自分が母親にしてもらったことを数えてみようと思いまして。
産んでもらったとか、衣食住を与えてもらったということ以外で、母から受け取ったものはなんだろうと思うと、見えない世界のものに対しての知識だったかなと思います。
お釈迦様^_^
母方の祖父の実家はもともとが武家で。
室町時代から続く家系図なども残っており、教え的なものもしっかり継承されていて。
そのため祖父の家には不動明王の仏像などがあったりもしました。
そんな祖父は本当に神仏に対する信仰心が厚く、祖父が家に遊びに来ると、いつも神様はなぁとか、そういう話を教えてくれていました。
そんな祖父に育てられたせいか、母もそういうことに詳しかったです。
母から直接教わったこともありますが、子どもの頃の私の部屋は居間の一角であり、そのため母が祖父と電話で話していることが丸聞こえで。
祖父が母に教えていることを、母が喋っている内容から推測していた感じでしょうか。
そんな中で1番私に残っているのは、「罪障懺悔、罪障消滅」と言う呪文です。
小さい頃に猫をひいた車に乗っていたことがありました。
私はそれからずっとそのことを引きずっていました。
そのことで母に相談し、祖父がとある地元の有名な霊能者さんに相談してくれたそうなのです。
その時その霊能者さんが教えてくれました。
動物に同情してはいけない。
動物は、自分に意識を向けてくれたことで、何とかしてくれるんじゃないかと取り憑かれてしまうから。
実際に払えるのであれば、それでもいいけど、何もできなければ、ただ取り憑かれて終わり、それでは動物のほうも成仏できないから、むしろそっちの方がかわいそうだと。
成仏させる力がなかったとしても、ちゃんと手を合わせて、早く成仏するようにと願うだけで良いのだと。
それでも気になる時はこう言いなさいと呪文を教えてくれたんです。
それが「ざいしょーざんげ、ざいしょーしょうめつ」でした。
きっと、今の人生では無いけれども、どこかで動物とか何かを殺めたかもしれない。
その罪を悔い改めるための言葉だったのかもしれません。
私はそれを謎の呪文としてずっと唱えていました。
何か怖い思いをした時とか、体調が悪い時とか、つらい時などに、その呪文を唱えていたのです。
意味など全くわからずに。
数年前、山を登るときに唱える仏教の言葉があると知り、その意味を探しているときに、この呪文の言葉を偶然見つけました。
「罪障懺悔、罪障消滅」
罪障とは、生まれる前から背負った罪のこと。
例え前世に罪を犯してカルマを負ったとしても、その罪を悔い改め、改善していく努力をして、罪は相殺される。
そんな言葉のようでした。
カルマとは、あくまで自分自身が実際に行ったことで積み上げてしまったマイナスなのですから、自分が悔い改めることでしか相殺できません。
悔い改めること。
そのためには自分の深いところを見つめて、自分にはこういうところがあるんだと言う気づきがなくてはいけません。
別に辛いことがあるわけでもないのです。
神様が罰を与えるのではなく、自分の間違ったことを訂正する作業なのです。
そのために気付きを与えてくれるための呪文。
子どもの頃、具合が悪くてこの言葉を唱えていると不思議と心が軽くなり、ふと思うのです。
この前言うことを聞かずに寒い中でずっと遊んでいたからだ、とか。
次からは、言われた通り、ちゃんと上着を着て外に出ようとかね。
それでいいのです。
心から悔い改めた瞬間にその人のカルマが全部消えたと言うのはよくあること。
それだけ深く悔い改めたので相殺されたのです。
この世界に絶対的に存在するのは「等価交換」
常に同じ値同士が相殺するものなのです。
人間が考えたり、ぱっと見での価値や評価では測れないものがあるのです。
この呪文は、気づきをもたらしてくれるので、ぜひ使ってみてくださいね^_^