また、御子はその体である
教会の頭です。
御子は初めの者、
死者の中から最初に生まれた方です。
こうして、すべてのことにおいて
第一の者となられたのです。
「コロサイの信徒への手紙」/ 1章18節
新約聖書 新共同訳
祈りは私たちに
清い心を与えてくれます。
清い心には、神様を見る力があります。
マザーテレサ
(マザーテレサ『100の言葉』より)
★欧州はイノベーションより、リノベーション
ロンドンの“教会マンション”に見る
ストック再生の本質
◆日経ビジネスオンライン2014年5月23日
4月下旬、取材で出会った家具デザイナーと、ロンドン市内のパブで1杯やっていた時の話である。彼の住む近所で見かけた興味深い物件の話をしてくれた。
その物件とは教会で、外観こそロンドンで見かける一般的な建物なのだが、どうも雰囲気が一般のそれとは違うのだと言う。朝夕になると、若い女性やスーツ姿のサラリーマンの出入りがやたらと多く、夜遅くまで内部の明かりがついている。教会では一般的な日曜日の礼拝も開かれている気配がないし、神父など教会関係者の姿も見かけたことがない。
あまりに教会らしくない雰囲気に首をかしげていたが、しばらくして理由が分かった。
「教会全体がフラット(集合住宅)だったんですよ。内部を改修して住宅に転用したらしいんです。でも、よく考えてみるとすごいことですよね、日本で言えばお寺を改装してみんなで住むようなものですよ」と、デザイナーが笑う。
確かに、筆者が日本で建設・不動産業界を担当していた時には、神社にマンションを建設するプロジェクトが話題となることはあった。しかし、それはあくまで敷地内に新築物件を建てるという話である。神社や寺を改修してそのまま住む、という例は聞いたことがない。
面白い。数日後、早速その物件を見に行ってみることにした。それが、下の写真である。
▲外観からは集合住宅であることはほとんど分からない
場所は、高速鉄道ユーロスターの英国側の発着駅、セントパンクラスにほど近いイズリントン地区。その名も「St. Peters Church Court」。Courtには中庭といった意味があるが、英国では「☓☓Court」といった具合に集合住宅の名称に用いられる。地元行政区の資料によれば、この教会が完成したのは1800年代中期。それから約150年間、キリスト教の活動拠点としての機能を果たした後、1985年に住宅に転用された。
残念ながら建物の内部に立ち入ることはできなかったが、仔細に物件を見ると、確かに生活のにおいが随所に感じられる。窓にはカーテンがかけられ、中からハンガーにかけられた衣類がのぞいている。入り口ドアには、郵便受けが備えつけられ、建物の脇にはゴミバケツが無造作に並んでいた。
不動産情報サイトを見ると、この“教会マンション”は21部屋で構成されている。家賃は75平米のワンベッド(いわゆる日本の1LDK)タイプで月額1300ポンド(約22万円)、ツーベッドとなるともう少し値が張る。間取りや築年数を単純に比較すると、日本の賃貸に比べて割高だが、ロンドンでは決して高すぎるという水準でもない。
地元の不動産仲介会社に話を聞くと、こうした物件は「Church Conversions(教会転用物件)」と呼ばれている。「教会に住む」という物珍しさに惹かれ、若者や感度の高いデザイナー職の人間など、コアなファンに一定の需要があると言う。もちろん、キリスト教徒でなくても住むことができる。
教会型の集合住宅の供給数は決して多くはないが、行政側も使われなくなった教会の住宅への転用を認めており、日本不動産鑑定士協会に相当する団体「英国王立チャータード・サベイヤーズ協会」によると、ロンドンではここ5年で500程度の物件が住宅用に転用された。
英国では歴史的な建造物を保護することを目的とした景観規制が有名だが、その結果、簡単に古い建造物を破壊することができない。住宅の供給戸数が限られ、慢性的な供給不足状態が発生しているため、住宅価格が上がりやすい構造を内在している。ユーロ危機以降は落ち着いていた住宅価格も、ここ数年の景気回復傾向を受け、再び上昇機運が高まっている。特に、ロンドンの都心部から周辺にかけては、金融当局やイングランド銀行の幹部が「警戒水準にある」という趣旨の発言を繰り返している。
こうした状況の中では、非居住用の建造物を住居に転用するという政策は、理にかなったものと言える。“教会マンション”も、空き物件を再活用する例を示しているという点で、面白い物件である。
ただし、今回この物件を紹介したのは、ロンドンの不動産事情を説明することが目的ではない。やや前置きが長くなってしまって恐縮だが、この物件の取材を進めていく過程に、マネジメントの「継続性」を考える上で、興味深い本質に触れたような気がしたのだ。以下、簡単に記述したいと思う。
▼ずっと維持し続ける必要があるから培われた能力
「何を足すかよりも、何を捨てるかを決めるのかが大事だ」
先の不動産仲介会社に紹介してもらった、物件の内装業者の担当者が、建物の改修の際に大事なポイントをこう語っていた。この内装業者は、大規模から小規模のものまで月に10件ほどの内装案件を請け負っている。
先に触れた景観規制などの理由から、英国では内装業者が新築物件を手がけるケースは多くはない。大抵は、既に存在する物件の改修を手がけることになる。しかし、一言に既存物件と言っても、築100年以上の物件がゴロゴロしているロンドンでは、その構造や状態が異なる。このため、個々の物件を調べ、状況に合わせながら改装作業を進めなくてはならない。
そして改装で最も大事なのは、物件の魅力を維持し続けることだが、そのポイントが、先に紹介した考え方なのだと言う。
「間取りや水回り設備も、ニーズやトレンドに合わせて変えていく。しかし、全部変えてしまうと、築100年以上の物件の“味”が失われてしまう。だから、どこを残すかを考えるのはとても難しい」
作業の総量としては新築物件よりも少ないが、コンセプトを固めるまでは、新築より時間も手間もかかる。
この内装業者の働き方や考え方に、筆者は興味を抱いた。というのも、彼ら内装業者は改装にあたって、建物の設計や構造の全体像を把握している必要がある。住宅がどのように出来上がるか、全体の流れを知っていなければならない。
何を当たり前のことを、と思われるかもしれない。しかし、自身の取材経験からすると、日本の住宅建設の現場では、すべての建設プロセスを理解し、把握している人材は多くない。
どういうことか。日本の建設現場では1つの建物を作り上げていく場合、プロセスごとに役割が分かれている。「壁」「型枠」「足場」など、住宅建設の機能ごとに職人がいて、全体のプロジェクト管理は現場監督と呼ばれる人間に委ねられる。各々の職人は全体像を知らなくていい代わりに、自分の与えられた役割を丁寧に遂行することが求められ、原則として他の役割には立ち入らない。
つまり日本では、作業を細かく分解し、そのパートを専門に担う職人が存在する分業体制が敷かれている。このため、ある単機能のプロは多いが、他の機能も担える人材は少ない。一方の英国では、住宅のプロセス全体を手がけられるオールラウンドな能力が比較的求められる。そうでなければ、既存物件の改修作業はできないからだ。
いわゆる、「単能工」と「多能工」の議論にも近いが、本稿は決して日英の住宅建設の人材に優劣をつけようとしているわけではない。こうした人材の違いは、住宅産業をめぐる構造的要因が生んでいるからだ。英国が既存物件を主としているのに対して、日本は新築物件が主体となる。次々と新築住宅を建てていくためには、それぞれの役割にプロを置き、分業体制で手がけていった方が効率が良い。
▼やがて日本の住宅業界も直視しなければならない問題
ただ個人的には、日本の住宅産業も今後どちらかというと、英国的な人材が必要とされるのではないかと感じている。
日本では住宅ストック問題、いわゆる空き家の増加が指摘されて久しい。総務省によれば、日本における総住宅数に占める割合(空き家率)は2008年に13.1%と過去最高を記録。7件に1件は誰も住んでいない状況となっている。
景気回復の影響もあり、足下の不動産市況は好調だが、少子化は着実に進んでおり、住宅ストックはやがて大きな社会問題となるのは間違いないだろう。目下注目されているのが、既存住宅を改修して住むいわゆるリノベーション住宅である。既に完成している建物に手を加え、魅力ある物件に再生させるという手法で、冒頭に紹介した教会マンションにイメージは近い。既に、全国各地で戸建て・マンション・団地の再生プロジェクトが始まっている。
しかし、リノベーション住宅を推進する上での課題の1つが、リノベーションを手がけられる業者をいかに増やすかという問題である。先にも触れた通り、新築と改装では、求められるスキルが異なる。新築に比べて手間も時間もかかるため、利幅も小さくなる。「リノベーションは新築に比べて儲からないから手を出しにくい」と、日本のあるマンションデベロッパーは言っていた。
それでも、日本の市場を見れば、おそらく新築から中古活用への転換は不可欠になるだろう。新築を競い合って建てる時代から、既存物件の価値の魅力をどう高めるかという競争に置き換わっていく。
来る時代に備えて、どのように意識を変えればいいだろうか。
筆者にはその本質が、先に述べた「何を足すかより、何を捨てるか」という言葉に表れている気がする。
新しいものを作る時には、どうしても「あれも足そう、これも増やそう」となりがちだ。しかし、既にあるものの良さを残し、それをできるだけ維持し続けるには、「何を捨てるか」を決めるという発想に切り替えた方がいい。魅力のある部分を残し、無駄なものをそぎ落としていく。
そのためには、常に「この家にとっての一番の魅力は何か」を考えていなくてはならない。
教会マンションの話からはかなり飛躍してしまったが、新築と既存物件の改修に対する業者の考え方は、何かを継続していくという考え方について示唆を与えている気がしている。
▼欧州企業のサステイナビリティの考え方にも通じる
飛躍ついでに言えば、この考え方の本質は、欧州を拠点とするグローバル企業のマネジメントにも通じる点がある。
スイスのネスレ、英蘭ユニリーバ、ドイツのBMW。欧州でグローバル企業の多くは、経営理念や経営方針に「サステイナビリティ(永続性)」という言葉が掲げられている。
多くは100年以上の歴史を持つ企業だが、消費者やユーザーに変わらず価値を提供し続けるには、常に自らの強みや魅力を問いながら、革新を続けてきたと察する。その本質は、何を加えるかというよりも、何を残すかという作業の繰り返しだったのではないか。
先日取材したBMWの幹部はしみじみ語っていた。「経営で一番難しいのは、新しい技術をどうやって既存の製品とすりあわせていくかという点に尽きる」。これも、何を残し、何を捨てるかという経営判断をしてきたということにほかならない。そこには、全く新しい発想であるイノベーションよりも、むしろ既存の製品を更新し続けるリノベーションに重点を置いているように見える。
無論、イノベーションもリノベーションも「変化」を志向するという点では同じだ。ただ、日本のような成熟した市場を抱える国では、外観は変わらなくとも、中身は着実に更新・改修していくリノベーションの考え方は、マネジメントについても何らかの示唆を与えてくれるのではないか。
ここまでご覧いただいた方には恐縮だが、これらはあくまで筆者の私見と仮説に過ぎない。果たして自分の見立ては正しいのか。今年4月からロンドン支局に赴任したのを機に、欧州の様々な企業を取材しながらじっくりと検証していきたいと思う。
◾️著者プロフィール
蛯谷 敏
日経ビジネスDigital編集長
日経コミュニケーション編集を経て、2006年から日経ビジネス記者。2012年9月から日経ビジネスDigital編集長。日経ビジネスのデジタル端末向けのコンテンツやサービス開発を担当している。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140522/265067/?ST=smart