カクヨムに投稿した子育てのエッセイが、61位(エッセイ部門)のところまで順位が上がってきまして。
嬉しい。
いえーい^_^
そしてコメントに、「苦労されたんですね」的なことを書いていただきまして。
苦労と言う発想があまり自分の中になかったので、あぁそうか、これは苦労と呼ばれる現象なのかと思いました(苦笑)
自分はそういう場所に生まれ、目の前にあることの中で最善を尽くして生きてきた。
そういうことの繰り返しで生きてきたので。
苦労しているな私、と客観的に見てはこなかったのかな。
もう少し賢かったり知識があればまた違う選択肢があったのですが。
その時の自分の中ではいつも最善を尽くしていた思いがあるので。
あの時の自分ができる精一杯をやってきた人生だという程度の認識しかなかったです。
人から見たら「苦労している」ように見えるのかもしれないけれど、そのあたりの基準はよくわからないです。
どこからが苦労でどこまでだと苦労じゃないんだ?みたいな。
占い師をしているので、時に、
え?それが悩み?
人生で一番辛かったことがそれ??
と、私は日常にありすぎて、何にも思わないことを相談されることもたまにあり、そんな時は、辛いと感じる出来事は人それぞれだと思うのです。
うん、まあでも、知りたがりの知識欲が人生最大の欲の私にとって、何もない平穏な日々より、波瀾万丈な人生の方を絶対選びたいわけで。
ただ、若さで乗り切れる部分があるから、後半は平穏でおなしやす!(お願いします)とは思っていますが(笑)
そういえばクリスマスイブを1人で過ごしたと書いた時も、クリぼっちにはまだまだ下がいますよと言うコメントをいただきまして。
「クリスマスに1人で過ごす」と言う現象のことをクリぼっちと言うと思っていたのだけれども、その現象に上とか下たどの順位があるんだ!と新鮮な驚きでした(笑)
まあ、でもそのイメージは何となくわからなくはないかな。
その時、その順位の基準はなんだろうと思いました。
なんでも気になると考えるタイプなの(笑)
例えばむしろ1人でいたい人にとっては、それは別に辛い話ではないし。
何か事情があって、どうしても1人で過ごさなければならないパターンもあるだろうし。
うむ。
何を持ってしてどのような順位をつけるのだ。
そして自分よりこの人はクリぼっちが上だとか、この人は私よりクリぼっちが下だと考えると、私は何を基準にするんだろうなどなど。
辛いとか、痛いとかって、人と比較できないと思うんですね。
例えば私は痛みに鈍感なので、かなりの度合いの痛みはそれを痛みだと認識しません。
でも痛みに慣れていない人は、ちょっとした痛みでもすぐに痛いと気づけると思います。
そのように、同じ種類の同じ度合いの怪我であっても、痛いと感じるのは人それぞれです。
だからなんとなく私の体験が苦労だったとしたら、苦労じゃない育児ってなんだろうとか色々と考えてみました。
そして私はなぜそれを苦労と思わなかったんだろうと思った時、苦労するとかしないとかではなく、シンプルに体験した!としか思っていないからだと気づきました。
私にとって全ては、自分を成長させることに存在すると思っているわけで。
それに何かを書きたいとか、誰かの役に立ちたいと思っているわけですから。
つまりあらゆる体験は、書くことのネタになるし、成長できる糧になっているのです。
確かに感情的にいらっとすることはあるし、なんでだよ!と思うこともあるけれども。
結果、自分がそのおかげでこうなれたと言う発想を常に自分に与えているので、そのことで腐ったりする事は無いなぁとか。
でも人からコメントをもらうとすごく面白いなぁと思ったし、自分が考えていない反応が来ることがとても楽しいです。
自分が書いていくことで、何か情報を人に与えたいと思ってきたのですが。
書くことによって、人様からまた新しい情報を与えられるんだなぁと気づけた冬でした^_^