
わたしの愛する兄弟たち、
こういうわけですから、
動かされないようにしっかり立ち、
主の業に常に励みなさい。
主に結ばれているならば
自分たちの苦労が
決して無駄にならないことを、
あなたがたは知っているはずです。
「コリントの信徒への手紙一」/ 15章 58節
新約聖書 新共同訳
苦しみに出会ったときには、
微笑みをもって
それを受け取りましょう。
これこそ、神様の最大の恵み、つまり、
神様が私たちにお与えになること、
私たちをお求めになること、すべてを、
微笑みをもって
受け取るということなのです。
マザーテレサ
(マザーテレサ『100の言葉』より)

★伝説の修道院、黒焦げ 戦闘で破壊、
復興遠いシリア
◆産経新聞 2014年5月27日
MSN産経フォト
聖女伝説の修道院は内部が黒く焼けただれ、戦闘終結から1カ月が過ぎても焦げた臭いが鼻を突いた。シリア南部のキリスト教徒の町マールーラ。内戦でイスラム過激派に制圧され、政府軍が4月に奪回したが、由緒ある町が破壊から復興する見通しは立っていない。

▲イスラム過激派が基地を置いていたシリア・マールーラのホテル。政府軍との激戦で大破した =14日(共同)
首都ダマスカスの北約60キロ。岩山の渓谷にあるマールーラは住民約4千人の大半がキリスト教徒で、イエス・キリストが話していたとされる古語、アラム語を今も使っていることで知られる。
アサド政権打倒を目指す国際テロ組織アルカイダ系の「ヌスラ戦線」主体の武装集団が昨年9月に攻撃を開始。住民はダマスカスなどに退避し、激しい攻防の末、政府軍が4月中旬に奪回した。
軍の案内で5月中旬に訪れたマールーラは、検問所や巡回の兵士以外に人けはなく、ゴーストタウンと化していた。ほとんどの家屋の窓ガラスが壊れ、火災で焼け焦げた壁も目立つ。電気が復旧しておらず、住民はまだ戻っていない。

▲柱が黒く焼け焦げたシリア・マールーラの聖テクラ修道院の教会 =14日(共同)
キリストの使徒パウロの教えで入信した聖女テクラの墓がある聖テクラ修道院。石造りの教会の柱は焼け焦げ、壁や天井の宗教画は黒くすすけていた。管理棟や児童養護施設の中も崩れた壁やガラス片が散乱している。
もう一つの聖セルジウス修道院の教会は砲撃で天井に穴が開き、厚い大理石づくりの祭壇の天板も二つに割れていた。
シリア反体制派の主体は同国で多数派のスンニ派イスラム教徒で、少数派のキリスト教徒の多くはアサド政権を支持している。視察に来ていたナジ・ワハベ町長(44)は「キリスト教徒の町で、政権支持だから(イスラム過激派に)攻撃された」との見方を示した。
ワハベ町長は「マールーラはシリアだけでなく世界的な宗教、文化遺産。だが破壊の規模が甚大で、どう復旧作業を進めるかまだはっきりしていない」と顔を曇らせた。(マールーラ共同=長谷川健司)

▲内部が激しく破壊されたシリア・マールーラの聖テクラ修道院 =14日(共同)
(2014年5月27日 MSN産経フォト)

★キリストが話した言語めぐり異論、
ローマ法王がイスラエル首相に
世界のこぼれ話
◆ロイター 2014年5月27日
【エルサレム 26日 ロイター】
中東歴訪中のローマ法王フランシスコは最終日の26日、イスラエルのネタニヤフ首相とエルサレムで会談。その中で、キリストが約2000年前に話していた言語について、首相の説に法王が異論を挟む場面があった。
ネタニヤフ首相は、「キリストはこの地で、ヘブライ語を話していた」と述べ、ユダヤ教とキリスト教には強い関連があると指摘。
一方、法王はキリストが話していたのは、ヘブライ語に近い「アラム語」だと異なる説を主張。これに対して首相は「アラム語を話していたが、ヘブライ語も知っていた」と補足した。
ユダヤ人だったキリストは、現在はイスラエルの占領下にあるヨルダン川西岸地域で生まれた。同国北部のガリラヤで宣教活動を行い、エルサレムで死去したとされる。
イスラエルの言語学者Ghil'ad Zuckermann氏は、「キリストはアラム語を母国語としていた」としながらも、「ヘブライ語で書かれた当時の宗教文書が現存していることから、ヘブライ語も分かっていたはずだ」と説明している。
(Reuters 2014年5月27日)

★改宗拒み死刑判決受けた女性、
獄中で出産 スーダン
◆CNN.co.jp 2014年5月28日
【CNN】スーダンでキリスト教の信仰を捨てることを拒んで死刑判決を言い渡された女性が、拘置所で女の子を出産した。弁護人が27日に明らかにした。女性を告発したのは実の兄弟だったことも明らかになった。
関係者によると、この女性、メリアン・イェイヤ・イブラヒムさん(27)は26日に首都ハルツームの拘置所で出産した。夫の立ち合いは認められなかったという。
イブラヒムさんは改宗を拒んだために、イスラム教の教えに背いたとして背教の罪に問われ、2週間ほど前に死刑判決を言い渡された。弁護側はこの判決を不服として控訴している。
現在は1歳8カ月の息子と共に拘置所で過ごしているが、息子は拘束されているわけではないという。ただ、米国籍の夫は車椅子で生活しており、全面介護が必要な状態にある。
2審判決はハルツームの高裁で6月2日の週にも言い渡される見通し。弁護人は「高裁が1審判決を覆し、女性を釈放してくれることを願う」と話している。
イブラヒムさんは、イスラム教徒のスーダン人の父と、キリスト教徒でエチオピア人の母の間に生まれ、6歳の時に父がいなくなったためキリスト教徒として育ったと話している。
裁判所は5月15日までにキリスト教の信仰を捨てるよう迫ったが、イブラヒムさんは応じなかった。
一方、スーダン議会議長は、イブラヒムさんはイスラム教の環境の中で育ったと主張。イブラヒムさんを告発したのはイスラム教徒の兄弟だったことも明らかにした。
告発状では、イブラヒムさんは数年の間行方不明になり、その後キリスト教徒と結婚していたことが分かって家族はショックを受けたとしている。