最近昔のメルマガやブログを読み返しているのですが、そんなことを書いていたのだと新鮮です。
もう15年も前に書いたのですね。
読み返して、ずいぶん意識が変わったなぁと、試行錯誤していた自分が愛おしくなりました^ ^
言いたいことをうまく伝えられていないことも含めて。
2002年11月1日発行のメルマガより
◆ プチエッセイ〜 自分を信じること
自分を信じるというテーマでずっと考えていました。
思えば私はいつも自分を信じていなかった。
どこかで自分を否定しているのです。
でも少しずつ自分を信じ始めていた。
先日、自分を信じることをしていますとある掲示板で書いたら、それを読んだ方が、『自分を信じるように人も信じたい』と答えてくださいました。
それを読んで、うまく答えられなかったのですが、私が行っている自分を信じるという行為は、ちょっとちがうなと感じました。
そう、『自分』が根本的に違うのです。
私の言う自分には、他人など存在しないのです。
なぜなら私の言う自分とは、魂のこと、すなわちすべてなのですから。
魂と繋がるためには、和恵という人間の意識、感覚を頼りに、どんどん自分の奥へと入り込んでいきます。
『和恵という意識が感じること』が、『和恵という意識』を、和恵の奥にある魂と繋がる場所へ導く鍵となるのです。
エゴや意識の隙間からときどきふと見える本当の自分の感覚(魂)を信じる作業をしていくことが何より大切であり、それをすることがすべてとつながる道でもある。
人に対してどうこう考えたり言ったりする必要まったくないのです。
なぜならば、自分をつきぬけたらすべてがそこにあるから。
なので自分を信じる作業をしていると、本当に自分(魂)を信じた時、既に他人も信じていられるのです。いいえ、そのとき自分も他人も境界線は消えていくでしょう。
自分とか他人という枠が外れていくと、ただ愛だけが残ります。
ただいとおしい。
目の前の人のしあわせがすなわち私のしあわせなのです。
まだ言葉としてうまくまとめられずに居ますが、今そんな作業のさなかに居ます。