1998年に自分のホームページを作りました。それからずっと、様々な形で表現をしてきました。
ホームページは2012年頃からお休みしていますが、以前書いたものをこちらのブログに少しずつアップしていこうと思います。
(まるで宇宙から見た地球のように見えるある夏の日の空)
私は、2001年9月11日(その夜911が起きることになる朝)、スピリチュアルなことを、人前で(サイトも含む)できちんと伝えて行こうと決意しました。
当時は、今ほどスピリチュアルなことはオープンではありませんでした。当時、パワーストーンのブレスレットを持っていたのですが、人に見つかると、「何それ? 宗教? オカルト?」と、引かれてしまいました。
そんな時代だったので、そういうことを口にすることに勇気がいりました。
でも、私には見えない世界のことが見えているらしい。
そして、何か伝えるべきことを教えられているらしい、という感覚は幼いころからありました。
2001年の夏頃から、それを伝えるべきだと感じる出来事が続いて、とうとうきちんと伝える決意をしたのです。
以下の物はその時に書いてホームページに発表したエッセイです。
物心つく前から、たぶん生まれた瞬間から、いつも魂の存在を感じていました。それは、目の前にあるコップと同じくらい、私にはリアリティがありました。
でもそれを口にすると、「おかしなことを言うな」と叱られたり 「嘘をついた」と決め付けられたりして、傷ついてしまいました。
もしかして、私にとってはコップと同じように見えている事だけど、他の人には、存在そのものが見えていないのかなと少しずつ思い始めました。
そしてその頃から、ココロの扉は注意深く閉じつづけていました。
だけど、どうしてもその扉をノックする人に出会ってしまうのです。
私のココロの扉の中に何があるのか。
それは、深い深い場所に繋がる大きなイリグチです。
私の大好きな作家の村上春樹氏が、ときどき『井戸の中に降りていく感覚』を書いています。
それを読んで、もしかしてそれは、私が思う心の奥にある、あの深い場所のことなのかなと感じていました。
深い場所までどこまでも降りていくと何があるのか。
そこには『すべて』があるのです。
その深い場所は、私のココロのなかから繋がっているので、私のココロのなかにあるのかなって思うのですが、どうやらこそは、『私だけ』の場所ではないと感じます。
そこは、ありとあらゆる存在と繋がる場所。
いいえ、ありとあらゆる存在が混沌とある中に、私が入り込んで一つになる場所なのかもしれません。
そこは、私のココロから入ることが出来る、『すべて』がある場所なのですが、その『すべて』を、うまく表現することが出来ません。
なぜならそれには『形』がないんです。
『例えばコンピューターのような物』『例えば百科事典のような物』。
そんな風に限定して表現したくなくなるようなくらい大きな『すべて』なんです。
私が何かに迷ったとき、その場所に下りていくと、すべてがあまりに膨大で、そこから私が求める答えなんて探すのは無理だと感じます。
でも、そう感じるのと同時に、もう答えは私の中に入ってくる。
ただ、この答えには、形も言葉もないんです。
『感覚的な混沌としたもの』がズドンと私の中に入ってくる。
私はそれを自分のココロの領域まで持って帰り、ゆっくりと、知識、言葉、感覚をフルに使って翻訳します。
翻訳しなくても、感覚でもうわかっているのですが、翻訳しておけば、忘れないからそうするのです。
感覚でわかっていても、私の頭が理解できないこともあったりするし。
幼い頃から、そんな作業をいつもしていました。
誰かに習ったのではなく、気が付くとそうしていました。
そんな風にためてきたものの一部を、HPを通して、例えばpengelの言葉として、例えばエッセイや小説として、表現していたんだなって改めて思いました。
勇気を出して、それをわかりやすく伝えてみたいなと思いました。
ある朝、その決心を人に告げました。それは扉を開いた始まりでもありました。その夜、あの悲しいテロ事件が起きました。
そして、たくさんの人たちが『祈る』のを見て、勇気をもらいました。
祈ること、目に見えない力を信じること、 全ての人たちが繋がっている感覚を伝えていくこと…それは、決して、恥ずかしいことなんかじゃないんだって。
うまく伝えられるといいのですが。
はじまりの言葉に代えて…
2001年10月1日(中秋の名月の夜)
遊月海央