昨日娘が試写会にあたっというので、
「夏目アラタの結婚」
と言う映画を見てきました。
ポップコーンを食べる手が何度も止まった。
猟奇的殺人事件の犯人と、行きがかり上結婚することになった夏目アラタが主人公。
グロテスクな映像もあり、皆様にお勧めできると言うわけではありませんが。
社会問題がぎゅっと凝縮されている作品でして。
見終わった後も、これはハッピーエンドではないよねと、少しどーんとなりました。
これからも続く闇のようなものを感じて、素直によかったとは思えない的な。
でもそれこそが現実なんだと思います。
解決した。
着地した。
明日から幸せ!とはならないもんね。
そもそも虐待されたから、その恨みを晴らすために、身勝手に誰かを殺すなんて絶対ありえないし。
それが、どんな理由であっても、人の命を脅かす事は絶対に絶対にNGです。
そして、虐待された人間が、みんな心の傷に負け、トラウマからそのようなマイナスのほうに行くとも限らない。
克服してそれを糧に、たくさんの人たちに救いの手を差し伸べている人たちも大勢います。
どっちの道に行くかは自分が選ぶことかもしれませんが、「手を差し伸べてくれる大人の存在」はかなり重要かな、と。
虐待の問題点の一つは、自分は親に愛されていない絶望が魂に刻まれてしまうことです。
生まれてきたことが間違いだった。
生きる価値がない。
だから誰かが役に立たなくてはいけない。
生きていてごめんなさい。
私だって生まれたくなかった。
そんなことを本気で思ってしまう。
これが虐待された人たちの中にある一つの傾向です。
でも、親からたくさんの無条件の愛情をうけて育った人は、そこに自分がいるだけで誰かを幸せにできると知っています。
親が、周りの人間が、自分がただそこに存在しているだけで幸せを感じてくれていると経験でわかっているからです。
人生のスタートラインでその差はかなり大きい。
しかし、そんなことを今更言ったところで生まれてしまっているのです。
私は幸いにも、父や兄などが、私の存在を可愛いと受け止めてくれていました。
そのためそこまで大きなトラウマを負わないで済んだのかもしれません。
ですが、誰も助けてくれず、周りが大人だらけで圧倒的に力の差がある中で、たった1人逆らうこともできずに悲惨な目に遭っている子供たちが大勢いると、唇を噛み締めてもうどうしていいのかわからなくなります。
そういうニュースをみると周りの大人たちのありゆように、、吐き気がします。
子供たちは安全な場所に確保するためのシステムを作ること。
そしてよく言われることですが、虐待は連鎖します。
だからその加害者にも、なんらかの心のケアのシステムを作ること。
アメリカではいじめ問題が起きたら、加害者に修正プログラムを発動するそうですが、いじめられる側ではなく、いじめを行えるメンタルにこそ問題があるのは私も同感です。
私はDVを振ってきた人たちを何人か知っているのですが、(直接ではなくて、被害者の人たちに話を聞いた)
ほとんどが家庭環境が荒れていて、何なら親がいないとか、暴力を振るわれて育ったとか、そういう人たちばかりでした。
ステレオタイプに語るつもりは無いですが、やはり割合として多いのだと思います。
昔ビートたけしさんが、芸人の先輩にひどくいじめられており、それは伝統的に続いて来たが、でも自分が先輩になったとき、絶対に後輩をそのような目に合わせたくない思いがあったと語っていました。
自分がされたことを下に繰り返すことをせず、自分で止めて、反面教師にしていく人たちもたくさんいるのです。
虐待されてきたからかわいそうとか、虐待されてきたから仕方がないと言う言葉でくくってはいけないのだと思います。
あの映画はとても見ごたえのあるものだったし、切り込んだ作品だったと思いますが。
復讐のために行ったのとは違だていましたが、「自分が幸せになることが最高の復讐だ」と言うヨーロッパのことわざを、もう一度たくさんの人に伝えていきたいと思いました。