さて、肝心の日誌なわけだけど、続きにはこう書かれていた。
私は、たくさんのことを頭ではなく心で理解できるようになったからこそ、この世界にやってきてた。
なのでそれについてこまごまと私に説明する気はない。
言葉ではなく体験でひとつひとつ自分の細胞に落としていくやり方ができたからこそここにたどり着いたのだから、言葉で伝える意味もないのだ。
なのでこの日誌から何かヒントを得られると考えないほうがいいかもしれない。
私はこれから過去のページを手繰っていくことになるだろうけれど、そこには起きた出来事と、それに対する思いや考察しか書かれていないことを伝えておこう。
では、最後の日誌となる、今日の出来事を書いておく。
今日は朝目覚める瞬間、声を聞いた。
その声は静かに心に響いてくるもので、けして耳に実際に聞こえるものではない。
その声は私にこう伝えてきた。
『明日の午後にここに来ます』
だから私はきっとここにたどり着く。
この船の航海日誌の続きはきっと
日誌にはそこで終わっていた。
難しい禅問答であるかのような航海日誌だけれど、なぜか意味が分かる気がした。
言葉で説明するのではなく、体験で細胞に落としていく。
それもよくわかる。
私はずっとズルをするのが嫌いだった。
虎の巻のようなものを見ながら答えを埋めていくようなことはしたくない。
すべて一から自分で考えて自分で積み上げていきたい。
そんなことを思って生きてきた。
今は少しだけ違う。
例えば虎の巻で答えを知ったからと言って、その答えを引き寄せたところも含めて自分の力だと思えるようになった。
家に帰って教科書を広げ、徹底的に調べて一から学んで自分のものにしても構わないが、そこに答えが書かれた虎の巻あるのなら、それを見て答えを知ることで自分のものにしても、それはそれで構わない。
すべてを一から積み上げていくだけが答えにたどり着く方法じゃないと知ったから。
それに、方法が重要なのではない。
答えを得ることが重要なのではない。
正解が重要なのではなく、正解を知ることでそれを自分の目標にどう生かしていくのかが重要なのだから、方法など些細な問題だったのだ。
ということで、私は自分が次にどうすべきかも同時に理解した。
私はこの船の目的地を決めて、地図を見ながら舵を取るのだ。
私はこれからそれを実践することになるだろう。
今日変わったことがあったとすればそれくらいだ。
日誌を呼んだあとは普通にたんたんと一日を過ごした。
夕方感傷的な気持ちに襲われた。
私は夕陽を見ると、とても切なくて、だけど何か満たされるような、いつまでも眺めていたいような特別な感情がわく。
だけど夕陽が沈む時間はけしてそう長くなくて、いつまでも眺めていたいのに太陽は水平線の向こうへと消えていき、美しいオレンジ色の光もグレーを帯びてきて、やがて、少しずつ紺色の闇が宇宙から降りてきてしまう。
私は寒いのが嫌いだから、いつもなら夕陽が沈んであたりが暗くなり始めると、さっさと船内に戻るのだけれど、今日だけはいつまでもそこに留まった。
周りから光が消えて、星のあかりしか見えなくて、月が見当たらなかったから、海の音だけが聞こえる闇となった。
そこまで外にいたらさすがに気が済んだので私は船内に戻り、食堂に用意してあったできたての夕食を食べた。
ちなみに今日は暖かいコーンスープとシャキシャキのレタスがたっぷり入ったお醤油ベースの和風サラダと、豚肉のしょうが焼きだった。
ほんとうにごくごく普通の夕食を食べ、ワインを2杯飲んで、航海日誌を書いている。
私はこのままベッドに入り、明日の朝までぐっすり眠るだろう。
明日私がどうなっているのか。
それはその時になればわかることである。
目的地を決めたからと言って、明日起きる出来事は誰にもわからないのだから。
ということで、私が書くこの日誌はここで終わる。
この日誌を読んだのなら、その続きを書くかどうかはあなたが決めてほしい。
それではよい旅を。
この船は潜在意識の世界を表していて、それまで舵を取っていたのは自分でありながら見ることのできなかった自分でした。
潜在意識の自分と顕在意識の自分はこうしてすれ違うことしかできないのでね。
お互いに夢などを通して連絡を取ることは可能なのですけど。
人は意識しなければ勝手に設定された港に行ってしまうけれど、目的地を自分で決めることができたとき、行きたい場所に行けるのだと気付いたことから、潜在意識の舵を取れるようになったことを、物語にしてみました(*^^*)