「軍の強制は明白」との立場を取っているからだ。
吉田と千田という2人の作家が扇情的に書きつづった創作作品は、当事者や関係者の「それは違う」という異議をかき消し、事実として世界に広まった。それには、検証も確認もせずに彼らを持ち上げ紹介してきたメディアが果たした役割も大きい。(敬称略)
(産経新聞2014.5.20 16:30)
★河野談話ヒアリング対象者に虚偽証言者
「奴隷狩り」吉田氏、「従軍」広めた千田氏
■産経新聞2014.5.20 07:58 【「慰安婦」問題】
慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の河野洋平官房長官談話の作成過程にあたる同年1月から5月にかけ、内閣外政審議室が実施したヒアリング(聞き取り)の対象者の全容が、産経新聞が入手した政府文書で明らかになった。
対象者には、韓国で慰安婦の「奴隷狩り」を行ったと告白したものの、後に全くの虚偽だと発覚した吉田清治と、軍属を連想させる造語「従軍慰安婦」を実際に使われていたかのように広めた作家の千田(せんだ)夏光(かこう)=いずれも故人=が含まれていた。史実や事実関係に基づかない「強制連行説」の原点となった2人の証言に政府が影響を受け、河野談話の強制性認定につながった可能性も否定できない。
ヒアリング対象者は(1)旧軍関係者12人(2)元朝鮮総督府関係者5人(元経済警察課長、元慶尚北道知事官房主事ら)(3)元慰安所経営者1人(4)元厚生省(現厚生労働省)関係者2人(5)大学教授、研究者3人(6)書物執筆者3人-の計26人。
このうち(5)の大学教授については、慰安婦性奴隷説を唱える中央大教授、吉見義明とそれを否定する拓殖大教授、秦郁彦の双方から話を聞いており、バランスはとれている。ところが(6)に関しては千田、吉田と『慰安婦たちの太平洋戦争』などの著書がある山田盟子の3人で全員が強制説に立つ作家となっている。
※秦郁彦氏(『ゴーマニズム宣言』より)
▼吉田は「本に真実を書いても何の利益もない」
政府文書では、吉田の肩書について「元労務報国会下関支部動員部長(?)」と疑問符がつけられている。吉田は昭和58年の著書『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』でこの肩書を使って「韓国・済州島で奴隷狩りを行った」「女子挺身隊とは従軍慰安婦のこと」などと記しているが経歴ははっきりしない。
同書は韓国でも出版されたが、地元紙「済州新聞」の記者、許栄善が取材すると全くのデタラメだと判明。秦も現地取材を行い、許に会ったところ「何が目的でこんな作り話を書くのか」と聞かれたという。
※『済州新聞』(1989.8.14 吉田の著作が全くのデタラメであることを報道する)
吉田は週刊新潮(平成8年5月2・9日合併号)のインタビューでは「本に真実を書いても何の利益もない」「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」と捏造(ねつぞう)を認めた。
一方、元毎日新聞記者である千田は昭和48年の著書『従軍慰安婦』で、慰安婦を従軍看護婦や従軍記者のように直接軍の管理下にあるよう印象づけた。ノンフィクションの形をとりながら「女性の大半は朝鮮半島から強制動員した」「慰安婦の総数は昭和13年から同20年まで8万人とも10万人とも言うが、その大半は朝鮮人女性」などと何ら出典も根拠も示さず書いた。
※吉田清治(写真)
▼真実でない河野談話があるから起こる弊害
実際は、秦の推計では慰安婦の総数は2万~2万数千人であり、そのうち日本人が4割、朝鮮人は2割程度だった。
産経新聞はヒアリング内容と評価、見解について内閣府に情報公開請求したが「公にすると今後、任意で協力を要請する調査で、公開を前提とした回答しか得られなくなる」との理由で拒否された。
河野談話は日本国内にとどまらず海外にも弊害をもたらしている。米カリフォルニア州グレンデール市にある「慰安婦」像の撤去を求める訴訟を起こしている目良浩一は19日の記者会見でこう訴えた。
「訴訟で中国系団体の介入を招いたのも、真実でないにもかかわらず河野談話があるからだ。日本政府には客観的な事実を広報していただきたい」
◇
吉田、千田の創作した“小説”が韓国語や英語に翻訳されるなど、史実と異なる強制連行説や性奴隷説が拡大再生産されていった。「歴史戦」第2部は「慰安婦問題」を広めた人たちに焦点をあてる。(敬称略、肩書は当時)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140520/plc14052007580006-n3.htm
▲1957年2月26日 東亜日報
米軍の慰安所が大火 (5棟全焼)
※日本ではアメリカのことを「米国」と
呼ぶが、韓国では「美国」と呼ぶ。