「人は皆、泣きながらこの世に生まれて来る。だが、この世を去る
ときは人それぞれだ」
リア王の中の言葉です。
ウツ病だったときの記憶はあいまいで、ところどころぼんやりしています。
というのも、ぼーっとしてしまい、実際に心ここにあらずって感じだったからかなと思います。
あの頃のことを思い出すと、机のパソコンに何か打ちこんでいるうちに意識がぼーっとしてしまい、そのあと、何時間もぼーっと座っていたように思います。
こどもがいたので、こどもがいるときは気が張るのかちゃんと動くのですが、仕事のアポイントもなく、こどもが出て行ってしまったとは、意識が勝手にぼーーっとのほうにシフトしていき、こどもが帰ってくると、あ、お帰りって感じでスイッチが入るのです。
それがひどくなっていた頃、ほんとうにところどころしか記憶がなくなっていくのですが、ふいに意識がはっとした瞬間があるのを覚えています。
たぶん、そのあとからわたしは行動を起こせるようになったのですが、
そのきっかけになったのは、こどもがいつもかけていた嵐のCDでした。
ずっと流れていたので、たぶん無意識の中には入っていたのでしょうが、意識の中には入っていなかったのに、突然耳に言葉が入ってきたのです。
それは、
まるで ひとりぼっちだと嘆くそばで
ガレキに咲いた花がユラユラ見てる
でという歌詞でした。
ひとりぼっち、…ああ、そうだ。
誰にも相談できなくて、誰にも愚痴ることができなくて、子供やクライアントさんの前ではずっと笑顔でいなくてはいけないくて、孤独なんだと感じていた気持ちでいたのですが、
ふいに、ひとりじゃないよ、がれきに咲いた花が見ているからねっていうシーンがすーっと私の中に入ってきたのです。
歌詞は続きました。
誰かが 誰かを支えて生きているんだ
単純な 真実が傷をいやしてく
その言葉が入ってきたとき、すぐそばで音楽を聴きながら宿題をしている娘の姿が目に入りました。
ああ、わたしは支えられていたんだと、当たり前のことに気づけたのです。
こども三人をわたしひとりで育てなければと思って孤独に必死で頑張っていたけど、そんなわたしには三人も支えてくれる存在がそばにいたんだと気付いたとき、涙がつーっと伝っていったのです。
泣くことをずっとこらえていたのだとあとから気づきました。
Smile Again ありがとう
Smile Again 泣きながら
生まれてきた僕たちはたぶんピンチに強い
そうだったね。泣きながら生まれてきたんだったね。
そうだったね。
泣きながら生まれてきたんだから、だからきっとどんな辛いことも織り込み済みで乗り越えていく力があるはずだねって、なぜかそう思ったのです。
意識がどこか遠くに行っていたのが、自分に戻ってきたような瞬間でした。
そのあと、いろいろあって、父が亡くなったのをきっかけに、親戚がたくさん手を差し伸べてくれて、わたしはひとりじゃないことを心から実感できました。
そうして病気を克服し、どんどん動くことができるようになり、今に至っているんですけどね(*^_^*)
神様はけして、乗り越えられない壁を与えない。
ほんとうにそうだったな、と今なら心からそう言えます。