あんまり興味ないかもしれませんが、故郷小樽の事について案内しちゃいます。
小樽駅の駅舎には、北一硝子のランプがたくさん
小樽は本当に世界的に見ても唯一無二な歴史を持つのです。
世界中のそれぞれの地域には、やっぱり唯一無二の歴史があるし、例えて言うなら鎌倉とか京都とかも、あと沖縄なんかもきっと特集の歴史を持つと思いますが。
小樽は地元民もあまり知らないけれど、ピンポイントでとにかく、世界でここだけと言えるような特徴がいくつもあるんです。
おたる案内人の資格を取るため、講座に出たり勉強するなかで知りました(*^_^*)
まず縄文遺跡がすごい。
小樽のストーンサークルは、今から3000年位前のものなのですが。
世界遺産で有名なイギリスのストーンヘンジなどが作られていた同じ時代に、小樽のストーンサークルもできたのです。
世界的に同じようなことをしていたのが面白い。
当ブログ内にレポートあります。
★2021-06-19 小樽のストーンサークルに行きました(*^_^*)
★2021-03-20 春分の日に縄文の聖地に立つ(手宮公園)
★2009-05-05 小樽のストーンサークルに行ってきました
★2008-08-06 冬至の太陽~小樽縄文遺跡編その1
★2008-08-06 冬至の太陽~小樽縄文遺跡編その2
YouTubeにも上げています。
★2021-07-29 縄文の聖地手宮でパワスポのエネルギーの見分け方を語る
★2021-07-20 日本のストーンヘンジ小樽のストーンサークル
★2021-07-19 小樽と余市のストーンサークルで直感力を向上させるツアー
↓こちらの本で北海道の担当(記事と写真)をさせて頂いたのですが、そこでも小樽ストーンサークルを紹介しています。
縄文時代にある程度の遺跡がのこっているのは、住むのに適していたよい風土だったことを示します。
その後、アイヌの人たちが住むようになり、天然の良い港などがあって、細々と船などは来ていたようなのですが。
アイヌで言えば、「ゴールデンカムイ」
映画も上映されるようですが、原作に、たくさん小樽の実際の街並みが出ていて、聖地巡礼をしている方も多いです。
アシリパさんが着ている服は、小樽博物館に展示しているものがモデルです。
それは、おたる案内人研修の時に、博物館館長から直接聞きました。
実際に作者の方に写真などを資料として見せたので、小樽博物館に展示しているものが、漫画にたくさん出てきます(*^_^*)
北海道は江戸時代にもすでに藩がありました。
函館のあたりで松前藩と呼ばれていました。
その松前藩が許可した船しか北海道の中を行き来することができなくて。
許可をもらっていた近江(滋賀県のあたり)商人が、小樽までちゃんと商売をしに来ていたのです。
そんなこともあり、江戸時代から北海道には、お寺や神社が既に存在していました。
※近江はおうみと読みますが、近江は淡い海、すなわち琵琶湖のことだと言われています。
北海道が明治になって脚光を浴びた理由は、
その1
今の三笠市のあたりで良質の石炭が見つかった。
明治政府は当時燃料を探しており、良質の炭が取れる場所を探していたのです。
そして、その石炭を日本全国に運ぶための、まずは北海道内に「線路」と、北海道から船を出す良質の「港」が必要でした。
本来室蘭に港を作るはずだったのに、様々な偶然から(割愛)小樽に港を作って、そこから運び出すことになるのです。
これはもう、ミラクルであり、神様が選んだのだろうなって思います。
その2
当時、外資を獲得するため海外に輸出する商品が必要でした。
それが綿や絹(製糸工場が世界遺産になりましたよね)であり、日本全国で、綿花を大量に作成することになり、そのための肥料がやはり大量に必要でした。
ですが肥料となっていたイワシが不作のために、全国的に肥料が足りなかったのです。
ちょうどそのタイミングで、小樽の近くで、鰊が大量に獲れたのです。
全国の人たちが、大枚はたいても欲しかった肥料が、ここに大量にあった。
けれど田舎だった小樽は人もいなかったし、坂でできている街だから、居住する場所もなかった。
当時、武士たちが職を失い、失業者が溢れていて、そんな小樽に信じられない人数の人が集まった。
しかも大量の鰊があり、全国から大金が届いてそれが飛ぶように売れていく。
港には倉庫が立ち並び、田舎町だったのに、日銀の支店(現在は金融資料館)が、本店、大阪支店の次に全国で三番目に建ち、運河の近くにずらりと銀行が並びました。
当時は日本で一番お金持ちと言われた人物がいたほどです。
(旧青山別邸とか当時の面影すごいから見てね~)
新しい建物を建てるため、アメリカなどで活躍していた東大出身の建築家たちなどが小樽に入り、建造物を作っていきました。
(朝ドラ「らんまん」に出ていた広瀬裕一郎のモデルはその一人、廣井勇博士です。彼が小樽に残した功績は、小樽市民全員が感謝すべきすごいことでした)
そして、大量にお金が集まり、金融機関、商人などもたくさん集まっていた小樽では、そんなお金持ちの人たちが次々に寄付をして、学校や様々なものを建設し始めました。
小樽には、なぜこんなところにこんなあるのか?と思うような歴史的建造物が残っているのはそんな理由からです。
ですがニシンが取れなくなったことと、苫小牧に港ができたことにより、小樽はあっという間に斜陽の街になります。
しかし小樽はもう一度ミラクルが起きます。
もう使われなくなった運河を埋め立てて幹線道路を作るプランが持ち上がりました。
でも、小樽運河こそ、唯一無二の特殊なものでした。
一般的な運河とは似て非なるものでした(長いからまた別枠で)
その稀有な運河を残すべきだと市民運動が立ち上がり、これが世間を巻き込んで面白い展開になり(端折りますが) 全国ニュースでバンバン流れるようになりました。
ノスタルジックの街。
特殊な情緒の景観が残る小樽。
ニュースを見た人たちが全国から集まりやがて観光地へと発展していきました。
縄文の遺跡が残っていることも、信じられないほど栄華を極めたことも、斜陽の街になったのに、その情緒が逆にノスタルジックな街として観光地と人気になったことも。
すべて偶然の産物です。
だからなんとなく、神様に愛されている街なんじゃないですかって感じるんです。
ほんとうは、宇宙戦争があった舞台なんだけど、それはマニアックすぎるので表では言えません(笑)
小樽愛が過ぎる下小樽市民のつぶやきでした。
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