自分の人生をスピリチュアルな視点から見た物語にしていこうと思います。
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ここまでの道その2 見えないものが見えている
これは、自分の中で、何かが見えていることを確信できた最初の出来事です。私はアジシオ事件と呼んでおります(*^_^*)
散歩してきたら空がきれいでした。
それは私が小学校1年生の事でした。
母はいつもイライラしている人なのですが、その日は、父に頼まれておにぎりを作らなければいけないのに、アジシオの瓶が見つからないとわめき散らしていました。
食器棚を開けて中身をテーブルに並べて、ないないと喚いています。
居間の隅にいたわたしは、怒りまくって暴れている母に恐怖も感じました。
と同時にシンプルに早く見つけさせたいと思い、一緒に探すと何度か申し出ましたが、そのたびに邪魔だからあっちに行けと言われました。
でも私は途中から頭の中にある映像が浮かんでいたのです。
それは当時中学生だった姉の部屋の鏡台でした。
化粧品の隣にアジシオの瓶が、まるで化粧品の一部であるかのように並んでいる様子が何度もありありと浮かぶのです。
実は昔からそういう事はよくありました。
理屈などありません。
勝手に浮かんできて、実際にそれがそこにあると言う事は、今でもしょっちゅうあります。
でもそれを人に伝えると、嫌な結果になることが多かったため、私は母に怒られるような気がしてその事は黙っていました。
そのかわり、家族全員の部屋を探してみたら?と何度も伝えました。
しかし長時間、同じ場所を探してないないと喚き散らす母にしびれをきらし、ついお姉ちゃんの部屋にあるから探してみてと言ってしまいました。
最初は取り合わなかった母でしたが、どうしても見つけて欲しかった私は姉の部屋に走って行き、姉の部屋をそっと覗きました。
やはり鏡台にアジシオがありました。
やっぱりお姉ちゃんの部屋にはあったよと叫んで戻ると、母は姉の部屋に入っていき、アジシオを見つけました。
これで全てが丸く収まる。
そう思った次の瞬間、母はものすごい形相で私に怒鳴りつけたのです。
なんでこんないたずらをするんだ!
その後の事は記憶がブチっと切れていますが、
『年頃だから入ってはいけないことになっている姉の部屋にこっそり入ってアジシオを隠した』
というあってはいけない『悪さをした』ことを泣きながら母に謝罪させられました。
もちろん、わたしは、アジシオを確認するために部屋を覗く前には、姉の部屋に入ってはいません。
アジシオを隠すといういたずらもしていません。
事実ではないにもかかわらず私は、禁止されていた姉の部屋に入ったことと、アジシオを隠したことについて、やってもいないのに泣きながら謝罪させられたのです。
でもそんなことは珍しいことではなく、私はいつの間にか、そのような理不尽なことがあると、それ以上考えるのをやめ、部屋でおとなしく人形遊びをすることを習わしにしていました。
そうしないと心が平常ではいられなくなるからです。
その夜の夕飯の時に、母が家族全員に
(母は私のよくない行いは積極的にたくさんの人に伝え、わたしの褒められるような行いに関しては黙っていますが、もし他の誰かがそのことを話題にしたり褒めたりすると怒り出すという謎の言動をします)、
今朝和恵が姉の部屋にアジシオを隠したせいでおにぎりを作るのが遅くなったと話した時、姉がぼそりと言いました。
『実は昨日学校で友達からゆで卵をもらったんだけど、食べてみたら味がしなくて、夜中にこっそりアジシオを部屋に持っていって、そのまま忘れてた。ごめん』
『…あんただったの』
母のその一言ですべてが終わりました。
母以外の誰も何も言いませんでした。
母を刺激してもいいことがないと家族全員知っていたからです。
父が話題を変えるようなことを言ってくれたのかもしれないし兄が何か言ったかもしれませんが、わたしの記憶はやはりそこでぶちんと切れています。
ただその時心の底から誓ったのです。
たとえ命に関わるものをなくしていたとしても、母には絶対その場所を教えたりはしないと。
今は成長しているので、さすがに命に関わるものなら教えますが(笑)
実はさっきこれを書いていたら、インナーチャイルドが出てきました。
そこでインナーチャイルドセラピーをしてみました。
彼女(インナーチャイルド)とわたしはしばらく語り合いました。
『世界にはいろんな価値観があり、いろんな人がいる。自分がこうだと信じたことだけが真実だと思う人もいる。他者の意見に一切耳を傾けず、自分の意見だけが正しいのだと、それを暴力的に人に押し付けてくるような人もいる。それを母に持ってしまったことに意味は必ずあるはずだ』
『少なくても暴力的に自分の意見を押し付けることの愚かさを知ることができた。ただその代償として自分の意見が間違っているとすぐに思ってしまう傾向があるためそれは、この環境に起因している可能性が高いから、これからはもっと自分を信じてみようか』
『あれほどのトラウマを負わなければ、無邪気に人に余計なことをペラペラしゃべって気味悪がられたり、時には隠したどころか盗んだなどと言われることもあったかもしれない。あれほどの傷があったから、見えても黙っている道を選ぶことができたのだ』
『母の反応で傷ついたことは否めないが、だからこそ結果的にあの出来事が幼かった私を守ってくれたのだ』
などなど。
幼い自分と話していてさらに気づきがありました。
もっと賢ければ、最初に姉の部屋に行くのではなく、他の部屋なども見て回り、最後に姉の部屋をのぞいて、
『ママ、アジシオがお姉ちゃんの部屋にある!』
とはじめて気づいたかのようにすることもできたのです。
幼くてそこまで知恵は回らない部分もあったかもしれませんが、同時にふと思ったのです。
わたしはどこかで、他の人には見えていないことを知っていた。
だから、自分には特別な力があると思っていて、それを証明したかったのかもしれない。
なんとなくそんなことを思った時、一瞬自分を責める方向にいきかけましたが、ちがう、優しくするんだったと思いなおし、その思いを肯定しました。
自分の中に何か自慢したくなる力があったとしたら、それは人に言いたくなるし証明したくなるよねって、幼い自分を心の中で抱きしめたのです。
すると今までとは違う価値観がするすると上のほうから下りてきたのです。
このような力は本当に誰もが持てる力だと心から思っています。
早く走るために筋力を鍛えるように、何かしらトレーニングをすれば誰もが使えるようになる。
早さに個人差はあるだけだ。
たまたまトレーニングをしなくても生まれつき持っている人たちがいるから、それがまるで特別な感じがするのだとずっと思っていました。
でも上から言葉が降りてきたのです。
『与えられたものを素直に使え』
そっか。
ああだこうだとかはもういい。
もっと素直にただ使おう。
もっとその能力を自分で活用する道をしっかり作り、役立てていこう。
わたしの大好きな漫画『のだめカンタービレ』に、
リュカという音楽の才能があり、普通の学校に行くことができず毎日レッスンをさせられている少年がいました。
そのことを辛くないのかとのだめが質問するとリュカがこう答えたのです。
おじいちゃんが、
僕の才能は神様がくれたんだから、ちゃんと世のため人のために使いなさいって言っていた。それに僕、音楽が大好きだから。
そんなことを答えていたなぁと思い出しました。
物心ついた時から何かが見えたりわかったりするのは、神様が与えてくれた才能の一つだと今はシンプルにそう思います。
以前は謙遜したり、そんな能力をわたしが持っていたところで、人に伝えると気味悪がられる、などと謎のマイナス思考になっていました。
でも、どんな才能だってすべて神様が与えてくれたものなのです。
笑顔がとびきりかわいいとか、なぜか人をいらつかせるとか(笑)
いろんなタイプの才能があって、それを世のため人のために使えるってしあわせだなって思いました。
だから今こうして改めて、なぜか人の探していたものが見える、その人に上の人(守護天使とかそういう存在)が伝えてほしい単語やメッセージが聞こえることや見えることは、才能なのだと認めて、もっと自分を磨いて役立てられるようにしたいなって思いました。
うん、今はじめてそれを才能かもしれないと認められました(でもどきどきしながら書いています笑)
つづく