「お裾分け」や「お土産」について、その伝統の意味と、私なりに感じたかとお伝えします。
明日でブログを開設して6666日。
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今日は6665日目です😆
365で割ると、18年ちょっとになります。
うむ、なるよねー。
そういえば,昨日地震雲出てきますとこちらで書きましたが、今朝地震ありましたね。
大したことがなかったようで,良かったです^_^
さて、お裾分けの話ですが。
もともとお土産などは、神社に行ってお札をみんなの分まで買って帰る制度からできたとされます。
遠い昔は今ように交通網がなかく、伊勢とか出雲に行くのも命懸けだったし、お金も時間もかかりました。
だから村人みんなでお金を出し合って、代表で2人くらいが行って帰ってくるのが多かったのです。
当然みんなからお金を預かっているので、全員分のお札を買って帰る。
それがお土産の制度につながったと聞いています。
他の国には、旅行に行ったら温泉饅頭などを買ってきて配る習慣がないらしいので。
日本だけなんだと改めて思いました。
何か良いことがあったとき、何かお裾分けを配るというのは理にかなっています。
良いことがあった時は、エネルギーがぐっと上がります。
その時エネルギーの変化が大きいと、ちょっと危険です。
もともとの脚力は変わっていないのに、持っている荷物が大量に増えちゃったと想像してみてください。
足元がぐらぐらしますよね?
そんな時、その大きくなった荷物をみんなにちょっとずつ分けにして、荷物を軽くします。
そしたら、グラグラしませんよね。
それにやっぱりいいことがあったエネルギーをみんなに分けて、周りみんなで上がった方が,自分もみんなも社会もハッピーになる。
理にかなっている!
でもね、自分の器は、そこまで大きくなっています。
また、宇宙は誰かに与えたものは、プレゼントした側にも同じ量のエネルギーを補填してくれます。
なので、ゆっくりと大きくなった器にエネルギーを増やしていけるようになるのかな、と私は考えます。
何が言いたいかと言えば、いいことがあった時や、エネルギーが上がった時は、みんなにおすそ分けするといいですよ、ということ。
明日お話会に参加くださるお3人には、超すごい高尾山の薬王院茶をプレゼントしますねーー。
お茶のことは、noteにも書いたので,参考にどうぞ^_^