禁と書こうと思ったら、カタカナでキンと出て、それはマヤのkinに通じるなぁと思いまして。
何を伝えたいかというと、解禁という言葉が今私の中に響いている、ということです。
言葉とは不思議なもので、たとえば、橋、端、箸など、同じ音(おん)の言葉は、意味が似通ってくると言われています。
ハシの例でいえば、橋はふたつの岸をつなぎ、端は、たとえば布などの端と、ちがう布の端をつないでキルトをつくって、などのように、やはり何かふたつのものがつながるイメージがあり、箸は、食べものと口をつなぐもの。
そう考えると、禁と金と菌とkinなど、同じ音な言葉は、やはり何かに通った意味があるのかな?とついつい深読みしてしまう私なのです。
禁とKin
なんとなくイメージですが、禁止とは、閉じていくというか、ぎゅっと固まっているイメージがあり、kinは、一日のエネルギーが詰まっている感じがして…
なんとなーーくわかるようなわからないような(笑)
まあ、それは少しゆっくり考えるとして。
今日ははっぴぃらいふセミナーでした。
自分の中で、先日から続くブームともいえる波動の話と、波動に関わって、調和や共鳴、共振なんてキーワード。
他者との関わりが出てくれば、自然と、自己との関わりも出てくるわけで。
自己と関わる、自己を深く見ていくと、どうしても『自分を愛する』というテーマがつながって出てきてしまうのです。
自分を愛すること、ということは、言いかえると、まるごと『宇宙を信頼するということ』につながるような気がします。
宇宙をすべて信頼していくと、宇宙のすべてが繋がっていることを受け入れるということにもなる。
すべてが繋がるからこそ、今、私の口から出てきた言葉が、やはり、すべてにつながっていく。
それが、今日のテーマに繋がっていく。
なぞ解きが言葉遊びみたいになっておりますが。
ハピセミに毎回来てくださっている方たちが今日もいらしてくださって。
同じ方たちが集まるので、なんとなく似たようなテーマを、それぞれが同じようなタイミングで感じているような気がするのです。
今回は、自分を愛する、という裏テーマもありましたから、ランチ会でみなさまなりの自分の愛し方をシェアしあっていくうちに、不思議とシンクロが続いたりして、やっぱりすべてが繋がっていくのだと、そんな不思議な感覚をずっと味わっていました。